2019年03月05日

sound of sitar

昔からやってたよ、深夜バイトで悪ふざけ。それっきゃすることないでしょ。ネット、携帯なかったから拡散しなかっただけ。で、なんですか_1日休んで社員教育てか。問題は深夜シフトをバイトだけにしていること。本来は監督すべき社員をおくべき。客の少ない深夜にすべての店舗に社員を配置してたら儲け出ないと言うか。ならば営業店数を減らしてでも置くべき。それをせずにゼニ儲けのみに邁進、たかだか1日研修で「やることやったから許して」_面の皮の厚きこと厚きこと。ブラック企業に paint it black...
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2019年03月03日

mar. '79

リンダを武道館で観てからちょうど40年。マリアを観てから40年と1日。
リンダ現状、歌うことはできずとも元気らしい…まずはよしかな。






ギターは作者のデヴィッド・ニクターン…だったかな。ベースは、ガルシア組の大政ことジョン・カーン。カーンはこの頃マリアと恋仲。ピアノはハングリー・チャック、ジェフ・ガッチョ〜ンだろう。


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2019年02月27日

T. Rex / Beckett

http://sakatomi.seesaa.net/article/455156423.html
コッシュによるT. Rexワークを2作品としてしまったが間違いだった。73年盤『Tanx』も。そこからの3作がコッシュ・ワークであった。前作『the slider』がピークで、かろうじて人気を保った感があった『Tanx』。その後の迷走・低迷は、大好きなボランだったから正直辛いモンがあった。もともとT. Rexとはボランのワン・マン・バンド…でもあったが、トニー・ヴィスコンティとの「ふたりプロジェクト」名という言い方が適切だ。スティーヴ・トゥック、ミッキー・フィンと相方を必要としたのは、ワムと一緒だったんじゃないだろうか。ボランの stage fright からと想像しているがどうか。

trex_tanx.jpg

この盤のジャケットは出た当時からいままでずっと見てきたがコッシュ色皆無、そうだったのか_意外にしか感じない。文字周りにらしさが見える程度。

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対しこちら『Bolan's Zip Gun』、なかなかに良し。センターに菱の型抜きでインナースリーヴの顔を出す緩いギミック・カヴァーだが、これはアンディ・フェアウェザ・ロウ盤『spider jiving』と同様。拳銃モチーフはファミリー盤『it's only a movie』インナースリーヴでも見られた。過去盤との共通点もあり、コッシュらしい仕上がり。内容的にはヴィスコンティとも分かれ、タイトルもボランと言い切ってしまった…完全なる一人仕様がわびしくもあり…。

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もう一枚、コッシュ仕事を。かなり無名バンド、ベケットという。
https://youtu.be/qQb5vSYGeek
TOGWT、74年放映回の頭と尻、2曲をリップでやっているバンド。ギターはブラックモアでなし、ヴォーカルは…コメントのなかに「テリー・リードじゃん」なんてあるが確かに声・顔は似ている。さにあらず、僕はこのシンガーが結構好きなんだ、テリー・ウィルソン・スレッサーが名前。このベケットはアルバム1枚のみだが次ぎの就職口は、ポール・コソフが自作から発展させた Back Street Crawler だった。コソフ死後は Crawler となる。英国で活動だがアメリカン。想像だが、同様に英国渡りで活躍したラビット(こと John Bundrick)の古い仲間、ツルんで英国へ来たのでは。この無名バンドのジャケをコッシュが担当したのは、プロデューサーの名前から理解できる_ファミリーのロジャー・チャップマン。ファミリー自身とリンダ・ルイスなど仲間盤のみのリリースだった Raft Records から。このレーベルはファミリーのセルフ・レーベルであったのだろう、デザインの大半はやはり仲間だったと思えるコッシュが担った。
エロチックな意味を持たせているような気が少しするこのイラスト、はてコッシュが描いた? これまたコッシュ調とはかけ離れた凡作というか何というか…。

追記:いや、Terry Wilson-Slesser は英国人かも。BSCはベーシストが Terry Wilson という名でややこしい。ベース/ドラム/キーボードがアメリカンだったらしい。スレッサーは…本人オフィシャルブログがあるがこれがズルズルでなんだかよく分からない。
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2019年02月23日

マッスル参考盤

tonywilson.jpg

#000
【Tony Wilson / catch one】
produced by Ron & Howard Albert
( '79 bearsville )


「ブラザー・ルーイー」…ストーリーズといえばこの一発ヒット、73年見事に全米1位。日本では「ブラザー・ルイ」だったこの曲、シングルを買ったほど好きだった。哀愁のマイナー進行は日本人にも好み、弦好きなのでとくに良かったのはその弦とギターの絶妙なからみ。この曲が後にカヴァーと知る。英国のホット・チョコレートというバンドがオリジナルと。
今回あらためてネチれば_ストーリーズのわずか半年前リリースでUKではトップ10ヒットだったんだね。プロデュースが大御所ミッキー・モウストでそのRAKレコードから。ドラムがコージー・パウエルか、語りの部分はアレクシス・コーナーですと。実に英国らしいプロダクションであったのだな。
そのホット・チョコレートの、リーダーにして同曲のライターでもあった黒人シンガーがトニー・ウィルソンという人物であると「レココレ」誌にある。英国人のこの人がUSロックの良心? Bearsville からアルバムを出していただけでも驚いたが、その盤は全10曲うちベアズヴィル録音は2曲のみ、残り8曲がマッスル・ショールズ・スタジオというではないか。
しかしこのジャケ…とても入手する気にならず。なにゆえあのヴェアズヴィルがこれを?_そこはやっぱり商売でしょう。良心だけではおマンマは食えぬ。UK渡りでは Foghat のヒットでレーベル存続もあったし。商売なのはマッスルも一緒で、前に入れたフレンチ系カナディアンのディスコ盤しかり。でもってこれも実にディスコですわ。全編を聴いてはいない。UTにアップされた数曲だけで済ます。それで十分トホホゆえにもしも入手しても聴き通すことができそうもない…。
しかしマッスル8曲、バックはしっかりしていて_四人衆全員とランディ・マコーミック、リードギターは元ステッペンウルフのラリー・バイロム担当、ローズ=チャーマーズ=ローズがコーラス。ベケットがシンセでノリノリだよ、ああ困ったモンだ。すべてのラッパ/弦・アレンジがマイク・ルイスというところがミソ。この人はマイアミはクライテリアのハウス・アレンジャー。で、プロデュースをみればロン&ハウィー兄弟。このふたりの名はステファン・スティルス仕事でもっとも知られるだろう。クラプトン仕事も。つまりはこのふたりもクライテリア所属の裏方(だった、現在は自身のスタジオ経営)、そのマッスル出張り仕事盤。79年でクライテリア…分かるね、ビー・ジーズが爆発的にディスコ≠ナ当たっていた時期。その余勢でどうにかならぬかとベアズヴィルも期待してしまった盤と思う。
アルバムはこけたトニー・ウィルソンだがそれなりの印税は手にしただろう_というのは、この盤に収録の1曲が、ベアズヴィル・シンガーだったランディ・ヴァンウォーマーと「共作」した "just when i needed you most" 。日本でも「アメリカン・モーニング」としてヒットしたAOR名曲のひとつ。ランディはこのアルバム直後のソロ盤で自身で歌ったが、そのシングル・カットがみごとに全米トップ10ヒットとなる。ランディ曲はもちろんベアズヴィル録音だったが、トニーのテイクはマッスルでの録音。


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蛇足:ベアズヴィル2曲、ハーヴィ・ブルックス/カル・デイヴィッド(ともに fabulous rhinestones)は地元だがアレンジが西海岸拠点のジーン・ペイジ、もっと意外なのはドラムがコーキー・レイング。マウンテン〜ウェスト、ブルース&レイングとくればヘヴィなドタバタ・ドラマーと想像されそうな、あのレイング。ただしこの人は Capricorn から上出来のソロ盤を出している(#078参照)。ピート・カー活躍で曲よし、ソングライトの才のある人だった。クラプトンも参加盤。

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2019年01月03日

Planet

追記で朝妻一郎。
http://music-calendar.jp/2017123001
これは一昨年となる1年ちょい前の記事だが、ほんとに業界の人…それもアメリカ音楽業界とも繋がった人であることに驚きますワ。ジミー・ハスケルとかスティーヴ・バリという名前は、僕にとっては「ジャケ買い」対象人名以外のなにものでもなかったから。こういうポップスの世界でも裏方とガチに付き合っていた日本人がいたんだなァという思い。
バリの名前は当然PFスローンとともに、それとランバート=ポッターなどとABC / Dunhill 盤のクレジットで見るそれ。アレンジャーならばニック・デ・カロやペリー・ボトキンなどもエサ箱でのレコめくりで探した。

ラジオのなかで、小田和正にパブロ・クルーズのエンジニアを紹介したという話が出てくる。それは Bill Schnee で、小田の盤は『K. ODA』という86年/ファンハウス盤。ポーカロ/ハンゲイトというTOTOのリズム隊をバックにしたロス録音。実はこの盤のデザイン・クレジットが KOSH となっていることを数年前に発見して驚かされたのだ。それで当時のファンハウスのデザイン室チーフがいまも面識あるのでメールで伺った_デザインに関してもまったく日本側で関知することなかった(US制作であった)ので、なぜコッシュが起用だったかは分からない_とのことだった。しかし今気付いたのは、ビル・シュネイはかなりの売れっ子で関わった盤は相当数であるが、なかで Planet Records 盤のほとんどでその名が見えること。プラネットは、かのリチャード・ペリーが立ち上げた(が、短命に終わる)レーベルでコッシュがほとんどのデザインを担当していた。たぶんフリーの身でありながらこことはハウス・デザイナーとして契約していた…と想像する。小田盤、録音がシュネイの個人スタジオとある。シュネイからのオファーかどうかは定かでないが、コッシュとシュネイの関連を強く感じる。それでもこのジャケ仕事はコッシュらしさは皆無なんだが…。無理にこじつければ、コッシュ仕事でも傑作だった78年盤、ステファン・ビショップの『Bish』を踏襲したモノクロ写真使い…か。


koda.jpg

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2018年12月16日

Irma 7"

アーマ・トーマス盤『in between tears』がらみでアルバム未収録シングルもあったことを知って、スワンプ・ドッグやらメイコン・リズム・セクションやらデュアン・オールマンとピート・カーと…その他諸々をあらためて書こうかと思ったが、マッスル関連はなかば使命感なんだが、さして面白みのない楽曲まで書き入れる必要はあるのか_いやいや、資料価値はあるだろうとか考えたりしたが、使命感はだいぶ薄れてきて面倒が先に立ち、お茶を濁してやめにしたくなったワケで…。
https://youtu.be/pzhxUcHgiqk
https://youtu.be/P4iXnqfj0VM
シングルA/B面、70年 Canyon からで作・プロデュース・アレンジがスワンプ・ドッグ。

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2018年12月10日

Sakatomi Post Cards

春先から、ひさしぶりに水性絵具を出したらちょいと面白くなって何枚か小さく描いてみた。で、練習がてらに思いついたのはハガキ大に描いてリクエスト葉書にしてみようという_それで日曜『サンソン』へ出してみたのが以下15枚。it's not the spotlight は3枚描いたので都合13曲分。ルーサー・イングラムのみ採用されたが、まあ確率としてはそんなモンだろう。


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2018年10月18日

青空

garage band で録ってみたELO曲。コードが同じだけで別曲だが。昔の斉藤和義、「歩いて帰ろう」を意識した。あれはモータウンビードだが。アコギとエレキを重ねて、ドラムは打ち込み。ベースがない、持ってないので無し。歌詞は友人に書いてもらった。



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2018年10月14日

Toni Wine

古いマッスル関係の資料をネットで見ていたら思わぬ名前に出くわした。トニ・ワイン。
リアルタイムで言えばアーチーズとドーンがあったが、中学生にはあくまで「全米ヒット曲」であっただけ。後にトニがその裏方と知る。"sugar sugar" のアウトロ前のシャウトがトニの声。ドーンの初ヒット「恋するキャンディダ」のライターのトニ。さらに追えば、マインドベンダーズのヒット "groovy kind of love" がトニ&キャロル・ベイヤー・セイガー作であり、トニ自身が16才で自作でデビューした早熟のSSWであった、スペクター・ワークにも貢献した…。70年代にもパートリッジ・ファミリーへ楽曲提供していたし、要するに若年から長きに渡りNYティンパンアレーで活躍した才能溢れる女性。
 そんな生粋ニューヨーカーのイメージだったトニ・ワインにマッスル録音があるというのは意外だった。70年にソロ名義で3枚のシングルをアトコからリリースしている。

take a little time out for love / sisters in sorrow (atco 45-6736)
he's not you / let's make love tonight (atco 45-6773)
I want to see morning with him / groovy kind of love (atco 45-6800)

69年11月22日号 Cash Box 誌の記事では「トニはプロデューサー Herb Bernstein とともにマッスル・ショールズで(アーウィン・リヴァインとの共作)3曲を録音した/レーベル未定」とある。シングル6曲うち3曲のみなのか/どれがその3曲か、他の3曲はどこの録音か_その詳細は不明。
トニの南部詣でにはチップス・モーマンが関係ありそうだ。メンフィス音楽界の大立て者モーマンとトニが結婚していたとは知らなかった。メンフィスの american studio の設立プロデューサーとはいえ、ダン・ペンと "do right woman" "dark end of the street" などを共作していたモーマンはマッスルとも無関係でない御仁。トニの7〜80年代活動は南部/NYを行き来だった様子。
残念ながら上記6曲うちUTにあるのはセルフ・カヴァー "groovy kind of love" のみ。
 https://youtu.be/yplGEdrURYE
聴くに、いなたいリズム隊はNYではないのでは。ギターもレジー・ヤングに思える、この録音はメンフィスではないだろうか。 
ちなみに "sisters in sorrow" はブレンダ・リー/ "I want to see morning with him" はペトゥーラ・クラークがカヴァー。トニのシングルリリースと同時期で、どちらもモーマン・プロデュースによるメンフィス録音アルバム収録曲。


toni-wine-take-a-little.png

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2018年09月02日

Kossoff / Capaldi solo years

ポール・コソフは、僕にとってピーター・グリーンと並ぶ二大ギターヒーローだった。そのコソフ、死後に2枚の追悼盤_『KOSS』『blue soul』が出た。どちらも2枚組の上、未発表・新ミックス・ライヴなどレア音源満載の素晴らしい内容なのに、ジャケットが悪いので単なる既発曲コンピと思われただろうことが惜しい。後者を聴いていてあらためてコソフとマッスル関連をrevisited...
 ジム・カポーディ…ご存じトラフィックのドラマー。しかしこの人は嫌々ドラムを叩いていた節あり。それよりもフロントに立ちたい、俺は人の後ろで地味にやってる性分じゃないぜ…だったはず。ジム・ゴードンを雇うとタンバリンを持って前に出てきた。ゴードンが去ると次はマッスル・リズム隊を起用、とにかくドラムをやる気なし。ソロも積極的だったのはウィンウッドと対抗できるソロアクトの自信があったからと思う。自身の期待ほどではなかっただろうが、それでもソロ作は高水準。
 '72 1st_ oh how we danced
 '74 2nd_ whale meat again
 '75 3rd_ short cut draw blood
 '78 4th_ the contender / daughter of the night

とりあえず追うのはここまで。サードまでがトラフィック時代と同様のアイランドから。4th はポリドール移籍初盤。
 アイランド時代1&3枚目はマッスル/ロンドン録音で、2枚目が完全マッスル録音だった。マッスル録音はたぶん2回だろう、曲を3枚に振り分けている。マッスル録音には英国勢も加わっていた。クリス・ステイントン/ビーバップ/ラビット/ジーン・ルーゼルらとともにコソフも…。72年盤ファースト収録曲うち "big thirst" "last day of dawn" "don't be a hero" "how much can a man really take" "anniversary song (oh how we danced)" の5曲にコソフ参加。75年サードにも1曲のみだがリードを弾いている。同じアイランド所属ゆえか、マッスルに詣でたコソフ。
 『blue soul』には "anniversary song" が収録されているがこれは、アイランドのハウス・エンジニアで Free セッションでもお馴染みの Richard Digby Smith による、コソフのギターを前に出した remix versionに。

カポーディは思いの外叙情的なスロー曲を書く人で、アイランドでの3枚ではハード・ドライヴィンな曲とスロー曲とが、マッスル/ロンドン仲間の絶妙なバックトラックのおかげでうまく機能していた。が、その後がいけない。どうしても売れたかったんだろう_トム・ジョーンズのプロデューサーだったピーター・サリヴァンを立ててアルバムを制作に入る。結局これが頓挫する。ここでよくある話だが、その時のテープがシングルになったり次作に入れられたり…。78年『コンテンダー』がそれで、あちこちのセッション寄せ集め_まとまりのない駄作に。『daugther of the night』というのは、英盤『コンテンダー』のアメリカ発売に際して改題(ジャケも変更)/3曲差し替えただけの盤。サリヴァン・セッションからは、ロスにおいてエド・グリーン/チャック・レイニー/ディーン・パークス/レイ・パーカーらをバックのAOR調も含まれていた。ロック感覚の乏しいポップス志向は正直悪あがきの域。
 この時期のシングルなどのレア・テイク収録CDを入手したので、そのなかからめぼしい曲を紹介したい。

capaldi_tricky.jpg

 73年シングル_「tricky dicky rides again」
歌詞が watergate... と始まる、ジャケもこの通りでどうやらニクソン批判_政治的な歌のようだ。コソフも参加したマッスル・セッションの1曲だが色が合わずにアルバムから外し、シングルに廻したのだろう。正直マッスルで録る意味はない楽曲でコソフのギターも無理目。この曲も『blue soul』収録はディグビィ・スミスによる84年リミックス。78年『コンテンダー』の1曲目はこの曲のリレコで、歌詞をすっかり変えていた。
 75年のシングル「love hurts」は同年サードLP収録からのカット。エヴァリー兄弟曲カヴァーだが、同年になぜかナザレスとの競作となり、ナザレスのシングルは全米トップ10の大ヒットとなり、カポーディ・シングルは全英で7位になるヒットだった。そのB面はアルバム未収録「sugar honey」。アコースティック・スウィングのロカビリー調でなかなかいい曲、カポーディのオリジナル。エレキでリードを弾くのはクリス・スペディングと思える。もう一本のギターはピート・カーの音なので、この曲もマッスル録音だろう。

78年『コンテンダー』は前記通りにとっちらかった印象しかない盤だが、タイトルトラックのみ注目に値する。"the contender" と題された映画(結局未完に終わったらしい)、このサントラ主題曲を依頼されたカポーディは、過去の自作曲を流用、歌詞のみを変えた。その元曲は "you and me" という。これもマッスル・ショールズで録られながらオクラになっていた楽曲で、リードをコソフが弾いていた。初出はコソフの追悼盤『KOSS』。そのバックトラックを使い、歌の差し替えとリズムギターを追加している。もちろんオリジナルのほうが断然良い出来、楽曲の良さとともにコソフのソロも屈指の名演。


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