2018年12月03日

黒文字

最後にちょろっと出た文字「制作:ABC-TV/ヨシモト」、昨夜『M-1』放映の話。審査員も関西優勢で。つまりは東京TV枠を買っての大阪売り込みでしょ、じつにマッチポンプ的。
東京の番組で聴かされる関西弁て個人的にはノー・サンキューでっせ、ほんま。なぜに「東京進出」に成功せねば「上がり」にならへんねん?関西芸人。政府よ、東京一極集中を問題視するならばこの芸人問題を直視せよ。地方青少年少女にとってTV影響は絶大だよ_なぜサンマ、ダウンタウン、ナイナイ、ツルベが東京へ流入してきたのか検証せねば。
べつに関西芸能が嫌いなわけでなく、子どもの頃からしばらくは大の贔屓。『番頭はんと丁稚どん』から始まって吉本新喜劇/松竹新喜劇(どちらも東京でも放映していた)を見ていた。新人ハザマカンペイも奥目も花紀京やら曾我廼家兄弟、寛美を見て、『てなもんや三度笠』を欠かさず_。落語も、特に好きだったのは桂小文枝(先代文枝)で、枝雀、露の吾郎、森乃福郎なども好きだったねえ。しかし当時の名跡は、関西は東京と並ぶ、いやそれ以上の芸所という矜恃があったはず。崑ちゃんも雁之助はん/小雁ちゃん、みな大阪に根を張ったままだった。なのにいまは大阪人気者ではたんなるローカル扱いか。地元を二流扱いにしている現状は理解に苦しむ。野球をやる以上、いまならメジャーまで行かねば…日本のプロままでは二流なのと一緒と? いや、野球では日本よりも歴史あるメジャーの格は歴然とあるだろう。が、芸事では関西が格上ではないか。その矜恃をして「東日本の芸人よ、メジャー関西で勝負せんかい!」となぜ言わないのだろう。

『笑劇の人生』芦屋小雁(新潮新書)_おもろかったワぁ

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2018年12月02日

retrospective

温故知新の川越でどうにか生き残った名画座スカラ座。なのでこうして木作りの立て看板が現役。かなり珍しいブツにいまではなっているだろう。
映画館といえば、今回は前を通らずじまいだったが、蓮馨寺の前の跡地はまだそのまま…だろう。50年前には日活の成人映画館だったか。レトロ・マニアは見納めておかなければ直に消えてしまう、はず。
その蓮馨寺の境内に、あれは16、7の時だっただろう、「見世物小屋」が…立っていたので初めて、というよりそのとき限りなんだが、覘いた。江戸川乱歩か!ここは大正の浅草か!てな気分…。


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2018年12月01日

西海岸

英語慣用句からのバンド名が、日本ではまず分からないと書いたが、風俗・政治などもそれ相応な知識を持たねば分からないことが多いのがロックの歌詞。反戦歌というのは、まあプロテスタント・ソングと日本訳されて、特に反戦フォークてな60〜70年代にはディラン等々、なんとなくそうなのね的に知ったかぶりはあったけれど_CCRでも「雨をみたかい」がヴェトナムのナパーム弾の比喩とか…しばらくしてそう言われて、あ、そうだったの?とか…いやいや「who'll stop the rain」が反戦歌でこっちは違うといわれたり…。正直「よ〜知らんけど」状態。
時代は変わり_ディオン&ベルモンツで白人ドゥーワップしていた人も、その「季節」には Abraham, Martin and John を歌った。しっとりしたいい曲やなあと思っていたが、いまにしてエイブラハム・リンカン、マーチン・ルーサー、JFKの3人は新しいアメリカを作る希望の星であったのに暗殺された指導者と思い至る。歌詞にはボビーも…JFKの弟でやはり凶弾に倒れたロバート・ケネディ。
JFKの死は相当なショックだったんだろう、そのニュースに即応してブライアン/マイクが「太陽の暖かさ」を書いた、ロジャー・マグィンは「he was a friend of mine」の歌詞を書いたとか。
反戦歌といって個人的に思うのはドノバンの曲_
 To Susan on the Westcoast Waiting
歌詞の一部からまあ「反戦」なんだろうと解釈をずっとしているが、はて…。
「ヴェトナムで闘っているアンディから、西海岸で待つスーザンへ_」




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2018年10月18日

青空

garage band で録ってみたELO曲。コードが同じだけで別曲だが。昔の斉藤和義、「歩いて帰ろう」を意識した。あれはモータウンビードだが。アコギとエレキを重ねて、ドラムは打ち込み。ベースがない、持ってないので無し。歌詞は友人に書いてもらった。



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2018年10月14日

Toni Wine

古いマッスル関係の資料をネットで見ていたら思わぬ名前に出くわした。トニ・ワイン。
リアルタイムで言えばアーチーズとドーンがあったが、中学生にはあくまで「全米ヒット曲」であっただけ。後にトニがその裏方と知る。"sugar sugar" のアウトロ前のシャウトがトニの声。ドーンの初ヒット「恋するキャンディダ」のライターのトニ。さらに追えば、マインドベンダーズのヒット "groovy kind of love" がトニ&キャロル・ベイヤー・セイガー作であり、トニ自身が16才で自作でデビューした早熟のSSWであった、スペクター・ワークにも貢献した…。70年代にもパートリッジ・ファミリーへ楽曲提供していたし、要するに若年から長きに渡りNYティンパンアレーで活躍した才能溢れる女性。
 そんな生粋ニューヨーカーのイメージだったトニ・ワインにマッスル録音があるというのは意外だった。70年にソロ名義で3枚のシングルをアトコからリリースしている。

take a little time out for love / sisters in sorrow (atco 45-6736)
he's not you / let's make love tonight (atco 45-6773)
I want to see morning with him / groovy kind of love (atco 45-6800)

69年11月22日号 Cash Box 誌の記事では「トニはプロデューサー Herb Bernstein とともにマッスル・ショールズで(アーウィン・リヴァインとの共作)3曲を録音した/レーベル未定」とある。シングル6曲うち3曲のみなのか/どれがその3曲か、他の3曲はどこの録音か_その詳細は不明。
トニの南部詣でにはチップス・モーマンが関係ありそうだ。メンフィス音楽界の大立て者モーマンとトニが結婚していたとは知らなかった。メンフィスの american studio の設立プロデューサーとはいえ、ダン・ペンと "do right woman" "dark end of the street" などを共作していたモーマンはマッスルとも無関係でない御仁。トニの7〜80年代活動は南部/NYを行き来だった様子。
残念ながら上記6曲うちUTにあるのはセルフ・カヴァー "groovy kind of love" のみ。
 https://youtu.be/yplGEdrURYE
聴くに、いなたいリズム隊はNYではないのでは。ギターもレジー・ヤングに思える、この録音はメンフィスではないだろうか。 
ちなみに "sisters in sorrow" はブレンダ・リー/ "I want to see morning with him" はペトゥーラ・クラークがカヴァー。トニのシングルリリースと同時期で、どちらもモーマン・プロデュースによるメンフィス録音アルバム収録曲。


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2018年09月02日

Kossoff / Capaldi solo years

ポール・コソフは、僕にとってピーター・グリーンと並ぶ二大ギターヒーローだった。そのコソフ、死後に2枚の追悼盤_『KOSS』『blue soul』が出た。どちらも2枚組の上、未発表・新ミックス・ライヴなどレア音源満載の素晴らしい内容なのに、ジャケットが悪いので単なる既発曲コンピと思われただろうことが惜しい。後者を聴いていてあらためてコソフとマッスル関連をrevisited...
 ジム・カポーディ…ご存じトラフィックのドラマー。しかしこの人は嫌々ドラムを叩いていた節あり。それよりもフロントに立ちたい、俺は人の後ろで地味にやってる性分じゃないぜ…だったはず。ジム・ゴードンを雇うとタンバリンを持って前に出てきた。ゴードンが去ると次はマッスル・リズム隊を起用、とにかくドラムをやる気なし。ソロも積極的だったのはウィンウッドと対抗できるソロアクトの自信があったからと思う。自身の期待ほどではなかっただろうが、それでもソロ作は高水準。
 '72 1st_ oh how we danced
 '74 2nd_ whale meat again
 '75 3rd_ short cut draw blood
 '78 4th_ the contender / daughter of the night

とりあえず追うのはここまで。サードまでがトラフィック時代と同様のアイランドから。4th はポリドール移籍初盤。
 アイランド時代1&3枚目はマッスル/ロンドン録音で、2枚目が完全マッスル録音だった。マッスル録音はたぶん2回だろう、曲を3枚に振り分けている。マッスル録音には英国勢も加わっていた。クリス・ステイントン/ビーバップ/ラビット/ジーン・ルーゼルらとともにコソフも…。72年盤ファースト収録曲うち "big thirst" "last day of dawn" "don't be a hero" "how much can a man really take" "anniversary song (oh how we danced)" の5曲にコソフ参加。75年サードにも1曲のみだがリードを弾いている。同じアイランド所属ゆえか、マッスルに詣でたコソフ。
 『blue soul』には "anniversary song" が収録されているがこれは、アイランドのハウス・エンジニアで Free セッションでもお馴染みの Richard Digby Smith による、コソフのギターを前に出した remix versionに。

カポーディは思いの外叙情的なスロー曲を書く人で、アイランドでの3枚ではハード・ドライヴィンな曲とスロー曲とが、マッスル/ロンドン仲間の絶妙なバックトラックのおかげでうまく機能していた。が、その後がいけない。どうしても売れたかったんだろう_トム・ジョーンズのプロデューサーだったピーター・サリヴァンを立ててアルバムを制作に入る。結局これが頓挫する。ここでよくある話だが、その時のテープがシングルになったり次作に入れられたり…。78年『コンテンダー』がそれで、あちこちのセッション寄せ集め_まとまりのない駄作に。『daugther of the night』というのは、英盤『コンテンダー』のアメリカ発売に際して改題(ジャケも変更)/3曲差し替えただけの盤。サリヴァン・セッションからは、ロスにおいてエド・グリーン/チャック・レイニー/ディーン・パークス/レイ・パーカーらをバックのAOR調も含まれていた。ロック感覚の乏しいポップス志向は正直悪あがきの域。
 この時期のシングルなどのレア・テイク収録CDを入手したので、そのなかからめぼしい曲を紹介したい。

capaldi_tricky.jpg

 73年シングル_「tricky dicky rides again」
歌詞が watergate... と始まる、ジャケもこの通りでどうやらニクソン批判_政治的な歌のようだ。コソフも参加したマッスル・セッションの1曲だが色が合わずにアルバムから外し、シングルに廻したのだろう。正直マッスルで録る意味はない楽曲でコソフのギターも無理目。この曲も『blue soul』収録はディグビィ・スミスによる84年リミックス。78年『コンテンダー』の1曲目はこの曲のリレコで、歌詞をすっかり変えていた。
 75年のシングル「love hurts」は同年サードLP収録からのカット。エヴァリー兄弟曲カヴァーだが、同年になぜかナザレスとの競作となり、ナザレスのシングルは全米トップ10の大ヒットとなり、カポーディ・シングルは全英で7位になるヒットだった。そのB面はアルバム未収録「sugar honey」。アコースティック・スウィングのロカビリー調でなかなかいい曲、カポーディのオリジナル。エレキでリードを弾くのはクリス・スペディングと思える。もう一本のギターはピート・カーの音なので、この曲もマッスル録音だろう。

78年『コンテンダー』は前記通りにとっちらかった印象しかない盤だが、タイトルトラックのみ注目に値する。"the contender" と題された映画(結局未完に終わったらしい)、このサントラ主題曲を依頼されたカポーディは、過去の自作曲を流用、歌詞のみを変えた。その元曲は "you and me" という。これもマッスル・ショールズで録られながらオクラになっていた楽曲で、リードをコソフが弾いていた。初出はコソフの追悼盤『KOSS』。そのバックトラックを使い、歌の差し替えとリズムギターを追加している。もちろんオリジナルのほうが断然良い出来、楽曲の良さとともにコソフのソロも屈指の名演。


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2018年08月21日

スタジオの壁

昨年七月投稿。現在のマッスルショールズ・スタジオは観光客相手/録音ワークが半々らしく、壁にかつての録音LPを飾っている_ネット拾い写真で分かる範囲を列記したが、『song to soul』のなかでデイヴィッド・フッドの背面に映るそれは去年とは入れ替えていたので_再度記す(画面で見えた範囲)。


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上段:
 joe simon / mood, heart & soul
 king curtis / get ready
 bobby womack / understanding
 bobby womack / lookin' for a love again
 tony joe white / the train i'm on
 paul davis / southern tracks & fantasies
 joe cocker / luxury you can afford
 cowboy / 5'll gotcha ten
中段:
 millie jackson / caught up
 kim carnes / sailin' 
 bobby womack / home is where the heart is
 wilson pickett / pickett in the pocket
 blackfoot / no reservations
 levon helm
 wilson pickett / don't knock my love
 john hammond / southern fried
 lulu / new routes
下段:
 dr. hook / preasure & pain
 mike finnigan
 percy sledge / best of...
 arther conley / sweet soul music
 phoebe snow / against the grain
 peter yarrow / hard times
 peter yarrow / love songs
 boby dylan / slow train coming
 duane allman anthology
 ronnie hawkins

 なんでこれ?_も散見。sticky fingers を入れないのもなぜ?(見えてないだけかも)
 並べ替えなら俺にやらせてくれないかい? パーシー『I'll be your everything』加藤和彦『それから先のことは』アンディ・フレイザー『... in your eyes』などはマストだよ…。



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2018年08月20日

percy sledge

昨夜BS-TBS『song to soul』はパーシー曲「男が女を愛する時」。
マッスルショールズを代表する楽曲は確かだが、録音は FAME でも Muscle Shoals Sound Studios でもなく、Quin Ivy のスタジオ。今は(現在も営業しているだろうか?)Broadway Studio となっている、かつての Quinvy Studio …もしくは Norala Recording Studio 。ノーララの名前で始まったスタジオだが自身の名になぞらえてクィンヴィと改称…その過渡期の録音曲。ちなみに Fame は Florence Alabama Music Enterprises の頭文字。Norala は North Alabama (Recording Studio) なんだそう。

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画面キャプチャ_四人衆が Fame Gang だった頃。場所はフェイムの駐車場だろう。
立っているのが左からジュニア・ロウ/フッド/ベケットで、座るのがジョンソン/ホーキンス。
「男が女を愛する時」セッションにはロウが駆り出されてベース_「モーリスのベースを弾いた」という。日本のモーリスでしょこれ。キーボードがスプーナー・オールハム(たぶん発音的にはオールダムじゃなくてこう)。プロデュースがクィン・アイヴィとマーリーン・グリーン。マーリーンはエンジニアもやってそうなのにここではジミー・ジョンソンだったと番組で。ギターとドラムは誰だったのだろう。
追記:
ギターはマーリーンが、ドラムはホーキンスらしい。
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2018年07月30日

luther tune


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Luther Ingram / let's steal away to the hideaway

イングラムはウォーマックと並ぶ、マッスル・ショールズ贔屓の black male singer だった。ふたりのマッスル盤はほんとに良くて、マッスル・スタジオにとっても特筆の名盤揃い。この曲は3枚目のタイトル・トラック。76年、Stax 傘下 Kokoレーベル盤。
ピート・カーのしなやかなギターとともにマッスル曲が日曜の昼に流れたのが嬉しい。ベケット/フッド/ホーキンス/ジョンソン、四人衆も一番油が乗っていた頃、最高のグルーヴ。アルバム表記は、下のベティ・クラッチャー盤と同様で " rhythm track : Muscle Shoals Sound Rhythm Section " だけ。しかしこのギターは間違いなくピート。このギター・サウンドを前年のロッド『Atlantic Crossing』と聴き比べれば、"this old heart of mine" "still love you" と「同じ」に気付くだろう。

https://youtu.be/MKf5syDBewA
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2018年07月19日

Nobody Wins Till The Game Is Over

ベティ・クラッチャー楽曲で、これはいい!と思う1曲_ジー・イメージによる。
We Three 制作ではなく、これもマック・ライスとの共作曲「勝負は下駄を履くまでわからない」。
74年のマック・ライスのシングル(Truth Records TRA-3212)"Bump Meat" 、そのB面収録がオリジナルのようだ。

Thee Image というのは…知らんよなぁ…。個人的には大の贔屓のマイク・ピネラが、この男はフロリダ州タンパの出身、ブルース・イメージで "ride captain ride" 一発ヒットを放った後にアピス=ボガートが脱けたカクタスへ入ってニュー・カクタス・バンドとしたがそのメンツままで改名したパワー・トリオで、なぜかエマーソン、レイク&パーマーが興したマンティコア・レコーズからだったのでプログレと勘違いされて?、ヒットも出ずに75年に2枚のLPを出して終わったバンド。2枚ともいいんだがね。
その2枚目の唯一カヴァーがこの曲だったのはピネラの南部魂か。


https://youtu.be/Co8yMfVZcDI

こちらオリジナルのほう。74年はベティのアルバムをマッスルで録っていたのだから、このシングルもマッスル録音ではないだろうか。いや確信する、このギターはピート・カー。

posted by denny-0980 at 08:01| Comment(0) | Muscle Shoals | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする