2019年04月08日

Albert Bros.

デモって_つづき。
インタビュー、ピート・カー以外でもマッスル四人衆からデヴィッド・フッド/ジミー・ジョンソン。サンドリンはないがポール・ホーンズビィ。それとロン&ハウィ・アルバート兄弟も登場。
フッド/ジョンソンは若干口が重い感あり。The FAME gang(フェイム・リズム・セクション)としてふたりはデュアンと1年半ほどか同じ釜の飯を食った仲ではあるが…当時を回想してのデュアンの言葉を雑誌だったか、読んだ記憶がある。「やつら(セッション・ミュージシャン)はセコいのばっかりでね、誰かが新車を買ったと見ればすぐにオレもオレもと同じ車に乗ってやがる。音楽よりも車だ冷蔵庫だクーラーだ…音楽的な向上心てのが無いんだな。オレは違うよ、いつまでもこんなところにゃいるつもりはない」。それを思い出してか、若干反論気味のフッドだが。
ホーンズビィ、結成前夜からデュアンの死まで、オールマンズの長く重要なパートナーであったから貴重な証言だろうけれど、いかんせん口ごもった語りは聞き取れない。ほぼ何言ってるか分からなかったので残念。
Ron & Howart Albert brothers。オールマンズ『idlewild south』『eat a peach』のエンジニア。収録すべてではなく、クライテリア録音曲。フロリダ州マイアミのスタジオ、Criteria Studio のハウス・エンジニアだった兄弟。デュアンの知名度を上げる要因のひとつがご存じ『レイラ』への客演。英国人の見果てぬ夢?_スワンパーになりたい!を、デイヴ・メイスンやウィンウッドら同様に「こじらせて」いたクラプトンが、ゴードン/ホィットロック/レイドルを引き抜いて勝負をかけたデレク&ドミノーズ。アルバム録音は、既にクリーム時代から馴染みがあったクライテリア(それとトム・ダウド・プロデュース)。しかしこのインタビューまでアルバムがアルバート兄弟のエンジニアリングと僕は知らなかった。それは当時買った日本盤の裏ジャケにはクレジットが無かったから。今日まで日本ポリドールが、曲名からパーソネルまで一切を「わざわざ」消していたことを知らなかった。(なぜそんなことをしたのだろうか?) 考えてみればクライテリア録音なら兄弟がエンジニアで順当なんだが…。米盤クレジットをみるとエンジニアはロン&ハウィ/チャック・カークパトリック/カール・リチャードソン、そしてスタジオ設立者のマック・エマーマン。フル・スタッフとは力の入った録音であったな。

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前にも書いたことだが、サザン・ロックを語るときに重要なのが3州の絡み_フロリダ/ジョージア/アラバマ。なかでフロリダは、カリブ諸国への玄関口からラテン・イメージ/避寒地イメージが強くて「南部感」が薄いが、実は70年代サザンロッカーの多くがフロリダから出てきている事実は要チェック。ジョージア州のスタジオ・ワンで活躍したアトランタ・リズム・セクション(ex-クラシックス・フォア)の主要メンバーもフロリダ出身。オールマンズの結成に参加したブッチ・トラックスは後 Cowboy のスコット・ボイヤー、デヴィッド・ブラウンと 31st of February をやっていたがこのトリオはジャクソンヴィル出身。同様にレナード・スキナード、ジャクソンヴィルの高校生バンドだった。
ヘンリー・ストーン/スティーヴ・アレイモら、マイアミ・サウンドの大立者が実は後に花咲くサザン・ロックと深い関わりがあったことも、ハワード・アルバートのインタビューに出てくる。

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2019年04月07日

The 5 Men-Its

デモって…。

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Song of the South : Duane Allman and the rise of the Allman Brothers Band

デュアン/オールマンズのファンにはまったくの期待外れ…な作品なれど、マッスルショールズ・マニアには、それと僕以外にいないだろうピート・カー・マニア、嬉しい映像作だった。字幕なしでインタビューの3割しか分からなかった…のに、だ。
「オールマンズ結成前夜」を詳細に追っているところがミソ。DVDへのコメントに「既出写真ばかり」なんてあったがそれはオールマンズ・ファンとしての言葉、「前夜」を知らぬ輩。オールマン兄弟の幼少期やデイトナ時代の写真には見たことのないのがずいぶんとあった_レアフォト。
禿げ上がったピート・カーのインタビューがかなり長尺で嬉しい。長い理由はオールマン兄弟との付き合いが深かったから。ピートは地元デイトナで15才のときにデュアン/グレッグ兄弟と出会っている。3〜5歳年上の兄弟ふたりは、ナッシュヴィル生まれで幼いときにフロリダ州デイトナに越してきていた。いくつかのバンドを経て The Allman Joys としてセミプロ活動時、その楽屋へ押しかけたピートは2人の前でギターを弾くと、デュアンに「なかなかヤルじゃないか」と認められる。ジョイズを解散して、The Hourglass としてロスへ出て本格始動する兄弟だが、そのセカンドLPにベースとして参加したのがピート(ファーストでのベーシストのレブロンが遁走したので急遽代役)。
して、そのアワーグラスなんだが、このビデオでやっと分かったことがあった。まあ重箱隅の些末話_。デイトナで、ジョイズと対バンしていたのが The 5 Men-Its というバンド。その音源も含むCDが05年に出た(#126参照)が、それでもマッスルやオールマン兄弟との関係は分からないままだった。第一にその読みが_「ファイヴ・メン・イッツ」ではなかった。このビデオでやっと得心ス。「ファイヴ・ミニッツ」が正解だったんだ。これで5分≠セったわけ。五人組だから。で、05年CDだがジャケがこれ:

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ドラムのバスドラが「時計」になっていたのはそういうことだったか。そのドラマーはジョニー・サンドリンで、ギターがエディ・ヒントン、キーボードがポール・ホーンズビィ…それが5ミニッツだった。このバンドからサンドリンとホーンズビィを引き抜いてオールマン兄弟は The Hourglass という五人組バンドで、ニッティ・グリティ・ダート・バンドのジョン・マキューエンの兄キ(バンドのマネージャ)の知己を得て Liberty レコードのコンタクトを取り付け、花のロサンゼルスへ出ていった、という顛末。サンドリンはオールマンズのプロデューサー、ホーンズビィはマーシャル・タッカー・バンドなどを手掛ける_ふたりは実質的に Capricorn レーベルを音楽面で仕切ったが、それは後々のこと。勢い勇んで乗り込んだロスだったが、時代の音楽傾向/レーベルの思惑にマッチしなかったアワーグラスは辛酸をなめることに_そこらをこのビデオはかなり詳しく語っている。失意の兄弟は、デイトナに戻ったデュアンとロスに残ったグレッグに分かれる。デュアンはギターを買われてアラバマ・マッスルのフェイムにスタジオ仕事を見い出す。そのなかで出会ったフィル・ウォルデン(オーティスのマネージャだった)がデュアンを見初めて「ソロ」で売り出すこと、およびジョージアの田舎町メイコンでレーベル設立を計画する。話にデュアンは乗るがソロは拒み、弟を呼び寄せてバンド結成=オールマンズ誕生と。ヒントンは既にフェイムのギタリストになっていた。サンドリンとホーンズビィもレーベル話に乗って、座付きバンドの Macon Rhythm Section(サンドリン/ホーンズビィ/ピート・カー/ロバート・ポップウェル)として再始動。
(蛇足:後にクルセイダーズ参加で知られる敏腕ベーシスト、惜しくも亡くなったロバート "POPS" ポップウェルの業界始めがこのメイコンでの裏方。デイトナ生まれでピートとは同い年。十代のときからの音楽仲間だっただろう)

つづく
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2019年02月27日

T. Rex / Beckett

http://sakatomi.seesaa.net/article/455156423.html
コッシュによるT. Rexワークを2作品としてしまったが間違いだった。73年盤『Tanx』も。そこからの3作がコッシュ・ワークであった。前作『the slider』がピークで、かろうじて人気を保った感があった『Tanx』。その後の迷走・低迷は、大好きなボランだったから正直辛いモンがあった。もともとT. Rexとはボランのワン・マン・バンド…でもあったが、トニー・ヴィスコンティとの「ふたりプロジェクト」名という言い方が適切だ。スティーヴ・トゥック、ミッキー・フィンと相方を必要としたのは、ワムと一緒だったんじゃないだろうか。ボランの stage fright からと想像しているがどうか。

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この盤のジャケットは出た当時からいままでずっと見てきたがコッシュ色皆無、そうだったのか_意外にしか感じない。文字周りにらしさが見える程度。

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対しこちら『Bolan's Zip Gun』、なかなかに良し。センターに菱の型抜きでインナースリーヴの顔を出す緩いギミック・カヴァーだが、これはアンディ・フェアウェザ・ロウ盤『spider jiving』と同様。拳銃モチーフはファミリー盤『it's only a movie』インナースリーヴでも見られた。過去盤との共通点もあり、コッシュらしい仕上がり。内容的にはヴィスコンティとも分かれ、タイトルもボランと言い切ってしまった…完全なる一人仕様がわびしくもあり…。

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もう一枚、コッシュ仕事を。かなり無名バンド、ベケットという。
https://youtu.be/qQb5vSYGeek
TOGWT、74年放映回の頭と尻、2曲をリップでやっているバンド。ギターはブラックモアでなし、ヴォーカルは…コメントのなかに「テリー・リードじゃん」なんてあるが確かに声・顔は似ている。さにあらず、僕はこのシンガーが結構好きなんだ、テリー・ウィルソン・スレッサーが名前。このベケットはアルバム1枚のみだが次ぎの就職口は、ポール・コソフが自作から発展させた Back Street Crawler だった。コソフ死後は Crawler となる。英国で活動だがアメリカン。想像だが、同様に英国渡りで活躍したラビット(こと John Bundrick)の古い仲間、ツルんで英国へ来たのでは。この無名バンドのジャケをコッシュが担当したのは、プロデューサーの名前から理解できる_ファミリーのロジャー・チャップマン。ファミリー自身とリンダ・ルイスなど仲間盤のみのリリースだった Raft Records から。このレーベルはファミリーのセルフ・レーベルであったのだろう、デザインの大半はやはり仲間だったと思えるコッシュが担った。
エロチックな意味を持たせているような気が少しするこのイラスト、はてコッシュが描いた? これまたコッシュ調とはかけ離れた凡作というか何というか…。

追記:いや、Terry Wilson-Slesser は英国人かも。BSCはベーシストが Terry Wilson という名でややこしい。ベース/ドラム/キーボードがアメリカンだったらしい。スレッサーは…本人オフィシャルブログがあるがこれがズルズルでなんだかよく分からない。
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2019年02月23日

マッスル参考盤

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#000
【Tony Wilson / catch one】
produced by Ron & Howard Albert
( '79 bearsville )


「ブラザー・ルーイー」…ストーリーズといえばこの一発ヒット、73年見事に全米1位。日本では「ブラザー・ルイ」だったこの曲、シングルを買ったほど好きだった。哀愁のマイナー進行は日本人にも好み、弦好きなのでとくに良かったのはその弦とギターの絶妙なからみ。この曲が後にカヴァーと知る。英国のホット・チョコレートというバンドがオリジナルと。
今回あらためてネチれば_ストーリーズのわずか半年前リリースでUKではトップ10ヒットだったんだね。プロデュースが大御所ミッキー・モウストでそのRAKレコードから。ドラムがコージー・パウエルか、語りの部分はアレクシス・コーナーですと。実に英国らしいプロダクションであったのだな。
そのホット・チョコレートの、リーダーにして同曲のライターでもあった黒人シンガーがトニー・ウィルソンという人物であると「レココレ」誌にある。英国人のこの人がUSロックの良心? Bearsville からアルバムを出していただけでも驚いたが、その盤は全10曲うちベアズヴィル録音は2曲のみ、残り8曲がマッスル・ショールズ・スタジオというではないか。
しかしこのジャケ…とても入手する気にならず。なにゆえあのヴェアズヴィルがこれを?_そこはやっぱり商売でしょう。良心だけではおマンマは食えぬ。UK渡りでは Foghat のヒットでレーベル存続もあったし。商売なのはマッスルも一緒で、前に入れたフレンチ系カナディアンのディスコ盤しかり。でもってこれも実にディスコですわ。全編を聴いてはいない。UTにアップされた数曲だけで済ます。それで十分トホホゆえにもしも入手しても聴き通すことができそうもない…。
しかしマッスル8曲、バックはしっかりしていて_四人衆全員とランディ・マコーミック、リードギターは元ステッペンウルフのラリー・バイロム担当、ローズ=チャーマーズ=ローズがコーラス。ベケットがシンセでノリノリだよ、ああ困ったモンだ。すべてのラッパ/弦・アレンジがマイク・ルイスというところがミソ。この人はマイアミはクライテリアのハウス・アレンジャー。で、プロデュースをみればロン&ハウィー兄弟。このふたりの名はステファン・スティルス仕事でもっとも知られるだろう。クラプトン仕事も。つまりはこのふたりもクライテリア所属の裏方(だった、現在は自身のスタジオ経営)、そのマッスル出張り仕事盤。79年でクライテリア…分かるね、ビー・ジーズが爆発的にディスコ≠ナ当たっていた時期。その余勢でどうにかならぬかとベアズヴィルも期待してしまった盤と思う。
アルバムはこけたトニー・ウィルソンだがそれなりの印税は手にしただろう_というのは、この盤に収録の1曲が、ベアズヴィル・シンガーだったランディ・ヴァンウォーマーと「共作」した "just when i needed you most" 。日本でも「アメリカン・モーニング」としてヒットしたAOR名曲のひとつ。ランディはこのアルバム直後のソロ盤で自身で歌ったが、そのシングル・カットがみごとに全米トップ10ヒットとなる。ランディ曲はもちろんベアズヴィル録音だったが、トニーのテイクはマッスルでの録音。


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蛇足:ベアズヴィル2曲、ハーヴィ・ブルックス/カル・デイヴィッド(ともに fabulous rhinestones)は地元だがアレンジが西海岸拠点のジーン・ペイジ、もっと意外なのはドラムがコーキー・レイング。マウンテン〜ウェスト、ブルース&レイングとくればヘヴィなドタバタ・ドラマーと想像されそうな、あのレイング。ただしこの人は Capricorn から上出来のソロ盤を出している(#078参照)。ピート・カー活躍で曲よし、ソングライトの才のある人だった。クラプトンも参加盤。

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2019年01月03日

Planet

追記で朝妻一郎。
http://music-calendar.jp/2017123001
これは一昨年となる1年ちょい前の記事だが、ほんとに業界の人…それもアメリカ音楽業界とも繋がった人であることに驚きますワ。ジミー・ハスケルとかスティーヴ・バリという名前は、僕にとっては「ジャケ買い」対象人名以外のなにものでもなかったから。こういうポップスの世界でも裏方とガチに付き合っていた日本人がいたんだなァという思い。
バリの名前は当然PFスローンとともに、それとランバート=ポッターなどとABC / Dunhill 盤のクレジットで見るそれ。アレンジャーならばニック・デ・カロやペリー・ボトキンなどもエサ箱でのレコめくりで探した。

ラジオのなかで、小田和正にパブロ・クルーズのエンジニアを紹介したという話が出てくる。それは Bill Schnee で、小田の盤は『K. ODA』という86年/ファンハウス盤。ポーカロ/ハンゲイトというTOTOのリズム隊をバックにしたロス録音。実はこの盤のデザイン・クレジットが KOSH となっていることを数年前に発見して驚かされたのだ。それで当時のファンハウスのデザイン室チーフがいまも面識あるのでメールで伺った_デザインに関してもまったく日本側で関知することなかった(US制作であった)ので、なぜコッシュが起用だったかは分からない_とのことだった。しかし今気付いたのは、ビル・シュネイはかなりの売れっ子で関わった盤は相当数であるが、なかで Planet Records 盤のほとんどでその名が見えること。プラネットは、かのリチャード・ペリーが立ち上げた(が、短命に終わる)レーベルでコッシュがほとんどのデザインを担当していた。たぶんフリーの身でありながらこことはハウス・デザイナーとして契約していた…と想像する。小田盤、録音がシュネイの個人スタジオとある。シュネイからのオファーかどうかは定かでないが、コッシュとシュネイの関連を強く感じる。それでもこのジャケ仕事はコッシュらしさは皆無なんだが…。無理にこじつければ、コッシュ仕事でも傑作だった78年盤、ステファン・ビショップの『Bish』を踏襲したモノクロ写真使い…か。


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2018年12月16日

Irma 7"

アーマ・トーマス盤『in between tears』がらみでアルバム未収録シングルもあったことを知って、スワンプ・ドッグやらメイコン・リズム・セクションやらデュアン・オールマンとピート・カーと…その他諸々をあらためて書こうかと思ったが、マッスル関連はなかば使命感なんだが、さして面白みのない楽曲まで書き入れる必要はあるのか_いやいや、資料価値はあるだろうとか考えたりしたが、使命感はだいぶ薄れてきて面倒が先に立ち、お茶を濁してやめにしたくなったワケで…。
https://youtu.be/pzhxUcHgiqk
https://youtu.be/P4iXnqfj0VM
シングルA/B面、70年 Canyon からで作・プロデュース・アレンジがスワンプ・ドッグ。

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2018年12月10日

Sakatomi Post Cards

春先から、ひさしぶりに水性絵具を出したらちょいと面白くなって何枚か小さく描いてみた。で、練習がてらに思いついたのはハガキ大に描いてリクエスト葉書にしてみようという_それで日曜『サンソン』へ出してみたのが以下15枚。it's not the spotlight は3枚描いたので都合13曲分。ルーサー・イングラムのみ採用されたが、まあ確率としてはそんなモンだろう。


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2018年10月18日

青空

garage band で録ってみたELO曲。コードが同じだけで別曲だが。昔の斉藤和義、「歩いて帰ろう」を意識した。あれはモータウンビードだが。アコギとエレキを重ねて、ドラムは打ち込み。ベースがない、持ってないので無し。歌詞は友人に書いてもらった。



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2018年10月14日

Toni Wine

古いマッスル関係の資料をネットで見ていたら思わぬ名前に出くわした。トニ・ワイン。
リアルタイムで言えばアーチーズとドーンがあったが、中学生にはあくまで「全米ヒット曲」であっただけ。後にトニがその裏方と知る。"sugar sugar" のアウトロ前のシャウトがトニの声。ドーンの初ヒット「恋するキャンディダ」のライターのトニ。さらに追えば、マインドベンダーズのヒット "groovy kind of love" がトニ&キャロル・ベイヤー・セイガー作であり、トニ自身が16才で自作でデビューした早熟のSSWであった、スペクター・ワークにも貢献した…。70年代にもパートリッジ・ファミリーへ楽曲提供していたし、要するに若年から長きに渡りNYティンパンアレーで活躍した才能溢れる女性。
 そんな生粋ニューヨーカーのイメージだったトニ・ワインにマッスル録音があるというのは意外だった。70年にソロ名義で3枚のシングルをアトコからリリースしている。

take a little time out for love / sisters in sorrow (atco 45-6736)
he's not you / let's make love tonight (atco 45-6773)
I want to see morning with him / groovy kind of love (atco 45-6800)

69年11月22日号 Cash Box 誌の記事では「トニはプロデューサー Herb Bernstein とともにマッスル・ショールズで(アーウィン・リヴァインとの共作)3曲を録音した/レーベル未定」とある。シングル6曲うち3曲のみなのか/どれがその3曲か、他の3曲はどこの録音か_その詳細は不明。
トニの南部詣でにはチップス・モーマンが関係ありそうだ。メンフィス音楽界の大立て者モーマンとトニが結婚していたとは知らなかった。メンフィスの american studio の設立プロデューサーとはいえ、ダン・ペンと "do right woman" "dark end of the street" などを共作していたモーマンはマッスルとも無関係でない御仁。トニの7〜80年代活動は南部/NYを行き来だった様子。
残念ながら上記6曲うちUTにあるのはセルフ・カヴァー "groovy kind of love" のみ。
 https://youtu.be/yplGEdrURYE
聴くに、いなたいリズム隊はNYではないのでは。ギターもレジー・ヤングに思える、この録音はメンフィスではないだろうか。 
ちなみに "sisters in sorrow" はブレンダ・リー/ "I want to see morning with him" はペトゥーラ・クラークがカヴァー。トニのシングルリリースと同時期で、どちらもモーマン・プロデュースによるメンフィス録音アルバム収録曲。


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2018年09月02日

Kossoff / Capaldi solo years

ポール・コソフは、僕にとってピーター・グリーンと並ぶ二大ギターヒーローだった。そのコソフ、死後に2枚の追悼盤_『KOSS』『blue soul』が出た。どちらも2枚組の上、未発表・新ミックス・ライヴなどレア音源満載の素晴らしい内容なのに、ジャケットが悪いので単なる既発曲コンピと思われただろうことが惜しい。後者を聴いていてあらためてコソフとマッスル関連をrevisited...
 ジム・カポーディ…ご存じトラフィックのドラマー。しかしこの人は嫌々ドラムを叩いていた節あり。それよりもフロントに立ちたい、俺は人の後ろで地味にやってる性分じゃないぜ…だったはず。ジム・ゴードンを雇うとタンバリンを持って前に出てきた。ゴードンが去ると次はマッスル・リズム隊を起用、とにかくドラムをやる気なし。ソロも積極的だったのはウィンウッドと対抗できるソロアクトの自信があったからと思う。自身の期待ほどではなかっただろうが、それでもソロ作は高水準。
 '72 1st_ oh how we danced
 '74 2nd_ whale meat again
 '75 3rd_ short cut draw blood
 '78 4th_ the contender / daughter of the night

とりあえず追うのはここまで。サードまでがトラフィック時代と同様のアイランドから。4th はポリドール移籍初盤。
 アイランド時代1&3枚目はマッスル/ロンドン録音で、2枚目が完全マッスル録音だった。マッスル録音はたぶん2回だろう、曲を3枚に振り分けている。マッスル録音には英国勢も加わっていた。クリス・ステイントン/ビーバップ/ラビット/ジーン・ルーゼルらとともにコソフも…。72年盤ファースト収録曲うち "big thirst" "last day of dawn" "don't be a hero" "how much can a man really take" "anniversary song (oh how we danced)" の5曲にコソフ参加。75年サードにも1曲のみだがリードを弾いている。同じアイランド所属ゆえか、マッスルに詣でたコソフ。
 『blue soul』には "anniversary song" が収録されているがこれは、アイランドのハウス・エンジニアで Free セッションでもお馴染みの Richard Digby Smith による、コソフのギターを前に出した remix versionに。

カポーディは思いの外叙情的なスロー曲を書く人で、アイランドでの3枚ではハード・ドライヴィンな曲とスロー曲とが、マッスル/ロンドン仲間の絶妙なバックトラックのおかげでうまく機能していた。が、その後がいけない。どうしても売れたかったんだろう_トム・ジョーンズのプロデューサーだったピーター・サリヴァンを立ててアルバムを制作に入る。結局これが頓挫する。ここでよくある話だが、その時のテープがシングルになったり次作に入れられたり…。78年『コンテンダー』がそれで、あちこちのセッション寄せ集め_まとまりのない駄作に。『daugther of the night』というのは、英盤『コンテンダー』のアメリカ発売に際して改題(ジャケも変更)/3曲差し替えただけの盤。サリヴァン・セッションからは、ロスにおいてエド・グリーン/チャック・レイニー/ディーン・パークス/レイ・パーカーらをバックのAOR調も含まれていた。ロック感覚の乏しいポップス志向は正直悪あがきの域。
 この時期のシングルなどのレア・テイク収録CDを入手したので、そのなかからめぼしい曲を紹介したい。

capaldi_tricky.jpg

 73年シングル_「tricky dicky rides again」
歌詞が watergate... と始まる、ジャケもこの通りでどうやらニクソン批判_政治的な歌のようだ。コソフも参加したマッスル・セッションの1曲だが色が合わずにアルバムから外し、シングルに廻したのだろう。正直マッスルで録る意味はない楽曲でコソフのギターも無理目。この曲も『blue soul』収録はディグビィ・スミスによる84年リミックス。78年『コンテンダー』の1曲目はこの曲のリレコで、歌詞をすっかり変えていた。
 75年のシングル「love hurts」は同年サードLP収録からのカット。エヴァリー兄弟曲カヴァーだが、同年になぜかナザレスとの競作となり、ナザレスのシングルは全米トップ10の大ヒットとなり、カポーディ・シングルは全英で7位になるヒットだった。そのB面はアルバム未収録「sugar honey」。アコースティック・スウィングのロカビリー調でなかなかいい曲、カポーディのオリジナル。エレキでリードを弾くのはクリス・スペディングと思える。もう一本のギターはピート・カーの音なので、この曲もマッスル録音だろう。

78年『コンテンダー』は前記通りにとっちらかった印象しかない盤だが、タイトルトラックのみ注目に値する。"the contender" と題された映画(結局未完に終わったらしい)、このサントラ主題曲を依頼されたカポーディは、過去の自作曲を流用、歌詞のみを変えた。その元曲は "you and me" という。これもマッスル・ショールズで録られながらオクラになっていた楽曲で、リードをコソフが弾いていた。初出はコソフの追悼盤『KOSS』。そのバックトラックを使い、歌の差し替えとリズムギターを追加している。もちろんオリジナルのほうが断然良い出来、楽曲の良さとともにコソフのソロも屈指の名演。


posted by denny-0980 at 07:34| Comment(0) | Muscle Shoals | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする