discogs は便利だ。この曲は1979年盤『Lena Zavaroni and her music』というLPのB面ラストに収録されている。UKのマイナーレーベルだろう、Galaxy というところから出ただけなのでレアといえばレア。自身のTV番組サントラのようだ。 さすがに歌は上手いね。この時でもまだ16_sweet little sixteen か。歌わされただろうが頑張ってます、悪くないス。
サザーランド兄弟といえば_ロッドスチュワート歌唱による "Sailing" …UKのロック・アンセムとも言われるほどメジャーになった曲だが、これのオリジネーターとして最も知られるか。72年シングル。これは、マフ・ウィンウッド(スティーヴの兄)プロデュース/Richad Digby Smith エンジニアときっちりUK仕事なんだが、75年盤『reach for the sky』は違っていた_ プロデュースがロン&ハウィー=アルバート兄弟。Fat Albert Productions 録音がロンドンの2スタジオなのだが Remix & Mastering はアルバート兄弟の地元=マイアミ・クライテリアスタジオ。
ロン&ハウィーはビル・シムジク/アレックスサドキン/マイクルイスらとともにクライテリアのハウススタッフ(その後独立し現在はマイアミで自前スタジオ経営)だった。クラプトン『いとしのレイラ』にも名があるが、ステファンスティルスの懐刀でスティルス盤では大抵兄弟が仕事していた。 そのクライテリアはアラバマ/マッスルショールズスタジオとは実に深い関係_マッスルは狭くて弦の録音ができない、なのでほぼ全てのマッスル録音曲のストリングスはクライテリアで行われていた。 で、これは想像だが、ロッドに "Sailing" を勧めたのは(弦アレンジャーのマイクルイス経由で)アルバート兄弟だったのでは_。 同じ英国人だからその前にロッドはサザーランド曲を知っていただろう…とは思えないんだね。英国でもヒットでないこの曲、ロン/ハウィーがサザーランド兄弟仕事をするなかで既発のこの曲の良さに気付いたのではないか。 同じ75年にロッドは『大西洋横断』録音の半分をマッスルでやった。あきらかに「それはスポットライトではない」も_これはその以前に何度もこのスタジオで録られてる_マッスル側オファー曲だ。 ちなみに、マッスルショールズ。辺鄙な田舎町だが音楽産業としてはしっかり構築されていた。単なるスタジオ貸しではない、レーベルもあれば著作管理会社もある。トータルで完パケまでもっていけた。特に曲だが、フィリップミッチェル/ジョージジャクソン/ジョージソールらマッスル・ライターの書き下ろしを訪れるアーティストに提供していた。デトロイトロッカー=ボブシーガー "good old RocknRoll"しかり、オズモンズ "one bad apple" しかり。地元利益優先でもあろう、やりやすい楽曲で早く仕事を済ませたいというのもあったと思える。(ポールサイモンを驚かせたほどマッスルは仕事が早い)
UKで圧倒的支持されるロッド"Sailing" だがマッスル録音。この曲、アコギ3本とエレキ3本をすべて Peter Carr ひとりで多重。イントロはヤマハの12弦アコギで、レギュラー弦を外す(細弦6本だけ使用)=ナッシュヴィルチューニングで弾いている。ピートのギター、それとバリーベケットのエレピ/シンセ、これ無くしてこの名曲は成立しなかったと思う。弦入れは当然クライテリア_。
コーラスだけのためにわざわざこの片田舎まで、トニージョーなら地元近くだろうがクリストファースンとプライン、よくまあ来たもんだ_。さてここで疑問を掘り返すが、クレジットにある↓ JERRY McGEE : acoustic, slide, electric & 12 string guitars, Solo on Three Hundred Pounds Of Hongry
このジェリーマギーは、このアルバムが出たときには当然、デラニー&ボニー&フレンズの…そしてなによりベンチャーズ、、と思いましたわな。便宜的に「ベンチャーマギー」と呼ぶが_ベンチャーマギーはデラボニ仕事からベンチャーズ復帰までにクリストファースン(クーリッジも)盤のレギュラーギタリストをしていた。クリス・ファミリー一員であったのだからこのフリッツ盤に名があっても、それもギターだ、当然と思えた。 しかし15年ぐらい前だったかな、マッスルショールズ界隈のローカルギタリストに Jerry McGee がいたことを知る。同姓同名。こちら「マッスルマギー」だが、ピート・カーの友人_ピートがソロ盤録音時にマギーからfender stratoを借りた謝辞をクレジットしていた。ピートはこのドニー盤に参加している。 ベンチャーマギーはクリスがらみで/マッスルマギーはピート関連及び地元_ふたりともにクレジットがある理由がある。いや、名だたるメンバーのクレジットのなかにそんな誰も知らないローカルギタリストが入るわけなかろう_と言われるか。 いやいやそうでもないと思うのだね…。 まずベンチャーマギーが(もともとルイジアナの田舎の出ではあるが)、ロスにすっかり腰を落ち着けたマギーがアラバマへは来ないんじゃないかと思ったり…。もし来ていたらこの写真に入らないのも変な気がする。 それと、ここがキーだが_ベンチャーマギーはサムピック使いの複音ギタリスト。なのに Solo on "Three Hundred Pounds Of Hongry" がシングルノート=短音リードプレイなので違うんじゃないかと思えてきたこと。
Stones盤では三番目に好きな『黒と蒼』、のっけの "hot stuff" から次曲"hand of fate"への流れが、スネア打ちのシメと始まり_一番好きなところ。この曲のリードはトラックno. 8 & 9 のふたつを使ってウェイン・パーキンス、Muscle Shoals guitarist。気持のいいリードプレイは、スティーリーダン "peg" =グレイドンに匹敵する、ウェイン一世一代の名演。大好きなギター! ウェインは南部人だが一時期UKへ_逆「アトランティッククロッシング」。マッスルショールズ・スタジオとレーベルとして一番深く関わったのは(お旦だったウェクスの Atlanticを除く)UKの Island Records _クリス・ブラックウェル。ウェインはアイランドからのバンド Smith Perkins Smith 盤リリースであったり、クリスから依頼でボブマーリー&ウェイラーズ盤へ関わったり(クリスの手によるリミックス時にギターをoverdub_ "concrete jungle" のギターはウェイン。これも素晴らしい!)、その時期にストーンズとも知り合ったのだろう。ストーンズもアイランドの basing street studio を使っただろうから。
The Bouble Image _ the power of love / say you love me
NYの老舗レーベル BELL傘下 Amy からのリリースだが両面ダンペン=リンデンスプーナー<Iールドハム作。エンジニアがジミージョンソンで、プロデュースはパパドン/オールドハム/フッド/ホーキンスと来ますか。出版がフェイムになっている、当然録音も Fame Studio だな。パパドンというのはdiscogsによれば James & Bobby Purify で当てたマイアミの仕事師のようだ。マッスルはアラバマ州だがマイアミとの強い連係は以前記した通り。
そうであったよ、これはほんとにレア映像。 マッスルショールズ四人衆=ロジャーホーキンス/バリーベケット/デイヴィッドフッド/ジミージョンソンが「人前」で演奏している姿。それもかの Saturday Night Live 番組。 ジミーはアコギにまわってリードはピート・カーによる5人揃いでもある。この5人での人前はまず無かったはず。映像としてのリズムセクションは、トラフィック・ツアーでのホーキンス+ベケット+フッドぐらいだから。
でもってマッスルなんだが久しぶりに聴いたのがトラフィックの73年盤『shoot out at the fantasy factory』。この不思議盤の謎が解けた。 裏ジャケ写はマッスルショールズスタジオの駐車スペース、ホーキンス&フッドも含めたメンバー集合。なのにクレジットは/ご丁寧にレーベルにも、recorded in Jamaica の文字。エンジニアがマッスル・ハウススタッフのメルトン&マスターズ、彼らも連れてわざわざジャマイカ録音はありえないと思っていた盤。答は Discogs にあった_「このアルバムはマッスル録音。ジャマイカと記載されたのは、トラフィックがアメリカでの仕事許可を有していなかったための方便」と。 これですっきり、…でもないな。ジミークリフを筆頭にアイランド勢ではマイクハリソン(ex-Spooky) アンディフレイザー (ex-Free)、だれよりもジムカポーディ自身が3枚もマッスル録音盤をリリースしていたではないか。なぜにトラフィックとなると認められなかったかの疑問が膨らむ。 まあひとつ考えられるのはウィンウッド。当時のライヴ映像では右目左目が別方向を向いていたヨ。相当なドラッグ沼に足をとられていた様子(アルバム『shoot...』もフロイド並みの長尺)。ここらの問題かね。お付き合いのマッスル勢だが、60年代はともかく70年代には born-again Christian としてかなり品行方正になっていたからウィンウッドとはビジネスライクな関係であったろう。
お約束_スタジオ前集合写真、これはフリッツ盤の。 立っている後列左から〜デビッド・フッド/ジミー・ジョンソン/ヒントン奥さん?/エディー・ヒントン(背が低い)/トニー・ジョー・ホワイト/マイク・アトリィdixie flyers/クリス・クルストファースン/ロジャー・ホーキンス/バリー・ベケット(背後)/サミー・クリースン dixie flyers/ピート・カー(童顔)/ダン・ペン/コーラスとスタッフで4人 座り前列〜ジョン・プライン/ドニー・フリッツ/ジェリー・ウェクスラー/スティーヴ・メルトン&ジェリー・マスターズ(スタジオ・エンジニアふたり)/トム・ローディ(巨漢スタッフ兼パーカッション)/別のスタジオのスタッフ = てことで、ベンチャー・マギーはここにいない…(マッスル・マギーもいないが/それとスプーナー)。それでも歴代集合写真ではミュージシャン的には最も大物揃いがこの時。スタッフ的には、いの一番のシェール盤ジャケ。ウェクス/トム・ダウド/アリフ・マーディン揃い踏み。 + + facebook post_ 写真2枚で上は、マッスル四人衆唯一survivor デヴィッド・フッドと写るマッスル・マギー。で、もう1枚、顔が似ているから娘さんかも_手にしているギターが… http://www.electroacoustics.com/Rhythm%20Section.htm このページがいまも残されていて嬉しい。20歳のピート・カーがメイコン・リズム・セクション時に愛用していたテレキャスター。ネックは差し替えられているが、それをマギーが持っている…仲がよかったと見える。 そのことだが。 ピート・カーの盟友、ふたりで「ルブラン&カー」でヒットも放った仲のレニー・ル・ブラン。76年のソロ『Lenny Le Blanc』(リイシュー盤は『hound dog man』改題)は、ピート全面協力の名盤。この盤のクレジットに: Thanks to Jerry McGee for use of his Stratocaster とある(ル・ブランはギターを弾いていないのでこれはピートによる謝辞)。 この盤を買ったのは原宿メロディハウスだったか、そのときにピートとマギーがそんな仲だったかと思って以来、ベンチャー・マギーがマッスル?_若干疑問だったんだ。違ったねぇ、そのストラトは近場の友人、(マッスル)ジェリー・マギーのでしょ…RIP。
が亡くなった。Ventures のマギーは…ダック・ダンと同じだったな、東京で客死、2019年。先週亡くなったのがジェリー・マギー、アラバマ/マッスルのギタリスト。 + 74年盤ドニー・フリッツ『prone to lean』。76年に大学へ入って、軽音ロック・サークル、組んだバンドは先輩らと。ベースの間宮さんが絶対やりたいと言い出したのがこのLPの "sumpin' funky going on" 。そう言われて、僕もリーダー大木先輩も曲は分かっていた_当時で既にこのアルバムはUSロック好きには共通認識というか、Must な1枚だった記憶。この年の夏休みに、狭山の大木先輩宅で練習_くそ暑いなかを何度も通ったことを思い出す。が、トニー・ジョー作のとびきり swampin' な曲を上手くやれるわけがなく(僕はなぜかドラムだった)、この曲は早々に諦めた。 プロデュース/クリス・クリストファースン&ジェリー・ウェクスラー、全曲 muscle shoals sound studios 録音の名盤を久々に通して聴き返す。で、ギターだが_A2/B3 はピートの、B6はヒントンの屈指の名演。以下、と思う。 A1: Jerry McGee solo [credit] A2: Pete Carr lead A3: Eddie Hinton A4: Jimmy Johnson rhythm A5: Pete (leslie) + Jimmy A6: left/Pete + right/Eddie B1: Tony Joe lead [credit]+ Eddie B2: dobro_Pete B3: Pete lead B4: Jerry McGee slide solo B5: Pete(leslie) + Eddie B6: Eddie solo / Pete acoustic
クリストファースン盤でレギュラー・ギタリストだったジェリー・マギー…僕らのなかではベンチャーズよりも LA swamp /デラ・ボニ・ファミリーとしてのほうが推しだったマギーゆえ、このフリッツ盤ももちろんマギーが参加…疑う余地がなかった。しかし、マッスル・ショールズを掘ってゆくなかで同名ギタリストがいたことを知る。で、もしやこのフリッツ盤のマギー_ベンチャー・マギーではないかも?…と、もやもやが続いた。そのことを本人に生前聴きたかったんだが。チャンスは2回あった。赤坂ブリッツで20年以上前か、加山雄三&ノーキー『永遠のギターキッズ』というコンサート、ゲストが来日中のベンチャーズ(飛び入りに山下達郎)…その打ち上げ会場で、僕はマギーに話しかけたかったんだ。聞きたいことが沢山あった、フリッツ盤も含め。しかしライヴ終了直後に体調が悪いと、マギーだけがホテルへ戻ってしまっていた…会えず。その数年後、毎夏来日のベンチャーズ仕事をやっていた元シンコーのライター/コンちゃんへ頼み込んでマギーへインタビューさせてもらう手はず。最初はOKの返事だったのに、これもポシャる。 いま聴き返して確信する、やはりフリッツ盤はベンチャー・マギーではなく、マッスル・マギーであると。A1の見事なソロ・プレイだが、ベンチャー・マギーはサムピック(もしくはフラット+サム)使いで複音ギタリストに対し、ここでは単音ソロであること。クリストファースン以外にもリタ&プリシラ・クーリッジ、ブッカーTらの盤で弾いていたマギーはルイジアナ出身のケイジャン/ディープ・スワンプなギタリストであるが、ハリウッド録音がベースだった_マッスル出張りはまずやらなかったと思える。 + それにしても…いまさらに思うのは、フリッツ盤のジャケ…やり過ぎだな、こりゃ。 The Band のせい?_「若年寄」が渋いというUSロック美意識の時代。