2019年06月09日

銀粉

マルコム・レベナック死去の報。またひとりロック・ギャイアントが消えた、とくにニューオーリンズ再評価の旗手だった人だけに惜しい。
ドクター・ジョンといえばGumboであるけれど、僕の一番印象深いのはTVパフォーマンス。70年代後半に洋服ブランド JUN はいまのテレ東で洋楽番組のスポンサーをしていたがそのひとつは30分枠でアメリカの3番組を交互に流すというもの。「ソウル・トレイン」「(ドン・カーシュナーの)イン・コンサート/ロック・コンサート」「バート・シュガーマンの)ミッドナイト・スペシャル」。個人的にはロックにもかなり精通してきた意識があった頃で、ミッシェル・ポルナレフのスタジオライヴ映像のバックにベースでリー・スクラーが入っていて驚いたことなどを覚えている。
この番組でガツンとやられたのがドクター・ジョンだった。その後暫くは「ドクター・ジョン、見た?」と仲間内で話題だった。
それは、バック演奏が始まっているなかでジョンは奥入口から入場、腰に持ったズタ袋から凄い紙吹雪…まき散らして客席間を練り歩いてからステージに上がる…だったが…。



はて「これ」だったのか? いやたしか練り歩きが…、となればこの曲の前の「入り場面」も放映されたのかも。

ところでこのジョンの様相、白ずくし衣装に「杖」持ち_これは僕が見た「『last time around』はっぴいえんど解散コンサート」での布谷文夫の姿とダブる。ニューオーリンズに誰よりも早く注目していて大瀧へも聴かせたのは布谷だったと、洪栄龍さんは語ってくれた_そんな布谷氏らしいドクター・ジョンへのオマージュであったはず…。などと一瞬おもったら、違うわ_ドクター・ジョン放映は1974とあるが、文京公会堂は 73-9-21でした! ジョンより早かった布谷文夫を revisited !?
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2019年06月02日

netukar

ん〜やっぱりエイモスのベスト盤は『great speckled bird』ですワイ。
そのエイモスのセッション仕事のひとつにジェリー・ガルシア盤があったが、東ウッドストックのエイモスと西フリスコのガルシア、どうも違和感が最初ぬぐえなかった。しかし、ガルシアの盟友ジョン・カーンがマリア・マルダーのバックを務め(一時期は恋仲)、スペックルド・バード仲間のペダル・プレイヤーのバディ・ケイジはガルシアの後を受けて new riders of purple sage に加入等々、ウッドストック組がなにかとガルシア周辺とからんだこともあって、エイモスとガルシアも納得ス。
さていまにして思えば、70年初夏の列車ツアー・イベント『festival express』こそがそのきっかけ、であろうよ。イアンとシルヴィア(great speckled bird) /ザ・バンド/ジャニス・ジョプリン、その他カナダ勢も加わってのジャムりながらのカナダ・ツアー。その面子からして仕掛け人はアルバート・グロスマンと思えるが、DVDクレジットにはその名が見当たらない…。蛇足だがグレイド・スペックルド・バードは、70年といえば来日、大阪万博カナダ館にてライヴだったから、このツアー後に駆けつけたんだろう(やはりツアー参加していたマシュマカーンも一緒_霧の中の二人)。

ちりめん(voice)夫婦のイアンとシルヴィアによる "C. C. Rider"。ガルシア/クルーツマン/ウェアが加わり、リード<xースはトッド・ラングレンだな、ケイジのペダルにエイモス・ギターら東組。デラニー&ボニーの顔も。ドラムはアラン・シュワルツバーグかも。この手のギグにありがちでステージに人が多過ぎなれど、やっぱり光るのは、眼鏡(レイバン・サングラスか)のエイモスのプレイ。珍しくストラト使用だが、最高。




https://youtu.be/rvnhh0xfB6U

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2019年06月01日

捕殺

プロ野球…場内アナウンスがいつからか格闘技£イ。この国の幼児化はどうかならぬか。若人向けにはこのほうが受ける/カッコいい…し、サッカー人気に圧されてる対抗策とか、その程度が狙いなんだろう。ガキ受けしか考えない愚がニッポンの病巣。「品格」が無いヨ、捨ててるヨ。社会はもっと熟成してしかるべきでしょ。ガキはただでさえ減ってんだから無視して、落ち着きと格調を重視せよ/取り戻せよ。それとユニフォームも、コロコロ変えるのも見苦しいねぇ。品が無いス。ヤンキースのピンスト≠見よ、倣えよ。

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補完

http://crea.bunshun.jp/articles/-/21024

いやべつにIQ169だからって人前で「天才なんだぞ」と宣言することもないと思うがなぁ_まあ天才のやるこた分からない。そんな天才が幼児期からの音楽ライフを語っておりまして。
僕は、たぶんそう多くはいなかった_ハルヲフォンの大ファン。大体のレコードも持っているし、当時のライヴも観ていた。僕の個人的な意識ではハルヲフォンとは_
  (マッコイズ + イクォールズ)÷ ロクシー・ミュージック
ジーリンガー兄弟のマッコイズは、デビュー時にレコード会社 BANG! の社長バート・バーンズによって拳銃に_リック・デリンジャーとされたがデビューで全米1位が取れたから良しか。お次のイクォールズはまず知られないか? のちにポップ・レゲェ・ヒットを放つエディ・グラントがヴォーカルだったUKポップバンドは "baby come back" の一発屋がせいぜい。しかし四つ打ちベースがブンブン飛ばして_そこがハルヲフォンにも継がれている_キャッチーなメロ曲を連発、いいバンドだった(と知るのは後だったが)。そして、イーノの影響も強く感じたハルヲフォンだったが、いかんせん近田のベシャリが達者すぎたのが_モップスもヒロミツのMCも同様だったと書いたな、どちらのバンドもコミカル路線と取られたマイナスが大きすぎたと思う。

僕の持論?だが日本のロックは「慶応+立教(一部青学)から始まり_ようするにエエとこのボンボン(=だから当たり前)」。幼稚舎から慶応の近田だが、なるほど慶応ロックのエースだった成毛氏との関係からこの世界でしたか。
ムッシュのバックをやれそうになったときに裕也さんに一蹴されたくだりは面白い!「あの時以来、私は内田裕也の一家の者になったんだなと観念し、今日までずっとやってきて…」(笑)
そうでした、ハルヲフォンのデビュー時のキャッチコピーは:
「近田よ、おまえこそ真のロックンローラーだ!」(内田裕也)
だったねぇ。
アミューズのドン、オオサト氏とのからみも知らなかった。アラン・メリルと友人というのは知っていたけど、そのアランと近田とドラムの金沢ジュンとのパワートリオ、ゴジラの由来がTレックスに対抗したものだったのも面白い事実。(ここでは述べられていないが近田のデビューバンドは羅生門じゃなかったか) ゴジラは自然消滅でデビューを逸す。

https://youtu.be/VvEP6OQyRbM

金沢ジュンはハルヲフォンの準メンバーと思っていた、このごくごく初期ギグではドラマー恒田義見がパーカッションに回って金沢が参加_と思っていたがいま調べるとここでのドラムは、チャーが参加していたバッドシーンあがりの長谷川という人らしい。タカラのダッコちゃんとのタイアップ曲のこの「funky ダッコ No.1」がハルヲフォンのデビューシングルだが希少という意味だけでレア、僕は持っていない、欲しくもないが…。これはハルヲフォン名義になってしまったが単なる企画物で、別扱い。
+
TレックスのTはティラノサウルスだからゴジラで対抗か。ミカ・バンドの「オーロラ・ガール」などもTレックスを模したブギだったが、日本ロックへの影響は大きい。しかし、そのライヴ_特に武道館ステージのヘタさ加減は特筆モノで、いまに語られる「歴代のヘタな来日ミュージシャン」ではジョイ・ディヴィジョンと一二を争うヘタレぶり、マーク・ボラン。ペイル・ファウンテンズも相当だったがね。
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2019年05月30日

Miyasaka says

いやイカンいかん、なにげに前を読み返したら「意気地」のところでえらく恥ずかしい間違いをしていた。ハンソン盤に参加のジーン・ルーゼルの前バンド名をジューシー・フルーツなんて書いてしまった。ジューシー・フルーツはイリヤじゃないか、近田春夫じゃないか。正解はジューシー・ルーシーだよな。
ルーシーといえばあの暑苦しいジャケ_フルーツ&エキゾチック美女、盤(美女…は無理あるか)。面白いバンドだったがね。ペダル・スチールが活躍だがカントリーでなくブルースしていた。パブ・ロック系列だったろうか、メンバー変遷的に「ある一派」のひとつのバンド。ココモやファミリー、アルヴィン・リー・バンド、グリース・バンド…と、なんだっけ。
+
ところで、イリヤは知り合いテッチャンの幼なじみと聞いた、なので西荻の人だろう。僕とは同い年のイリヤなのだ。会ったことないけど。それと、ちょうど近田春夫の面白いインタビューをネットで見つけたところ_ それに関しては宮坂おとーさん的「明日のこころだ〜ぁ」((c) 小沢昭一)
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2019年05月26日

keep searchin'

https://www.facebook.com/dennyokuyama

兄キ:奥山惠一郎の訃報もこうして拡散、だいたい伝わった気がしている。が、「センター」関係者には伝えるすべが無く困っている。その道では有名な人たちだがネット経由連絡先がどうにも見つからない。「センター」とは「子ども調査研究所」のこと。いまでも存続しているかもよく分からない。かつて兄キが大変お世話になった、僕も同様で…なのにご無沙汰したきり、心苦しい。
センター、今で言う裏原宿の古びたマンションの二室がその場所だった。肩書きは児童評論家かな、所長 高山英男率いた会社、しかし全く会社らしくないのが魅力の不思議空間だったのだ。電通・博報堂にありそうな若者リサーチ・センターとかそういうニュアンスの、その独立会社で「はしり」だったのかもしれない。児童というより若者/青年のリサーチが主たる仕事だった。大人相手に物怖じしない、ちょいと尖った(生意気な?)若者が多数出入りしていた場所。同時期に渋谷陽一も来ていたと兄キから聞いたことがある。
高山さんがいて、教育評論家の斉藤次郎さんがいて、近藤純夫さん、富岡さん、玉造さん…みなさんお元気だろうか。ネットにはこうある_【高山さんは、大島渚、寺山修司さんら当時の第一線の人間たちと付き合い、手塚治虫さんをはじめとするあらゆるマンガ家と交流していた。そして、編集者の嗅覚で、若い無名の人材を発見することについても天才的であった。学生時代に子ども調査研究所に集まっていただけでも、僕の他に、ジブリの鈴木敏夫さんや、マンガ評論家の村上知彦くんらがいた。僕らの下の世代でも、あらゆる領域で活躍している人たちがいる】。兄キも高校のころから出入りし始めたが、たぶん「マンガ」きっかけだったろう(センターの人は皆、マンガのエキスパートだった)。最初の結婚の媒酌人を近藤こんちゃん¥ヵvさんにお願いしたほどに懇意にしていただいたセンター…。
僕も最初は兄キにくっついて、18の頃から。その後はひとりで_電話一本してはお邪魔する、お茶飲みながら小一時間も。近くへ服を買いに行ったときなどアポも取らずに押しかけた。彼女を連れて行っても歓迎してくれて。割の良いバイトも何度も振ってもらったな_電通がらみの。広い講堂での新商品CMモニター/新飲料試飲モニターやら、電通会議室での若者10人電通マン2人で話し合うバイトはとりわけ高ギャラだった。
*
好きなときにお邪魔して好きなことを喋っても聞いてくれる_ユートピアなフリー・スペース、あんな場所はちょっと無いナまったく…。
=
=
と…ここまで書いたのは、サーチでなにかが引っ掛かってくれてセンターの誰かしらに伝われば、の思いで。がしかし、もしかしたら兄キは最後にセンターに不義理があってとても連絡できないままだった…そのままにしておいてくれよ、だったとしたら_そんな事が頭をよぎる。突然の死去というのは、本人にも残された側にも残酷なものかもなァ。

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無沙汰

新聞投書欄、60才女性_『友人と集まるといつも話題になるのは「最新トイレは流し方が分からない」…』『ユニバーサル・デザイン時代、なんとかしてほしい』と。ごもっともで、ワタシ60男性も痛感しておりますワ。しかしなにも老齢とかのせいじゃなくね?わけ〜奴も分からねぇんじゃね? 
世界で最新か、日本のトイレ便座も自慢はいいがデザイン優先は困りもの。社長は実際に使っているのかを問いたい。アップルならば、最新機種発表で登場はトップ。ある時期まではジョブズだった。トップが自ら自社製品をアピールしたが、はてTOTO…社長は最新便座の機能を記者発表しているのか。こんなに使いやすくなった、水量は抑えた、流し方も楽になった…試していてないしょ。経団連懇談会へ行くだけが仕事か? 
デザイナーはいままでにない≠ゥっこよさばかりを追求しますよそりゃ。機能性/ユーザビリティ二の次で。ジョブズならば、こんなモン誰が使いこなせる?_と一蹴したはず。それができないダメダメにっぽん企業のボンクラなトップら、ガラパゴスもやむなし。(諸説あります)
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2019年05月25日

解析

ひとつ戻り、デモッテ…。和文英文のことだが、ハンソンはジュニア・マーヴィンだったがこのジュニア・マーヴィンとあのジュニア・マーヴィンは同名異人だったことをレゲェ・フリークはかなりの間気付かなかった、と思う。「同名」でもなかったんだが…。
「あの」の方は、クラッシュもカヴァーしたレゲェ名曲「ポリスとこそ泥」オリジネイター。ウェイラーズの(ハンソン)マーヴィンは Junior Marvin で "police & thieves" は Junior Murvin 。スペルが違うからUK音楽マニア(USにジュニア・マーヴィンを知る者はいないんじゃね?)はすぐに分かっただろうが、日本人にはどっちも「ジュニア・マーヴィン」だったねえ。



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2019年05月21日

徒花

デジタルにデザイン商売していてAdobe Software は必須、MUSTであるからしてデザイナーは誰もアドビ様には逆らえない、絶対君主となっている。そのアドビ様ご乱心? ここへ来ておかしな動き。まあ絶対王にありがちとも言えるが、平民に対して脅しをかけてきた_古いバージョンのアプリなんかいつまでも使ってるヤツぁ、たたっ切るぞ、と。「今後もライセンスが終了したバージョンを使い続ける場合、第三者から権利侵害を主張される可能性があることに十分留意してください」とな。これ、まず US Adobe から英文メールが届き、今日は日本アドビから和訳で届きました。水飲み百姓にはおっしょろしぃ〜〜!お言葉でございますダヨ。
それはあっさりスルーするとして…お金の話。現在は1年毎に Creative Cloud (CC) 契約を余儀なくされていたので¥64,540を年貢として収めていたダ。が、脅しとバンドルで年貢もアップとの噂。更新月は6月なので、なにか手はないかとネチれば、救世主アマゾンが値引き販売しておるで〜とのこと。
見れば、なるほど。安くなっていた。1/2/3年分のCC(アプリ使用料)があった。当然長いほど値引率が上がるので 3年=36ヶ月を購入したよ。¥64,540 × 3 、知らずにいたら¥193,620(プラスの値上げ分)が「自動更新引き落とし」されていたところ。それが、¥143,200 がアマゾン・プライス。これはお得でしょ。てか、みんな知ってたか? オレだけ馬鹿正直に何年も自動更新を続けてた?
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2019年05月19日

意気地

デモッテ_日本語英語問題のレココレ今号、これはないなと思うのが新譜CD批評での『ハンソン』。メンバーの「ジューシー・フルーツのジーン・ラッセル」とあるが、Jean Roussel _カナ書きならばジーン・ルーゼルだろう。セッション参加の多かった人でね、あちこちでクレジットがあった。
小さいコマという制約はあるが書き出しの「ジャマイカ生まれでイギリス育ちのギタリスト、ジュニア・ハンソン」だけはないと思う。ここは「ボブ・マーリー&ウェイラーズの…」が必須のはず。
実際、ハンソンがバンド名でなくギタリスト個人名であることを知り、それがウェイラーズのジュニア・マーヴィンのことと知った時は驚きだった。
ハンソン名義では2枚のLPで、レココレはセカンド『magic dragon』リイシュー紹介だったが、このバンド(「ハンソン」というバンド名とも言えた)はファースト『now hear this』だね、やっぱり。

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ELPのマンティコアからでヘビ・イラストのジャケット_とても手を出す気になれない盤というのが73年リリース時の印象、速攻で流した。しかし後年、これがイケる British Soul の傑作盤と分かって_。二期ジェフ・ベック・グループ/ハミングバード/トラフィックのメンツらによるセッション・プロジェクトであったかな。リーダー役がジュニア・マーヴィン。本名 Donald Hanson Marvin Kerr Richards Jr. 、なのでハンソン。
posted by denny-0980 at 11:42| Comment(0) | Assorted | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする