2019年01月05日

ダイク・リースク




サンプラザへ行ったワ。ヴァン・ダイクは、この次ぎだっけ?_六本木のスウィートベイジルでも観た。そのときはベースがリースク、目の前2mぐらいのところで弾いていてヒゲがベース弦にかかりながらやっていたっけ。
サンプラザで、ライヴ終わると隣で観ていた米国人が話しかけてきた。「ヴァン・ダイクって米国ではこんな大きなホールでやれる人じゃない、そんな知名度がないんだけど、なんで日本じゃこんなに人が集まるの? あたしゃビックリよ…」
僕は答えた、「たしかに日本ではコアな人気者だけど、今日ここに日本中からすべてのファンがひと目みたくて集合したから…」と。


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2019年01月04日

記事タイトル

ダミ声のハゲ親父…自らを三文役者と称した名脇役、殿山泰司も没してすでに30年か、話が通じなくなってるのも無理ないわなァ。ジャズとミステリィをこよなく愛した趣味人でもあり、その文章が_とにかく面白く書けたエッセイストでもあった。頁をめくる指がもどかしいほどに面白い小説をクイクイ本≠ニ呼んでいた殿山、本人の本こそまさにクイクイ本でありましたワ。ひとりツッコミ文体は、軽薄文体ともいえるが、がらっぱち/べらんめぇ口調ともどもけしてオフザケではないんだな_銀座生まれの東京人の「照れ」以外の何物でもありゃ〜せんよ。そのエッセイ本、かなり読んだが手元には一冊もなし。が、先日本屋にてちくま文庫『殿山泰司ベスト・エッセイ』を発見、買う。即読了。編者がいての、そのコンピゆえに、ボクの記憶のなかの爆笑頁は少ないカンジだったがまあいいか。久しぶりのタイチャン節じゃけんね、ウヒヒ。
 著作表題でしばしばあなあきぃ≠使った殿山、軍国主義/軍隊に翻弄されたことが恨み骨髄ゆえだろう。「お上」への不信感は深い。最下級兵として軍馬の世話に当たるが上官は言う_「ウマは安くないが、貴様らは赤紙一枚で召集可能、いくらでも替わりが利く」と。暴力/リンチの嵐に人間性が崩壊寸前まで追い込まれた様子。「それにしても日本の軍隊てのは、もっと親切にやさしく新兵を教育できなかったのかね。そこから「怨」が生まれ、いざ戦闘時にウシロから上官を撃つ兵も生まれたのだ」という文章もある。人を馬以下で物としか考えなかった報いとはいえ、戦地での最大の敵は背後の部下とは、この最低の/戦闘の意思統一が成されていない軍隊は、相手軍勢の前に既に負けていたか。
 思うが、明治期にサッチョーなんて田舎モンが国の仕切りにまわったところからおかしくなったなこの国。田舎モンは戦争好きだから、意味なくマチズム/男尊女卑がベースだから。自民党という田舎モン集団は、だからこそその明治が大好きなんだよな。気を付けないとまた戦争おっぱじめるよ。幕藩体制の終了は必至だったとしても、シティボーイ慶喜がTOKYO仕切りをしていれば、いまごろ国会議員の半数が女性だったかも。いまの米のヤバさも、マッチョな交戦主義田舎モンの多数支持がトランプに集中しているという悪夢ですわな。

関連本_『三文役者の死』新藤兼人著(岩波・同時代ライブラリー)も読みたくなりアマ/マケプで10円買い(送料300円)。
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心機一転

昨年だが、TV番組『凄かったプロ野球選手ベスト20だか30だが…』をやっていたが。
「今後も絶対に出ませんよ! 凄い記録ですねぇ」と皆して持ち上げていたのは、鉄腕稲尾の年間42勝。しかしその記録達成は他の先発投手で始まった試合。同点で進んだ八回からやおら稲尾の登板で勝利を掴む。そりゃ今ならそんなワガママきかないでしょ、その意味では越えられない。(その42勝、スタルヒンに並ぶタイ記録。うがってみれば外人の記録は日本人が破れ!≠フ意識が監督始め全体の総意だったのでは_ある種の排他的ニュアンスすら感じる)
結局「記録は作れるもの」、なのにいまも記録を後生大事にする日本プロ野球の姿勢に呆れる。金田の400も同じ事。監督よりも偉かったらしく、勝ち試合途中で「よっしゃ、ワシが投げるでぇ」とマウンドに登ったそうな。それでなけりゃそんな数字に届きませんて。スポーツは「記憶」こそすべて、ああ「数字/記録」偏重のバカらしきことよ。
金本の手首骨折をおしての片手ヒット=Aこれも何なのいったい? 全イニング連続試合出場記録のためという。監督はなぜ言わなかったのか_「それは君個人の記録だろう。君にとっては連続試合かもしれないが、今日初めて甲子園へ観に来たファンには初めての金本、その1試合目ではないか。その人に最善のコンディションの金本を見せることが君の使命だろう。片手が使えない選手をお金を払ってまで観たいと思うだろうか。ベンチにいなさい」と。
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2019年01月03日

Planet

追記で朝妻一郎。
http://music-calendar.jp/2017123001
これは一昨年となる1年ちょい前の記事だが、ほんとに業界の人…それもアメリカ音楽業界とも繋がった人であることに驚きますワ。ジミー・ハスケルとかスティーヴ・バリという名前は、僕にとっては「ジャケ買い」対象人名以外のなにものでもなかったから。こういうポップスの世界でも裏方とガチに付き合っていた日本人がいたんだなァという思い。
バリの名前は当然PFスローンとともに、それとランバート=ポッターなどとABC / Dunhill 盤のクレジットで見るそれ。アレンジャーならばニック・デ・カロやペリー・ボトキンなどもエサ箱でのレコめくりで探した。

ラジオのなかで、小田和正にパブロ・クルーズのエンジニアを紹介したという話が出てくる。それは Bill Schnee で、小田の盤は『K. ODA』という86年/ファンハウス盤。ポーカロ/ハンゲイトというTOTOのリズム隊をバックにしたロス録音。実はこの盤のデザイン・クレジットが KOSH となっていることを数年前に発見して驚かされたのだ。それで当時のファンハウスのデザイン室チーフがいまも面識あるのでメールで伺った_デザインに関してもまったく日本側で関知することなかった(US制作であった)ので、なぜコッシュが起用だったかは分からない_とのことだった。しかし今気付いたのは、ビル・シュネイはかなりの売れっ子で関わった盤は相当数であるが、なかで Planet Records 盤のほとんどでその名が見えること。プラネットは、かのリチャード・ペリーが立ち上げた(が、短命に終わる)レーベルでコッシュがほとんどのデザインを担当していた。たぶんフリーの身でありながらこことはハウス・デザイナーとして契約していた…と想像する。小田盤、録音がシュネイの個人スタジオとある。シュネイからのオファーかどうかは定かでないが、コッシュとシュネイの関連を強く感じる。それでもこのジャケ仕事はコッシュらしさは皆無なんだが…。無理にこじつければ、コッシュ仕事でも傑作だった78年盤、ステファン・ビショップの『Bish』を踏襲したモノクロ写真使い…か。


koda.jpg

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著作権管理

深い深いポップス秘話。これはポップス・ファン必聴_ラジコで数日のみ。
「ニッポン放送 2019 New Year's Greetings Program 朝妻一郎 MY MUSIC ON THE RADIO 僕とラジオと音楽と 」

大滝・山下らポップス・オーソリティのそのまた上の世代、60年代リアルタイマーであり、ラジオでのポップス・アーリーデイズの仕切り役だった人は、アサヅマさんじゃなくてアサツマさんだったのね。高崎一郎/木崎義二/亀淵昭信ら諸兄の名前も。
興味深い話ばかり。「帰ってきたヨッパライ」を買い付け≠スのが朝妻だったからなのか。ラジオではオファーのなかで一番若かったから任されたというがきっと加藤和彦が、ポップス話であまりに詳しい御仁と知ってのことだろう/この人ならばこの曲のセンスを理解していると_(チップ・マンクスを想起した逸話など)。そこで気付いた、加藤の名盤ソロ『super gas』のプロデュースにあった "Mr. Morning" とは朝妻のことだろう。それからの絡みと想像するのは、ミカ・バンドのデビュー盤のボーナス・シングルB面は高崎/亀淵のナレーションだったこと。
そしてはっぴいえんど、特に大滝との深い関係はアメリカン・ポップスのソウル・ブラザーゆえでしょうな。モコ・ビーバー・オリーブにスペクター/パリス姉妹曲を歌わせた朝妻に大滝が狂喜したことは想像に難くない。でもってナイアガラにてオリーブ(シリア・ポール)のプロデュースした大滝。シュガーベイブがデビュー直前にデモ録音したのがLF(ニッポン放送)スタジオというのも朝妻がらみでのことだろう。
個人的なことだが_初めて買ったBB盤は 15 Big Ones 。そのワナパイ日本盤で邦題『偉大なる15年』。76年のこと。そのライナーノーツは朝妻一郎/木崎義二/亀淵昭信/八木誠、偉大なるポップス四天王…か。
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2019年01月02日

prize plate

https://twitter.com/KUNIKIDA_OFFICE/status/1078832736897458176

暮れのTV、レコ大見ていたけど…「企画賞」、番組始まってすぐだったな。
それにしても、一応関係者の末席と思っているがこの楯の実物を見せてもらえるのかねぇ。てか、この投稿氏はどちらの方?ワーナー社員? どこで撮ったんだろう、ワーナーミュージックに飾ってあるのだろうか…
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2018年12月16日

Irma 7"

アーマ・トーマス盤『in between tears』がらみでアルバム未収録シングルもあったことを知って、スワンプ・ドッグやらメイコン・リズム・セクションやらデュアン・オールマンとピート・カーと…その他諸々をあらためて書こうかと思ったが、マッスル関連はなかば使命感なんだが、さして面白みのない楽曲まで書き入れる必要はあるのか_いやいや、資料価値はあるだろうとか考えたりしたが、使命感はだいぶ薄れてきて面倒が先に立ち、お茶を濁してやめにしたくなったワケで…。
https://youtu.be/pzhxUcHgiqk
https://youtu.be/P4iXnqfj0VM
シングルA/B面、70年 Canyon からで作・プロデュース・アレンジがスワンプ・ドッグ。

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2018年12月10日

Sakatomi Post Cards

春先から、ひさしぶりに水性絵具を出したらちょいと面白くなって何枚か小さく描いてみた。で、練習がてらに思いついたのはハガキ大に描いてリクエスト葉書にしてみようという_それで日曜『サンソン』へ出してみたのが以下15枚。it's not the spotlight は3枚描いたので都合13曲分。ルーサー・イングラムのみ採用されたが、まあ確率としてはそんなモンだろう。


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2018年10月18日

青空

garage band で録ってみたELO曲。コードが同じだけで別曲だが。昔の斉藤和義、「歩いて帰ろう」を意識した。あれはモータウンビードだが。アコギとエレキを重ねて、ドラムは打ち込み。ベースがない、持ってないので無し。歌詞は友人に書いてもらった。



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2018年10月14日

Toni Wine

古いマッスル関係の資料をネットで見ていたら思わぬ名前に出くわした。トニ・ワイン。
リアルタイムで言えばアーチーズとドーンがあったが、中学生にはあくまで「全米ヒット曲」であっただけ。後にトニがその裏方と知る。"sugar sugar" のアウトロ前のシャウトがトニの声。ドーンの初ヒット「恋するキャンディダ」のライターのトニ。さらに追えば、マインドベンダーズのヒット "groovy kind of love" がトニ&キャロル・ベイヤー・セイガー作であり、トニ自身が16才で自作でデビューした早熟のSSWであった、スペクター・ワークにも貢献した…。70年代にもパートリッジ・ファミリーへ楽曲提供していたし、要するに若年から長きに渡りNYティンパンアレーで活躍した才能溢れる女性。
 そんな生粋ニューヨーカーのイメージだったトニ・ワインにマッスル録音があるというのは意外だった。70年にソロ名義で3枚のシングルをアトコからリリースしている。

take a little time out for love / sisters in sorrow (atco 45-6736)
he's not you / let's make love tonight (atco 45-6773)
I want to see morning with him / groovy kind of love (atco 45-6800)

69年11月22日号 Cash Box 誌の記事では「トニはプロデューサー Herb Bernstein とともにマッスル・ショールズで(アーウィン・リヴァインとの共作)3曲を録音した/レーベル未定」とある。シングル6曲うち3曲のみなのか/どれがその3曲か、他の3曲はどこの録音か_その詳細は不明。
トニの南部詣でにはチップス・モーマンが関係ありそうだ。メンフィス音楽界の大立て者モーマンとトニが結婚していたとは知らなかった。メンフィスの american studio の設立プロデューサーとはいえ、ダン・ペンと "do right woman" "dark end of the street" などを共作していたモーマンはマッスルとも無関係でない御仁。トニの7〜80年代活動は南部/NYを行き来だった様子。
残念ながら上記6曲うちUTにあるのはセルフ・カヴァー "groovy kind of love" のみ。
 https://youtu.be/yplGEdrURYE
聴くに、いなたいリズム隊はNYではないのでは。ギターもレジー・ヤングに思える、この録音はメンフィスではないだろうか。 
ちなみに "sisters in sorrow" はブレンダ・リー/ "I want to see morning with him" はペトゥーラ・クラークがカヴァー。トニのシングルリリースと同時期で、どちらもモーマン・プロデュースによるメンフィス録音アルバム収録曲。


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