2017年11月18日

Ducks

知らなかったねぇ…ニール・ヤングが77年、「二ヶ月半」だけやっていたバンドがあったなんて。それが個人的にどツボ。当方にとっての五大パフォーマーのうちの2つが組んでいたのだから。
ニール・ヤングとモビー・グレイプ。

https://youtu.be/rz8pZecv6yI

「Neil Young & The Ducks」
NY : guitar, vocal
Bob Mosley : bass, vocal
Jeff Blackburn : guitar, vocal
Johnny Craviotto : drums, vocal

モビーのベーシストにしてぶっとい声のシャウターだったモズリーとNYが一緒にやっていたとは。NYはソロで輝くパフォーマー。クレイジー・ホースとの録音/ステージも、たしかにホースのグルーヴも素晴らしいモンがあるが、それでもフロントアクトNYの引き立て役。その意味でこの Neil Young & The Ducks …モズリーやジョニーCの曲もやる/歌うとなるとその「バンド感」からNYファンとしては食い足りない感じであろうな。それを承知のニールだったかも…長く続けるつもりでなく、ジャムったら思いの外気持ちいいので少し人前でやってみた、と。実際このサンタ・クルーズ始めローカルなギグのみだった様子。
 それにしても個人的には最高だ_モズリーの曲でニールがリードを弾くなどはたまらない。ニールのソロ/バッファロー曲でモズリーの声が被るのも…。
"gypsy wedding" _モビーのリユニオン盤『20 granite creek』の頭のモズリー曲は、翌年のソロ作でもリレコした代表曲、このぶっとい曲にニールのギターはハマるハマる!
"truckin' man" が唯一のモビーグレイプ曲だがこれもよし。
小さめのハコだったんだろう、間近にこのギグを見られたらどんなに気持ち良かったことか…。

前年76年にモズリーは1枚のアルバムをバンドで¥oす。
【Fine Wine】(Rocky Road Records / Polydor)


finewine.jpg

長いこと「モビーグレイプの変名盤」と信じていた、ロス録音ながらドイツ盤しか出なかったレアな1枚。入手出来たのは23年ぐらい前、馬場ディスクファイルで見つけたときは驚いた、価格も_¥300。モビーではなかった、モビーからのジェリー・ミラー/モズリーが Michael Been, Johnny Craviotto とで、四人バンドだった。



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2017年11月13日

60s pop

昨日は、山村のジェリー・ロス特集その1、そこでかかった…当方のベスト・ロス・ソングはやっぱりこれだ、キャンディー&キッシーズ "The 81" 。Do the eithy-one.... って何の意味だろうか?  Dance Craze は分かるンだが、なんで「81」? まそれはともかく、ロス=ケニー・ギャンブル作、ギャンブルにとっては出世作かな。ご機嫌なナンバーといえば即これを思い出すほどにめっちゃ好きな曲。モータウン・マナーではあるが、フィリーとデトロイトの微妙な関係はいろいろな曲で見え隠れ。
 でもって、夜のラジオ日本では宮治さんが生放送。お題は「食べ物の曲」。昼に山村を聴いていたからと、ロスにからめてかけたのは_ジェイ&テクニクスの「アップルパイは恋の味」。これまた好きなんだよなあ。

こういう60年代半ばのポップ・ヒットを掘り出したのは、さて何歳ごろであったかと思い返すに…ハタチ前後か。大学2年、ぼちぼちパンクの色がちらつき始めた1977年は、「ホテル・カリフォルニア」の大ヒットであったと記憶。ん?『アメリカン・グラフィティ』もこの頃だっけ? そこで一大オールディーズ・リヴァイヴァル…過去の音源も相当にリ・イシュー盤が出た。 




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5月の仕事『ソフト・ロック・ナゲッツ』、その vol. 4 はUK編。佐野さんのライナーノーツ、<作曲はホリーズの「bus stop」「I can't let go」を書いて大ヒットさせていたグラハム・グールドマンで…>と原稿にあった。「佐野さん、" I can't let go " はグールドマンでなくチップ・テイラーだからトルツメしましたよ」とメールしたら、「そうでした。奥山さんとの仕事は安心できます_」の返信…それが佐野さんとの最後のメール会話であった。
 チップ・テイラーとアル・ゴーゴニの共作、オリジナルはイーヴィ・サンズだったがビートの利いたホリーズのヴァージョンのほうがいいね。佐野さんに捧ぐ_




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2017年11月10日

never a dull moment

頭のなかでロッドのある曲が浮かんだ_曲名が分からないが歌詞に "millionaire" が出てくるそれ…。こんなときにネットは便利、即出てきた。ロッドのソロの "True Blue" 、アルバム『never a dull moment』の頭の曲。UTで聴いたら…やっぱりいいねぇ〜!(ただ、ビリオネアのロッドは never been a millionaire といまも歌うか?) ロッドのベストな時期、歌もいいがウッディ・ギターが、細かい指使いだがほんとに凄くいい。なんでストーンズなんかやってんだろうか、この人は。ロッドと組んでこそ活きたのに…。


US-JP rod.jpg


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ちゃんと聴こうと思い、アナログを引っ張り出す。2枚ある、US Mercury original ('72) と日本盤リイシュー(78年頃)。この2枚をひさしぶりにまじまじと見て、そして聴き比べて…まったくの別物であった。
 携帯で撮っているので荒いが色の違いは分かるだろう。右の日本盤のまあ色の薄いことよ。酷いモンだ。どうやったらこんなに退色させたジャケットを作れるのか、それを平気の平左でよく商品としたよ(店頭での日焼けではない。買ったときからこれだった)。もちろん日本盤は廉価シリーズだったのでジャケもシングルスリーヴ。対し、US盤は Tri-Gatefold というかなり珍しい変形ジャケット。裏ジャケが「上」に開く仕様で、その上下(30×60cm) が繋がって一つの作品になっていた。当時のロッド/フェイセスのビジュアルモチーフはアールデコ=B見事なデコ装飾/アイテムの部屋になっている。そしてこの縦長「写真」だが、元はモノクロ。それに after tinting と呼ばれるが、筆での色付け作業を施しているはず(明治初期から、写真が入ってきた頃の日本でも同様にモノクロ原板に色づけすることが流行った)。そしてこれのセンターの折り目がじつはポケットになっていてそこにレコードが収められている。ウチ面は見開きが「ふたつ」、なので tri-gatefold なのだ。
http://denny-inside.seesaa.net/article/453532745.html

ジャケも違えば音も…。US盤のガッツある音圧がほぼ感じられない日本盤のショボさ。当方、別にオリジナル至上主義ではない、けれども圧倒的にプアなリイシューはある。
 しかしオリジナルというならロッドならUK盤だろうと言われそう。が、ロッドは US Mercury 契約アーティストであった_この盤でもジャケット・デザインはシカゴの AGI 。しっかりした紙質からしてもUS盤がオリジナル…と思う。






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2017年11月06日

RIP 佐野邦彦さん

イラストレーター大嶽好徳さんを介して知り合った佐野さんと、M&Mというポップス志向のインディ・レーベルのCDワークを始めたのは1993年だった。下のリンク頁を読んでもらえば分かるが、当時グレーゾーンだった「隣接権CD」…M&Mとその姉妹レーベル A-Side のデザインをかなり好きにやらせてもらった記憶。
まずは『レア・ワークス・オブ・ブライアン・ウィルソン』(M&M mmcd-409)

rareBW.jpg

世にはけして出てこないサーフ/ホット・ロッドの仙人コレクター氏から提供の音源を含め、佐野さんが詳細なライナーノーツも書いた盤。


Vanda 誌上では使っていたんだろうが、当方は佐野さんと絡んで初めて「ソフト・ロック」の言葉を使った/銘打ったCDはこれだったと思う。レーベル写真で埋めたのでライナーノーツはないがコンパイルは佐野さん。

MGO_m&m.jpg

『イエローバルーン』。今見ればオリジナル・ジャケットままでもよかった気がするCD化。五人を切り抜いてバック変えて、文字も描いたんだが…ちょっとうるさい感じだ。ボートラ付けたから変えようという話になったような記憶も。これもM&Mから。ライナーが佐野さん。

THE_YELLOW_BALLOON_THE+YELLOW+BALLOON-546944.jpg

これらM&M(A-Sideのジャケ仕事も)CDでのクレジット。佐野さんは本業が別にあってのこと、なかば「趣味」での音楽ワークだったので臆すること無く本名で通していたが、当方は細々ながらメジャーレーベルのCDもやっていたので名前を出しにくく変名とした(それほどのモンでもないのに、腰が引けていたか)。"Smile-0-Honey" "Pay-O-La design" "Wild Honeymoon studio" …毎回思いつくままに。


VANDA誌のデザイン・ワーク。24号までを担当していたデザイナー氏がなにかの理由で続けられなくなった…かな、25/26号は出版社の営業担当氏に仕事の合間にやってもらっていた。彼がさすがに片手間で続けるはキビシいとなり、佐野さんから依頼されて当方が快諾。さてそこで、それまでが内容はともかくデザイン的にはきびしいモノだった、で…紙質含め一新させてもらった。

vanda_3.png

佐野さんの本懐であるソフト・ロックの、総まとめ本、その改訂版を手伝った。400頁近い本文組みは辛かったが佐野さんから頼りにされたとあらば…。「和物」も続いた。

01soft_rock.jpg

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そして今春の「ソフト・ロック・ナゲッツ」が久々に佐野さんとの仕事だった…。
http://sakatomi-works.seesaa.net/


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ネットでしか入手できないBBのレア音源だとか…珍しい音をR焼きでわざわざ送り届けてくれた佐野さん。長い付き合い、どうもありがとう。佐野さんとの親交があったから他にも音楽書籍もやらせてもらえたし、人とのつながりもできた。Vanda のデザインを気に入ってくれた中山康樹さんからBBムック(河出書房)を一冊任されたり…。いまでもとりあえず仕事が続けていられるのも佐野さんとの出会いのおかげ。
それにしても、佐野さんは悪筆だったんだよなあ。ほとんど暗号みたいで「解読」に苦労させられた。しかしもうあの解読も無しかと思うと寂しいもの…。



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2017年11月03日

Hello Goodbye

http://www.webvanda.com/2014/06/ds-talk-sessiondenny.html

かけがえのない友の訃報が辛い。人付き合い悪く友人が極めて少ない当方だが、互いに気に掛けていた/掛けていてくれた佐野邦彦さんの死は心に穴を開けた。今年始めにメールで会いたい旨を送ったら体調が万全でないので…との返事。しかし、facebookを見る限りは、車いす生活の不自由はあるようでも精力的に過去の音源記録を紹介していて、これなら…と思っていた。暮れに年賀状に「どうですか? 伺ってもいいかな?」と書くつもりだった_年明けにはご自宅へお邪魔したいと思っていたのに。
 最後になったのは、5月に出たワーナージャパンからの『ソフト・ロック・ナゲッツ』の4枚CDに関してで、メールやりとり。久しぶりに佐野さんライナー/当方デザインの仕事だった。
 Talk Session もいまのところ最後が佐野さんとなってしまっている…。

http://www.sakatomi.com/framefirst.html


佐野さんが、断トツのベストと言っていたB4チューン:


(こういう曲をTV番組に使う傲慢さ、無神経さに怒りすら覚えるよ)


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2017年10月29日

last week

・台風下での衆院選。その豪雨でなんと雨漏り。マンションの、五階建ての四階だが上に部屋なし、問題箇所はルーフバルコニーだった。管理会社へ即連絡。担当氏がまず来て、作業員を呼び応急処置。今後もシミた壁紙交換やら面倒は続きそう…。

・「広辞苑」。91年発売の版は220万部出たというのに、今回第七版、当面の目標は20万部とか。なんたる下落か。出版文化の低迷・衰退は目を覆うばかり。

・TBSラジオ、ジェーン・スー番組。毒蝮のコーナーがあるから聴く気にならない。もういいでしょ、ジジババいじりは。大御所の首に鈴はつけられないのかねぇ〜、TBSとしては。永六輔が永世パーソナリティであったのと同様の措置、なのか? スーが可哀想。

・プロ野球、いつからだろうか、選手・監督が「シーズン中に」引退・辞任発表するようになったのは。邪魔だがなぁ、釈然としない。最終日まで試合の指揮を執るから/試合に出るから_観に来てくれろ、という事だろうか。多分に「営業的」な匂いがする。本人はその気でなくともフロントから指示されるのかもしれない。 全てが終わってから発表が筋というものだろう。引退試合なんて大仰なもんは国民栄誉賞クラスだけでいいのでは。オフシーズンに発表し翌年開幕試合のアタマに、「長らくお世話になりました…」と一言挨拶すればどうだろう。

・殊勝な首相。内心ではウハウハの高笑い…ざまあ見さらせ、希望オバハンよ!なのに、少しでも笑顔を見せれば叩かれると踏んでるな、無理して殊勝な顔付き。余計に腹立つノリ。

・フーミン、これが一発目? ピチカート小西作、なるほど。「スキスキスー」…どうなんだろう、ステッペンウルフからのインスパイアだろうか。もちろんタイトルだけの話。
"Sookie Sookie" だが、ドン・コヴェイ曲とは/コヴェイ=クロッパー作とは長いこと知らなかったねぇ。ジョン・ケイの曲と思っていた。
https://youtu.be/MR0NMR9F3Bo

・キャラ「民主くん」、リッケンバッカー持って再登場? 考えることは皆いっしょか…。わが立憲バッカー党の公認キャラはどうしよう?

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2017年10月21日

then came bronson

ツイッターで知ったこと、ショッキング・ブルー "Venus" には元歌があったという。
この曲、70年の全米1位。日本でもラジオでかかりまくっていた、中二だった当方もすっかり気に入り、買ったシングルはいまもある。ジャケに書かれた「全米1位」の文字…チャートトッパーとして最初に意識したのがこの曲だった記憶。エキゾチックなマリスカ・ヴァレスの顔立ち、哀愁の曲調は「アメリカ的ではない」が、日本人に受けるタイプ_ツボにはまった。
後に色々と知るが、仕掛け人がポップス・マエストロのジェリー・ロスだったのに驚いた。まさにアメリカらしいポップスを出しまくったロスとは。そのロス、ヨーロッパへ曲探しの旅に出たそうな。オランダで光るバンドを見つけ米へ持ち帰り、あらたなレーベル、コロッサス Colossus を彼ら用に立ち上げた。連れてきた3バンドが Shocking Blue, George Baker Selection, Tee Set 。出した曲、「ヴィーナス」「リトル・グリーン・バッグ」「マ・ベラミ」と、さすがに目利きロスだけあったすべてヒット、なかで一番が「ヴィーナス」だったと。しかしなんでオランダ人がジョージ・ベイカー? と思ったらリーダーのオランダ人にそう名乗らせたロス_発音がアメリカ人に辛いので変えさせたんだろう。この「リトル・グリーン・バッグ」は…日本のCMに使われること幾度か、最多CM使用ソングはこれでは? 超カッコいいしね。ただし、この曲はこの大所帯バンドの曲としては異質だった。本来は "paloma blanca" に表れるような「酪農な人たち」というか、牧歌なバンド。

で、ショッキング・ブルーの「ヴィーナス」だが、これもバンドの「オランダ時代の持ち歌」…といままで信じていたのだが。たしか、オリジナルテイクは少しもったりしていたのでジェリー・ロスはアメリカ発売に際してピッチを上げたと記憶(ボブ・マーリー&ウェイラーズの "concrete jungle" に同様の処理を施したクリス・ブラックウェル…)。
 オランダから持ち込みでなく、この曲は The Big 3 "The Banjo Song" が元という。
https://www.youtube.com/watch?v=9uqnN3ek2vI

 なるほどなるほど、こりゃ言われますナ。てか、コメントもそればっかり、ショッキング・ブルーの Robbie Van Leeuwen はモロにパクったぞと。
 「Oh! Susanna」の歌詞にティム・ローズがあらたなメロディを付けた…ということか。しかしビッグ・スリー曲をオランダから来た輩が知っていたとも思えないが。想像だが、これはジェリー・ロスのアドバイス≠ネのでは。この曲いいからちょいとヒネってみれば面白いかもよ…とtweetしたんじゃね?
ロスにとっては旧知の三人だろう、ビッグ3とはティム・ローズ/ママ・キャス/ジェームス・ヘンドリックス。名前だけは漠然としっていた_ママ・キャスの最初のグループと。キャスはその後にマグワンプスとなってママパパとなって…とか。しかし男二人はこのメンツでしたか。このティム・ローズってあのティム・ローズでしょ? SSWの。聴いたことほとんどないがなあ。レコも持っていない。ただひとつ覚えているのは「 "hey Joe" レース」のトップランナーだったこと。
 西海岸でカルトに人気を集めていたチェット・パワーズことディノ・ヴァレンティの歌っていたこの曲はたちまち人気となり、皆が歌い出した_レコーディングも競って行われたが、ヒットしたのはリーヴズのヴァージョン。バーズも『霧の五次元』で採り上げたが、クロズビーは「最初に歌い出したのは俺だ」としつこく言っていた。
 もうひとりのジェームス・ヘンドリックスは、その名のとおりに、奇しくも "hey Joe" スローヴァージョンの帝王ジミ・ヘンドリックスに名前が近すぎたのが難? ビッグ3のあとはマグワンプス〜 the lamp of childhood 。後者はダンヒルからシングルだけだったがこれがなかなかの佳曲で、趣味人には人気だろう。ソロアルバムもあったか。しかし当方としてはリアルタイムではこの人は『さすらいのライダー』の音楽仕切り。TV番組で、主演マイケル・パークスは5〜6枚アルバムを出したがすべてヘンドリックスのプロデュースじゃなかったか。曲もほとんどヘンドリックス作だった記憶。なかなかメロディアスでいいんだこれが。劇中でもよくかかっていた。バックは TCB Band_エルヴィス・ギャングで、ジェームス・バートンのギター/ドブロがふんだんに聴けた好盤…だったのになぜ今レコ棚にはないのだろう。




『さすらいのライダー』。本国放映は69〜70年だが日本では74〜75年だった_



posted by denny-0980 at 23:05| Comment(0) | Assorted | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする