2024年07月23日
MY fav guitarist
いまも現役のロッドスチュワート。長い活動で関わったギタリストは数多…そのなかのひとりがピート・カー。マッスルショールズ・セッションでのメインリードギターであったが語られない…のは仕方ないか、マッスルは有名でもギタリストで知られるのはジミージョンソンのみ。
ピートはマッスルのみならずその時期のロッド盤、ロス・セッションへも(たぶん)トムダウドに呼ばれて出張っていた。
ナッシュヴィルチューニング≠フアコギもピートによる多重。たぶん "Sailing" 同様にアコギ3本/エレキ3本をひとりで弾いている_
マッスルセッションでの同僚だったレニールブランと組んだら下の曲が全米トップ20の大ヒットになった_
+++
これは口パクなんだが_それでもピートの指使いが。単音ピック弾きのリードプレイで珍しいタイプ、基本ずっと UP に弾くのがピート。
2024年06月26日
AOR な「マッスル参考盤」

#•••
【Steve Cropper / Night After Night】
( '82)
<ー:★>
ウ〜ムこれは…困った一枚。ジャケからして、これ。三年ぶりに挙げるマッスル盤、#176枚目…には入れる価値なしなので参考盤と。
時代といえばそれっきりなのだが、あのクロッパーまでもがAORに寄っていたか。偉大なるオーティスの懐刀としてメンフィスサウンドを支えた名ギタリスト/ソングライター/プロデューサー。この82年盤は半分がマッスル録音とは知らなかった。
Booker T & MG's ... MGは Memphis Group でなく英国車名とか。兎も角、ディープサウスを代表するバンド、、なのは確かだが実は結構早めに拠点はロスに移してんだよな。70年代でなく60年代末にはクロッパーもブッカーもロス暮らしだったろう。
+
この盤、いや前年盤から_俺もボズスキャッグズ/ドナルドフェイゲンになれる!と勘違いしたのだろうか。時代に乗り遅れまいと必死だったのかもしれない。しかしこれはダメでしょ。あきらかな迷走。同趣向の前年盤の反省かこれは南部色を若干増した_それゆえのマッスル録音だったろうが、曲もマッスルライターのジョージジャクソンやマッスルギタリストのウェインパーキンスを起用しているが、全体の方向性はAORままでマッスル滋味はかけらも感じられないので★ひとつ。ホーキンス/フッド/ジョンソン/ベケット=マッスル四人衆にクレイトンアイヴィも名前はあるがそれとて…。
ロス録音サイドはバートンカミングズ/ティモシーシュミット/スカンクバクスターら参加。コーラスが Waters なので(彼女らは好きだが)実にボズ的な音になっている。
プロデュースが Bruce Robb / Steve Cropper 。60年代にロブ兄弟として冠番組も持つTVタレントだったブルースはそのまま兄弟で70年代になってカントリーロックバンド Cherokee としてダンヒルから再デビュー。バンドは上手くいかなかったがその名を付けた Cherokee Studio を経営、これが大人気スタジオになって兄弟はエンジニアでも活躍。当然そのチェロキー録音のこの盤だが、はて?_ この時期にクロッパーは共同経営する Clover Studio を持っていたと思うが…。おなじロスの、こちらも売れっ子スタジオだった。
+
正直歌が弱すぎる時点で辛い盤ではある。なかで緩いので粗が目立たない"sad eyes" は唯一の救いか_サザンマナーなスローナンバー。
2024年02月11日
スポットライト…/テイク25, 26
http://www.sakatomi.com/iFrame_3/not_spotlight_a.html
最初にここに纏めてみました_マッスルショールズ産の名曲…といえるはず。
その後ここまで掘っているが_take 24
http://sakatomi.seesaa.net/article/501193933.html
+++
さてカルメンマキは…2012年のテイクを評してみたがそれと違ってここではライヴ特有の嫌なフェイクが入って…長尺だとこうなりがちよね、ダメなんスよこういうのが。感情込め込めって、違うんだがなぁ。チャーのギター・トーンは十分趣味なのが救い_。2016年。
https://www.youtube.com/watch?v=8787eBsRYlA
+++
こなた、金子マリ。77年のバッグズバニーLPテイクと違って力抜けきってて聴ける。ただこれはずっと思うことなんだがこの曲は男歌じゃないかと_女声はどうもハマりが悪い感。アコギが萩原信義、この人は浅川マキのバックを務めていたギタリスト。兄キが知り合いと言っていたが〆はお目にかかったことがない。エレキが…向こうがチャーならこちらは森園。もうお坊さんのような渋さですな。7年も前だけれど。
https://www.youtube.com/watch?v=a4jRmHffQ7o
+++
テイク22で入れたルイーズゴフィン。ハマらないとした女声では一番素直で好きなのです。
同じテイクだがこうしてPVまで作っていたのか_
2023年10月22日
テイク24
「それはスポットライトではない」はマイ・追いかけ曲。最初はロッドだったが、マッスルショールズと深い関係アリと知ってからは米英日を問わずチェックしていた…
テイク22
http://sakatomi.seesaa.net/article/459103039.html
テイク23
http://sakatomi.seesaa.net/article/476581949.html
…は消えていた。
ここに来てまた変なの見つかった_
Lena Zavaroni
リーナ・ザヴァローニ。まあ歌える天才子役だったと言えるのかな、1963年生まれだが99年に他界している。スコットランド出身だが名前からするとイタリヤ系か。英国LPチャート最年少トップ10の記録を持つとある。
+
日本人でも知る人はいるはず_というのは、こんなシングルを出していた。
伊集院光がラジオでやっていた色物/げてもの<激Rード発掘コーナーで取り上げたらしいこれ、「リーナ」として日本語で歌う珍盤。リリースは10才の時、1974年と思われる。
コメントが笑えて「白木みのる?」_言い得て妙。
しかしわざわざ本国でのヒットを日本語で、こんなにコブシきかせて歌ったのは…もしかしたら来日録音か? TVの歌番組に出たりしたかもしれない、天才ちびっ子歌手扱いとか。_と想像したらどうやらその通りらしく…ジュリーと共演し、シングルのB面曲を歌っていた。
https://www.youtube.com/watch?v=3rZ42m8V4YE
↑これは同じ映像を本人自身がポストしていたものだが、コメントに…「PYG ジュリーがこのクリップを(送って?)くれた…」というから驚く。PYGなんて懐かしい単語まで出てくるとは_
(2本ともに本人名義チャンネルから投稿だが14/12年前ではすでに亡くなっている。Tribute cannel )
++++++++++++
で、何はともあれ、このリーナ嬢が「それはスポットライトではない」歌っていたわけですワ。ただ、タイトルを "Spotlight" と頭だけだったのでこりゃ見つけにくい。それでもこうしてYTに(たとえ真っ黒でも)ポストしてくれていて有難い。
discogs は便利だ。この曲は1979年盤『Lena Zavaroni and her music』というLPのB面ラストに収録されている。UKのマイナーレーベルだろう、Galaxy というところから出ただけなのでレアといえばレア。自身のTV番組サントラのようだ。
さすがに歌は上手いね。この時でもまだ16_sweet little sixteen か。歌わされただろうが頑張ってます、悪くないス。
https://www.youtube.com/watch?v=OHuRzNoNKCM
いや、15だったという。3曲目_TVでも歌っている。
************************
もういっちょ続けたい_リーナ嬢がこれも歌っている。
River deep, Mountain high
いやさこれ、Deep Purple までもやっていたのを今まで知らなかった。エリックバードン&アニマルズのテイクがかなり贔屓だったが、UKでのこの曲の愛でられ方は相当だな。思えば、スペクターの渾身作…にして大失敗作だったこれ=アイク&ティナのオリジナルのLPはアメリカ発売が無かったのにUKでは出たわけで…BB『ペットサウンズ』をリリース時に激賞したのもUKだった、音の感性鋭い英国に脱帽。
10才でここまで歌うってのは当然話題になったよな_ "still astounding" ← YES, INDEED!!
これまためちゃ蛇足だが_
やはりUKの、シンガー&女優だそう…それっぽいウィスパーな歌唱とアレンジが結構面白い。
2023年08月18日
Muscle - Criteria
https://www.youtube.com/watch?v=poDjuRlaNAg
サザーランド兄弟といえば_ロッドスチュワート歌唱による "Sailing" …UKのロック・アンセムとも言われるほどメジャーになった曲だが、これのオリジネーターとして最も知られるか。72年シングル。これは、マフ・ウィンウッド(スティーヴの兄)プロデュース/Richad Digby Smith エンジニアときっちりUK仕事なんだが、75年盤『reach for the sky』は違っていた_
プロデュースがロン&ハウィー=アルバート兄弟。Fat Albert Productions
録音がロンドンの2スタジオなのだが Remix & Mastering はアルバート兄弟の地元=マイアミ・クライテリアスタジオ。
ロン&ハウィーはビル・シムジク/アレックスサドキン/マイクルイスらとともにクライテリアのハウススタッフ(その後独立し現在はマイアミで自前スタジオ経営)だった。クラプトン『いとしのレイラ』にも名があるが、ステファンスティルスの懐刀でスティルス盤では大抵兄弟が仕事していた。
そのクライテリアはアラバマ/マッスルショールズスタジオとは実に深い関係_マッスルは狭くて弦の録音ができない、なのでほぼ全てのマッスル録音曲のストリングスはクライテリアで行われていた。
で、これは想像だが、ロッドに "Sailing" を勧めたのは(弦アレンジャーのマイクルイス経由で)アルバート兄弟だったのでは_。
同じ英国人だからその前にロッドはサザーランド曲を知っていただろう…とは思えないんだね。英国でもヒットでないこの曲、ロン/ハウィーがサザーランド兄弟仕事をするなかで既発のこの曲の良さに気付いたのではないか。
同じ75年にロッドは『大西洋横断』録音の半分をマッスルでやった。あきらかに「それはスポットライトではない」も_これはその以前に何度もこのスタジオで録られてる_マッスル側オファー曲だ。
ちなみに、マッスルショールズ。辺鄙な田舎町だが音楽産業としてはしっかり構築されていた。単なるスタジオ貸しではない、レーベルもあれば著作管理会社もある。トータルで完パケまでもっていけた。特に曲だが、フィリップミッチェル/ジョージジャクソン/ジョージソールらマッスル・ライターの書き下ろしを訪れるアーティストに提供していた。デトロイトロッカー=ボブシーガー "good old RocknRoll"しかり、オズモンズ "one bad apple" しかり。地元利益優先でもあろう、やりやすい楽曲で早く仕事を済ませたいというのもあったと思える。(ポールサイモンを驚かせたほどマッスルは仕事が早い)
UKで圧倒的支持されるロッド"Sailing" だがマッスル録音。この曲、アコギ3本とエレキ3本をすべて Peter Carr ひとりで多重。イントロはヤマハの12弦アコギで、レギュラー弦を外す(細弦6本だけ使用)=ナッシュヴィルチューニングで弾いている。ピートのギター、それとバリーベケットのエレピ/シンセ、これ無くしてこの名曲は成立しなかったと思う。弦入れは当然クライテリア_。
2023年07月26日
フリッツ盤のミュージシャン
前にも書いた疑問だがここにきて又引っ掛かってる。
ドニーフリッツ75年の名盤ソロ『Prone to lean』。
discogsでこの盤を調べたら、Billy Swann _バックコーラス参加のひとりだが、「ビリー・スワン」ではないとなっていた。
なるほど、あのビリー・スワンは Billy Swan 、nはひとつ。二つスワンは別人だと。The Muffins というバンドメンバーなのだとあるが…そんなんあり? そりゃないでしょ、コーラス参加であること/クリスクリストファースン&リタクーリッジもコーラス参加している盤であることからも「あの」Billy Swan だろう。
ビリースワンは "I can help" が74年全米1位の大ヒット_まあ世間的には「一発屋」。しかしこれがまぐれ当たりで、もともと地道なナッシュヴィル裏方ミュージシャン。ドニーフリッツとともにクリストファースンのバックも務めていた。マッスルショールズ録音ソロ(マイ・リスト#170)もあった人。
やはり Swann は単なるスペルミスであろう(スペルミス表記盤は多い…し、意識的か複数のスペルを使う人もいる)。
*
こちらの疑問はいまだ解決せず_ジェリーマギー。
この写真はそのフリッツ盤録音時のショット。左から:
トニージョーホワイト/ドニーフリッツ/クリストファースン
ジェリーウェクスラー/ジョンプライン/ダン・ペン

コーラスだけのためにわざわざこの片田舎まで、トニージョーなら地元近くだろうがクリストファースンとプライン、よくまあ来たもんだ_。さてここで疑問を掘り返すが、クレジットにある↓
JERRY McGEE : acoustic, slide, electric & 12 string guitars, Solo on Three Hundred Pounds Of Hongry
このジェリーマギーは、このアルバムが出たときには当然、デラニー&ボニー&フレンズの…そしてなによりベンチャーズ、、と思いましたわな。便宜的に「ベンチャーマギー」と呼ぶが_ベンチャーマギーはデラボニ仕事からベンチャーズ復帰までにクリストファースン(クーリッジも)盤のレギュラーギタリストをしていた。クリス・ファミリー一員であったのだからこのフリッツ盤に名があっても、それもギターだ、当然と思えた。
しかし15年ぐらい前だったかな、マッスルショールズ界隈のローカルギタリストに Jerry McGee がいたことを知る。同姓同名。こちら「マッスルマギー」だが、ピート・カーの友人_ピートがソロ盤録音時にマギーからfender stratoを借りた謝辞をクレジットしていた。ピートはこのドニー盤に参加している。
ベンチャーマギーはクリスがらみで/マッスルマギーはピート関連及び地元_ふたりともにクレジットがある理由がある。いや、名だたるメンバーのクレジットのなかにそんな誰も知らないローカルギタリストが入るわけなかろう_と言われるか。
いやいやそうでもないと思うのだね…。
まずベンチャーマギーが(もともとルイジアナの田舎の出ではあるが)、ロスにすっかり腰を落ち着けたマギーがアラバマへは来ないんじゃないかと思ったり…。もし来ていたらこの写真に入らないのも変な気がする。
それと、ここがキーだが_ベンチャーマギーはサムピック使いの複音ギタリスト。なのに Solo on "Three Hundred Pounds Of Hongry" がシングルノート=短音リードプレイなので違うんじゃないかと思えてきたこと。
正解は出ていない。生前のマギーに、これは聞きたかった…。
http://sakatomi.seesaa.net/article/482319688.html
ここでのギターが「ベンチャーマギー」だから余計にこんがらがる…
ドニーフリッツ75年の名盤ソロ『Prone to lean』。
discogsでこの盤を調べたら、Billy Swann _バックコーラス参加のひとりだが、「ビリー・スワン」ではないとなっていた。
なるほど、あのビリー・スワンは Billy Swan 、nはひとつ。二つスワンは別人だと。The Muffins というバンドメンバーなのだとあるが…そんなんあり? そりゃないでしょ、コーラス参加であること/クリスクリストファースン&リタクーリッジもコーラス参加している盤であることからも「あの」Billy Swan だろう。
ビリースワンは "I can help" が74年全米1位の大ヒット_まあ世間的には「一発屋」。しかしこれがまぐれ当たりで、もともと地道なナッシュヴィル裏方ミュージシャン。ドニーフリッツとともにクリストファースンのバックも務めていた。マッスルショールズ録音ソロ(マイ・リスト#170)もあった人。
やはり Swann は単なるスペルミスであろう(スペルミス表記盤は多い…し、意識的か複数のスペルを使う人もいる)。
*
こちらの疑問はいまだ解決せず_ジェリーマギー。
この写真はそのフリッツ盤録音時のショット。左から:
トニージョーホワイト/ドニーフリッツ/クリストファースン
ジェリーウェクスラー/ジョンプライン/ダン・ペン

コーラスだけのためにわざわざこの片田舎まで、トニージョーなら地元近くだろうがクリストファースンとプライン、よくまあ来たもんだ_。さてここで疑問を掘り返すが、クレジットにある↓
JERRY McGEE : acoustic, slide, electric & 12 string guitars, Solo on Three Hundred Pounds Of Hongry
このジェリーマギーは、このアルバムが出たときには当然、デラニー&ボニー&フレンズの…そしてなによりベンチャーズ、、と思いましたわな。便宜的に「ベンチャーマギー」と呼ぶが_ベンチャーマギーはデラボニ仕事からベンチャーズ復帰までにクリストファースン(クーリッジも)盤のレギュラーギタリストをしていた。クリス・ファミリー一員であったのだからこのフリッツ盤に名があっても、それもギターだ、当然と思えた。
しかし15年ぐらい前だったかな、マッスルショールズ界隈のローカルギタリストに Jerry McGee がいたことを知る。同姓同名。こちら「マッスルマギー」だが、ピート・カーの友人_ピートがソロ盤録音時にマギーからfender stratoを借りた謝辞をクレジットしていた。ピートはこのドニー盤に参加している。
ベンチャーマギーはクリスがらみで/マッスルマギーはピート関連及び地元_ふたりともにクレジットがある理由がある。いや、名だたるメンバーのクレジットのなかにそんな誰も知らないローカルギタリストが入るわけなかろう_と言われるか。
いやいやそうでもないと思うのだね…。
まずベンチャーマギーが(もともとルイジアナの田舎の出ではあるが)、ロスにすっかり腰を落ち着けたマギーがアラバマへは来ないんじゃないかと思ったり…。もし来ていたらこの写真に入らないのも変な気がする。
それと、ここがキーだが_ベンチャーマギーはサムピック使いの複音ギタリスト。なのに Solo on "Three Hundred Pounds Of Hongry" がシングルノート=短音リードプレイなので違うんじゃないかと思えてきたこと。
正解は出ていない。生前のマギーに、これは聞きたかった…。
http://sakatomi.seesaa.net/article/482319688.html
ここでのギターが「ベンチャーマギー」だから余計にこんがらがる…
2023年07月23日
Hosono "Muscle" House
小坂忠 2001年CD『People』は細野プロデュース/バックがほぼティンパン(マンタ不在)。
収録のこの曲、驚くほどにマッスル味。特にエレピ! 佐藤博のプレイとその音はまさに Barry Beckett。ギターは茂と佐橋佳幸だが、指弾きする佐橋ギターがまた素晴らしく南部マナー。それはマッスルとも言えるが、よりメンフィス(ハイ・サウンド)に近い。
*
細野はことあるごとにマッスルショールズを語る。ティンパンアレイの目標がマッスルであったと_自前でスタジオを持ち、プロダクションまで行うという夢(マッスルはレーベルすらも持っていた)。叶わなかったからYMOが生まれたわけで…世間的にはこれで良かった? ま個人的には Japanese Muscle Shoals を見たかった/聴きたかったけれど。
https://www.youtube.com/watch?v=XR0ZgeNnb-8
収録のこの曲、驚くほどにマッスル味。特にエレピ! 佐藤博のプレイとその音はまさに Barry Beckett。ギターは茂と佐橋佳幸だが、指弾きする佐橋ギターがまた素晴らしく南部マナー。それはマッスルとも言えるが、よりメンフィス(ハイ・サウンド)に近い。
*
細野はことあるごとにマッスルショールズを語る。ティンパンアレイの目標がマッスルであったと_自前でスタジオを持ち、プロダクションまで行うという夢(マッスルはレーベルすらも持っていた)。叶わなかったからYMOが生まれたわけで…世間的にはこれで良かった? ま個人的には Japanese Muscle Shoals を見たかった/聴きたかったけれど。
https://www.youtube.com/watch?v=XR0ZgeNnb-8
2023年02月24日
Muscle Shoals_Pete Carr
思えば20年以上ピート・カーを掘ってきたが、こと映像は…なにしろスタジオワークが中心であったのでライヴ映像はYouTubeで数本、それも当然メインアクトは別だからフィーチャーされていない/画像が悪い状態ばかりであった。
なので手元まではっきり見るのはこの投稿で初めて_だな。
ピック弾きは分かっていたが、ダウンに弾くのでなく珍しいタイプ_ジャズではありがち? アップにシングルノートを弾くことをようやく知った。
このボブシーガーの大ヒット曲はマッスル録音、ギターをここで当時「まんま」弾いておりますピート_2020年没。
2022年10月16日
Muscle_ Wayne Perkins
Stones盤では三番目に好きな『黒と蒼』、のっけの "hot stuff" から次曲"hand of fate"への流れが、スネア打ちのシメと始まり_一番好きなところ。この曲のリードはトラックno. 8 & 9 のふたつを使ってウェイン・パーキンス、Muscle Shoals guitarist。気持のいいリードプレイは、スティーリーダン "peg" =グレイドンに匹敵する、ウェイン一世一代の名演。大好きなギター!
ウェインは南部人だが一時期UKへ_逆「アトランティッククロッシング」。マッスルショールズ・スタジオとレーベルとして一番深く関わったのは(お旦だったウェクスの Atlanticを除く)UKの Island Records _クリス・ブラックウェル。ウェインはアイランドからのバンド Smith Perkins Smith 盤リリースであったり、クリスから依頼でボブマーリー&ウェイラーズ盤へ関わったり(クリスの手によるリミックス時にギターをoverdub_ "concrete jungle" のギターはウェイン。これも素晴らしい!)、その時期にストーンズとも知り合ったのだろう。ストーンズもアイランドの basing street studio を使っただろうから。
蛇足:
『黒と蒼』盤では"memory motel" も要チェック、アコギ:ウェイン/リード:ハーヴィ。キースはギターを弾かずにコーラス/ヴォーカルのみ。
ウェインは南部人だが一時期UKへ_逆「アトランティッククロッシング」。マッスルショールズ・スタジオとレーベルとして一番深く関わったのは(お旦だったウェクスの Atlanticを除く)UKの Island Records _クリス・ブラックウェル。ウェインはアイランドからのバンド Smith Perkins Smith 盤リリースであったり、クリスから依頼でボブマーリー&ウェイラーズ盤へ関わったり(クリスの手によるリミックス時にギターをoverdub_ "concrete jungle" のギターはウェイン。これも素晴らしい!)、その時期にストーンズとも知り合ったのだろう。ストーンズもアイランドの basing street studio を使っただろうから。
蛇足:
『黒と蒼』盤では"memory motel" も要チェック、アコギ:ウェイン/リード:ハーヴィ。キースはギターを弾かずにコーラス/ヴォーカルのみ。
2022年09月21日
Stones @muscle shoals '69
マッスルfacebook掲載のセッションレシート。
1969年12月4日付、スタジオフィー&テープ代、しめて$1,009.75也。
いろいろと見えてくる。13時間半で録り終えた "wild horses" で、当時のマッスルのスタジオフィーは$65/hourでしたか。
請求先が、悪名高きアラン・クラインの Abkcoか。ストーンズがアランとどうにか手を切ろうとゴタゴタしていた時期。法廷闘争までもつれてどうにか自身の Rolling Stones Recordsを発足させるまでの過渡期。
マッスルセッションは12月2.3.4日の3日間で、brown sugar / wild horses / you gotta move を録ったが、レーベルのごたつきで1年半の塩漬け。収録の『sticky fingers』が出せたのは71年4月、と。但し brown sugar は12月6日のオルタモントコンサートで早々に披露されたと記録あり。4日までアラバマ、5日に、シスコの郊外だっけ?_飛んで行って翌日にあの惨事とは、慌ただしいストーンズご一行様。
コンサートではジェファースンエアプレインで出ていたマーティベイリンもステージで殴られたんだよな_誰にだったか?

1969年12月4日付、スタジオフィー&テープ代、しめて$1,009.75也。
いろいろと見えてくる。13時間半で録り終えた "wild horses" で、当時のマッスルのスタジオフィーは$65/hourでしたか。
請求先が、悪名高きアラン・クラインの Abkcoか。ストーンズがアランとどうにか手を切ろうとゴタゴタしていた時期。法廷闘争までもつれてどうにか自身の Rolling Stones Recordsを発足させるまでの過渡期。
マッスルセッションは12月2.3.4日の3日間で、brown sugar / wild horses / you gotta move を録ったが、レーベルのごたつきで1年半の塩漬け。収録の『sticky fingers』が出せたのは71年4月、と。但し brown sugar は12月6日のオルタモントコンサートで早々に披露されたと記録あり。4日までアラバマ、5日に、シスコの郊外だっけ?_飛んで行って翌日にあの惨事とは、慌ただしいストーンズご一行様。
コンサートではジェファースンエアプレインで出ていたマーティベイリンもステージで殴られたんだよな_誰にだったか?

2022年09月05日
boy meets girl

おっとこれは知らなかった_てか、前にも書いたがシングルは沼が深すぎて手を出せない、これもシングルオンリーのマッスル録音。
日曜に宮治さんラジオは「AMYレコード特集」だったがそこでかかって初めて聴いたのが、NYの16歳の女の子ふたりがマッスルへ赴いて録音したそうな。67年3月発売。
The Bouble Image _ the power of love / say you love me
NYの老舗レーベル BELL傘下 Amy からのリリースだが両面ダンペン=リンデンスプーナー<Iールドハム作。エンジニアがジミージョンソンで、プロデュースはパパドン/オールドハム/フッド/ホーキンスと来ますか。出版がフェイムになっている、当然録音も Fame Studio だな。パパドンというのはdiscogsによれば James & Bobby Purify で当てたマイアミの仕事師のようだ。マッスルはアラバマ州だがマイアミとの強い連係は以前記した通り。
しかし誰が幼い少女をマッスルへ送ったのやら。想像では、大物録音のオマケとして同行させたてなことじゃないか。BELL / Amy 所属の大物のマッスル録音は…あったっけ?
驚くのはその楽曲。A面曲は、デュアン&グレグ兄弟の The Hour Glass のセカンドLPタイトル曲、これはわがピート・カーの初録音(といってもベースだったが)でもある68年盤。ここで初出と思っていたが、オリジナルはこの女の子グループへの書き下ろしであったわけね。
https://www.youtube.com/watch?v=-dVWRN3uIaE
https://www.youtube.com/watch?v=ciAKbcS5kso
両面なかなかパワフルでいいでないの。ギターは Junior Lowe だろう。
+++++++
ここから修正。UT投稿にはふたりではなく三人組、有名な男性三人組とは別の The Sandpipers というガールズグループの変名リリースとある。ご丁寧な解説リンクを読んでみれば…業界の荒波に揉まれた幼い三人組、メンバーチェンジあり。
もともと地元はフロリダのペンサコーラ、66年に The Allman Joys をバックにステージに立っていたとき、14-13-14歳!…なのに13歳のデビーは17歳のグレグ/14歳シャーリーンは18歳デュアンのガールフレンドであったのか。オールマンジョイズは兄弟の初の人前で演ったセミプロバンド。NYで一緒にオーディション受けて、ジョイズは蹴られたがガールズは受かって袂を分かった。
すったもんだの結果は…サンドパイパーズで2枚、ダブルイメージ名義で1枚、3枚シングルが全ての様子。
https://spectropop.com/Sandpipers/index.htm
https://www.youtube.com/watch?v=kCV7hBvT1Qc
これはいかにもNY録音。ラスカルズ・カヴァー。
++++++
https://www.youtube.com/watch?v=IUoR3Ouzsuo
66年、ペンサコーラのオールマンジョイズ
https://www.youtube.com/watch?v=s-vfxwOsRck
68年にはアワーグラスに。
左からポールホーンズビィ/ジョニーサンドリン
デュエイン/ピート/グレグ
2022年08月25日
Muscle Swamper
そうであったよ、これはほんとにレア映像。
マッスルショールズ四人衆=ロジャーホーキンス/バリーベケット/デイヴィッドフッド/ジミージョンソンが「人前」で演奏している姿。それもかの Saturday Night Live 番組。
ジミーはアコギにまわってリードはピート・カーによる5人揃いでもある。この5人での人前はまず無かったはず。映像としてのリズムセクションは、トラフィック・ツアーでのホーキンス+ベケット+フッドぐらいだから。
2022年07月14日
Traffic 73
でもってマッスルなんだが久しぶりに聴いたのがトラフィックの73年盤『shoot out at the fantasy factory』。この不思議盤の謎が解けた。
裏ジャケ写はマッスルショールズスタジオの駐車スペース、ホーキンス&フッドも含めたメンバー集合。なのにクレジットは/ご丁寧にレーベルにも、recorded in Jamaica の文字。エンジニアがマッスル・ハウススタッフのメルトン&マスターズ、彼らも連れてわざわざジャマイカ録音はありえないと思っていた盤。答は Discogs にあった_「このアルバムはマッスル録音。ジャマイカと記載されたのは、トラフィックがアメリカでの仕事許可を有していなかったための方便」と。
これですっきり、…でもないな。ジミークリフを筆頭にアイランド勢ではマイクハリソン(ex-Spooky) アンディフレイザー (ex-Free)、だれよりもジムカポーディ自身が3枚もマッスル録音盤をリリースしていたではないか。なぜにトラフィックとなると認められなかったかの疑問が膨らむ。
まあひとつ考えられるのはウィンウッド。当時のライヴ映像では右目左目が別方向を向いていたヨ。相当なドラッグ沼に足をとられていた様子(アルバム『shoot...』もフロイド並みの長尺)。ここらの問題かね。お付き合いのマッスル勢だが、60年代はともかく70年代には born-again Christian としてかなり品行方正になっていたからウィンウッドとはビジネスライクな関係であったろう。
裏ジャケ写はマッスルショールズスタジオの駐車スペース、ホーキンス&フッドも含めたメンバー集合。なのにクレジットは/ご丁寧にレーベルにも、recorded in Jamaica の文字。エンジニアがマッスル・ハウススタッフのメルトン&マスターズ、彼らも連れてわざわざジャマイカ録音はありえないと思っていた盤。答は Discogs にあった_「このアルバムはマッスル録音。ジャマイカと記載されたのは、トラフィックがアメリカでの仕事許可を有していなかったための方便」と。
これですっきり、…でもないな。ジミークリフを筆頭にアイランド勢ではマイクハリソン(ex-Spooky) アンディフレイザー (ex-Free)、だれよりもジムカポーディ自身が3枚もマッスル録音盤をリリースしていたではないか。なぜにトラフィックとなると認められなかったかの疑問が膨らむ。
まあひとつ考えられるのはウィンウッド。当時のライヴ映像では右目左目が別方向を向いていたヨ。相当なドラッグ沼に足をとられていた様子(アルバム『shoot...』もフロイド並みの長尺)。ここらの問題かね。お付き合いのマッスル勢だが、60年代はともかく70年代には born-again Christian としてかなり品行方正になっていたからウィンウッドとはビジネスライクな関係であったろう。
2021年12月07日
アーティガン@alabama

ん〜この写真で、奥の壁際に座るハゲちゃびんはアーメット・アーティガン…だな。この時…69年12月の2/3/4の3日間がストーンズのマッスル・セッション。brown sugar など3曲録音。
+
アーメットはAtlantic のボスだが、マッスル録音はほぼウェクス(&ダウド)に任せていて、記憶ではアーメットのプロデュース名義盤は3枚のみ。それらも名義貸しで本人がアラバマ参りは無い、と思っていた。
来ていたかあ。大将自らは意外だが、これはストーンズがらみの特例なのでは。ストーンズはDeccaからの移籍先を模索していたころ、いやアトランティックと契約が完了していたのだろうか。この時録った曲が出るのは、アトランティック(制作は自身のレーベルだが)からの1枚目で71年と、けっこう間が空いた。
ストーンズは4日に発って6日はあの悪夢のオルタモントフリーライヴ、カリフォルニアへと強行軍だった。アーメットもオルタモントまで同行したのかも。
2021年07月05日
マッスル録音の

お約束_スタジオ前集合写真、これはフリッツ盤の。
立っている後列左から〜デビッド・フッド/ジミー・ジョンソン/ヒントン奥さん?/エディー・ヒントン(背が低い)/トニー・ジョー・ホワイト/マイク・アトリィdixie flyers/クリス・クルストファースン/ロジャー・ホーキンス/バリー・ベケット(背後)/サミー・クリースン dixie flyers/ピート・カー(童顔)/ダン・ペン/コーラスとスタッフで4人
座り前列〜ジョン・プライン/ドニー・フリッツ/ジェリー・ウェクスラー/スティーヴ・メルトン&ジェリー・マスターズ(スタジオ・エンジニアふたり)/トム・ローディ(巨漢スタッフ兼パーカッション)/別のスタジオのスタッフ
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てことで、ベンチャー・マギーはここにいない…(マッスル・マギーもいないが/それとスプーナー)。それでも歴代集合写真ではミュージシャン的には最も大物揃いがこの時。スタッフ的には、いの一番のシェール盤ジャケ。ウェクス/トム・ダウド/アリフ・マーディン揃い踏み。
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facebook post_ 写真2枚で上は、マッスル四人衆唯一survivor デヴィッド・フッドと写るマッスル・マギー。で、もう1枚、顔が似ているから娘さんかも_手にしているギターが…
http://www.electroacoustics.com/Rhythm%20Section.htm
このページがいまも残されていて嬉しい。20歳のピート・カーがメイコン・リズム・セクション時に愛用していたテレキャスター。ネックは差し替えられているが、それをマギーが持っている…仲がよかったと見える。
そのことだが。
ピート・カーの盟友、ふたりで「ルブラン&カー」でヒットも放った仲のレニー・ル・ブラン。76年のソロ『Lenny Le Blanc』(リイシュー盤は『hound dog man』改題)は、ピート全面協力の名盤。この盤のクレジットに:
Thanks to Jerry McGee for use of his Stratocaster
とある(ル・ブランはギターを弾いていないのでこれはピートによる謝辞)。
この盤を買ったのは原宿メロディハウスだったか、そのときにピートとマギーがそんな仲だったかと思って以来、ベンチャー・マギーがマッスル?_若干疑問だったんだ。違ったねぇ、そのストラトは近場の友人、(マッスル)ジェリー・マギーのでしょ…RIP。


2021年07月04日
ジェリー・マギー
が亡くなった。Ventures のマギーは…ダック・ダンと同じだったな、東京で客死、2019年。先週亡くなったのがジェリー・マギー、アラバマ/マッスルのギタリスト。
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74年盤ドニー・フリッツ『prone to lean』。76年に大学へ入って、軽音ロック・サークル、組んだバンドは先輩らと。ベースの間宮さんが絶対やりたいと言い出したのがこのLPの "sumpin' funky going on" 。そう言われて、僕もリーダー大木先輩も曲は分かっていた_当時で既にこのアルバムはUSロック好きには共通認識というか、Must な1枚だった記憶。この年の夏休みに、狭山の大木先輩宅で練習_くそ暑いなかを何度も通ったことを思い出す。が、トニー・ジョー作のとびきり swampin' な曲を上手くやれるわけがなく(僕はなぜかドラムだった)、この曲は早々に諦めた。
プロデュース/クリス・クリストファースン&ジェリー・ウェクスラー、全曲 muscle shoals sound studios 録音の名盤を久々に通して聴き返す。で、ギターだが_A2/B3 はピートの、B6はヒントンの屈指の名演。以下、と思う。
A1: Jerry McGee solo [credit]
A2: Pete Carr lead
A3: Eddie Hinton
A4: Jimmy Johnson rhythm
A5: Pete (leslie) + Jimmy
A6: left/Pete + right/Eddie
B1: Tony Joe lead [credit]+ Eddie
B2: dobro_Pete
B3: Pete lead
B4: Jerry McGee slide solo
B5: Pete(leslie) + Eddie
B6: Eddie solo / Pete acoustic
クリストファースン盤でレギュラー・ギタリストだったジェリー・マギー…僕らのなかではベンチャーズよりも LA swamp /デラ・ボニ・ファミリーとしてのほうが推しだったマギーゆえ、このフリッツ盤ももちろんマギーが参加…疑う余地がなかった。しかし、マッスル・ショールズを掘ってゆくなかで同名ギタリストがいたことを知る。で、もしやこのフリッツ盤のマギー_ベンチャー・マギーではないかも?…と、もやもやが続いた。そのことを本人に生前聴きたかったんだが。チャンスは2回あった。赤坂ブリッツで20年以上前か、加山雄三&ノーキー『永遠のギターキッズ』というコンサート、ゲストが来日中のベンチャーズ(飛び入りに山下達郎)…その打ち上げ会場で、僕はマギーに話しかけたかったんだ。聞きたいことが沢山あった、フリッツ盤も含め。しかしライヴ終了直後に体調が悪いと、マギーだけがホテルへ戻ってしまっていた…会えず。その数年後、毎夏来日のベンチャーズ仕事をやっていた元シンコーのライター/コンちゃんへ頼み込んでマギーへインタビューさせてもらう手はず。最初はOKの返事だったのに、これもポシャる。
いま聴き返して確信する、やはりフリッツ盤はベンチャー・マギーではなく、マッスル・マギーであると。A1の見事なソロ・プレイだが、ベンチャー・マギーはサムピック(もしくはフラット+サム)使いで複音ギタリストに対し、ここでは単音ソロであること。クリストファースン以外にもリタ&プリシラ・クーリッジ、ブッカーTらの盤で弾いていたマギーはルイジアナ出身のケイジャン/ディープ・スワンプなギタリストであるが、ハリウッド録音がベースだった_マッスル出張りはまずやらなかったと思える。
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それにしても…いまさらに思うのは、フリッツ盤のジャケ…やり過ぎだな、こりゃ。 The Band のせい?_「若年寄」が渋いというUSロック美意識の時代。
2021年06月12日
過去投稿に
記したように、 The 5 Men-Its は、これで「ファイヴ・ミニッツ」と読む。アラバマ・ローカルとあってリーダー格は地元のエディ・ヒントン。これは分かる。が、ドラムのジョニー "Duck" サンドリンとキーボードのポール "Berry" ホーンズビィはともに…そしてそこにあるようにピート(当時は本名 ジェシ "Beaver" カー)もフロリダ出身。テキサス生まれだが幼い頃にフロリダ/デイトナへ越してきたオールマン兄弟。皆フロリダ仲間。
南部結束なのか、アラバマ/ジョージア/フロリダ/テネシー、これら州間でのミュージシャン移動はかなり頻繁であったと思える。中で、テネシーの nashville は別枠として、キー・ポイントはやはりフロリダ。ここはそれなりの音楽産業が早くから形成されていたと思う。たぶんラジオ局がかなりあったんだろう。スティーヴ・アレイモ/ヘンリー・ストーンら、幾人かが顔役で。
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そうか、遅い!…が、たった今気付いたワ、Alston レーベルは Alaimo / Stone だったか!
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渾名が業界のお約束だった_で、キャプリコーン・レコードのハウスバンドだった Macon Rhythm Section は上記 Duck / Berry / Beaver の三人と、ベーシストの Robert Popwell 。デイトナ出身のベーシストはその後ラスカルズ、それよりこの人はクルセイダーズのメンバーで名を馳せたよな。なのでジャズ/フュージョン系とされるか。ロバートよりも Pops Popwell 。ポップスと呼ばれたのは業界仕事始めだったメイコン時代から_ロバート Pops ポップウェル。
http://www.electroacoustics.com/Rhythm%20Section.htm
ちなみにヒントンは The Bear 。このシングルはファイヴ・ミニッツ後にサンドリンと組んでのリリース。
https://youtu.be/UCbhPEWkZdk
デュアンとあるけど…ギターはすべてヒントンじゃないかなぁ。
南部結束なのか、アラバマ/ジョージア/フロリダ/テネシー、これら州間でのミュージシャン移動はかなり頻繁であったと思える。中で、テネシーの nashville は別枠として、キー・ポイントはやはりフロリダ。ここはそれなりの音楽産業が早くから形成されていたと思う。たぶんラジオ局がかなりあったんだろう。スティーヴ・アレイモ/ヘンリー・ストーンら、幾人かが顔役で。
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そうか、遅い!…が、たった今気付いたワ、Alston レーベルは Alaimo / Stone だったか!
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渾名が業界のお約束だった_で、キャプリコーン・レコードのハウスバンドだった Macon Rhythm Section は上記 Duck / Berry / Beaver の三人と、ベーシストの Robert Popwell 。デイトナ出身のベーシストはその後ラスカルズ、それよりこの人はクルセイダーズのメンバーで名を馳せたよな。なのでジャズ/フュージョン系とされるか。ロバートよりも Pops Popwell 。ポップスと呼ばれたのは業界仕事始めだったメイコン時代から_ロバート Pops ポップウェル。
http://www.electroacoustics.com/Rhythm%20Section.htm
ちなみにヒントンは The Bear 。このシングルはファイヴ・ミニッツ後にサンドリンと組んでのリリース。
https://youtu.be/UCbhPEWkZdk
デュアンとあるけど…ギターはすべてヒントンじゃないかなぁ。
2021年06月09日
最初期のピート

マッスル・スタジオfacebookの投稿_
なんと、ピート・カーがアラバマのローカルバンド The 5 Men-Its に「参加」していたとある。これは初耳。
http://sakatomi.seesaa.net/article/465020587.html
2021年02月07日
Macon で四人衆バック

#175
【Delbert McClinton / Second Wind】
produced by Johnny Sandlin
( '78 Capricorn )
<ー:★★>
78年カプリコーン・リリースか…まったくもって「らしい」盤だが、可も無く不可も無し。サザン・シーンではそれなりの名前か、マクリントン。過去にも#117 / #136 と2枚採り上げたがこの盤はそれらより前。全11曲うちオリジナル5曲、カヴァーはジェシ・ウィンチェスター/タージ・マハル/ウィリー・ディクソン/ケナー=バーソロミュー/ジョニー・キャッシュと…「らしい」曲が並ぶ。
ぶっちゃけ「声」だな、やっぱり趣味じゃないんだ。特に日本人には声は大事_なにしろ英語で歌われる曲ばかり聴いていても何の意味かさっぱり、声=音でしかないから。メインの音。同じ曲でもジェシ・エド盤だったら、あの声だったらまったく違うだろう。このマクリントン盤に近い盤を思い出した、コーキー・レイングのカプリコーン盤があった (#078)が、コーキーはいい声なんだ。
そのコーキー盤ではピート・カーがいいギターを弾いていた。ここでは Billy Sanders / John Hug とあるがどちらにしろギターはサザン・ロックの、これまた「らしい」お約束でレス・ポールだろう、ぶっとい音。相変わらずホーキンスがいいドラムを叩いているのでここもピートの軽いギターだったら雰囲気はかなり違ったはず。
ホーキンスといえば、この盤は四人衆全員参加での Capricorn studio / Macon で、かなり珍しい。他に1、2枚あっただけ。なぜマッスル・スタジオでなかったか…。コーラスにボニー・ブラムレット/ブラックベリーズ。意外な顔はミッキー・トーマス。
2020年10月05日
ダニー・オキーフ

#174
【Danny O'Keefe】
produced by Ahmet Ertegun
( '70 Cotillion )
<ー:★★★★>
全12曲うち4曲がハリウッドの United Western (BB初期のブライアンの拠点スタジオ)録音、8曲がマッスル録音、70年のメジャー・デビュー盤。Atlantic 傘下レーベル盤だがプロデュースは御大アーメット・アーティガンとなっている。
我がピート・カーはまだマッスルへ行く前、これはシェール盤に続く最初期マッスル・ショールズ・サウンド・スタジオ録音盤の1枚。Steve Melton / Jerry Masters エンジニア・コンビもまだ働く前、この時期はエンジニアから「マーリーン・グリーン期」と個人的には呼んでいる。レーベル・トップのアーティガンがまさかアラバマ片田舎へ足を運んだとは思えない。あくまで新興スタジオの門出にお墨付きを授けた意味のクレジットだろう。同様なアーティガン・プロデュース名義盤には #142/ Nicholas Lampe、#148/ Batdorf & Rodney盤ぐらい、かなり少ない。
エルヴィス・カヴァーで広く知られた "Good Time Charlie's Got the blues" _やはりこれがオキーフの世に知られる唯一曲だろう。自身のヒットがまずありきだったが、このファーストに収録。…ただし、ヒット・テイクは翌年のセカンド収録の、メンフィス・アメリカン録音ヴァージョンの方だった。リレコした。マッスルでのファースト・テイクは Eddie Hinton ギターでリレコは Reggie Young 。名勝負≠セが個人的にはマッスル勝利。
クレジットにウェクスラーの名がないのが不思議。実質プロデューサーのはずだが…洩れか? 実はオキーフ単身でマッスル詣でだったのかな、とすればバリー・ベケットの仕切りだっただろう。
そんな裏方予想は置いておいて、マッスル四人衆&ヒントンによって滋味溢れる楽曲が並んだだけで十分なのだな。生粋のソングライターと新進スタジオクルーの情熱がマッチした傑作。