2025年04月17日

Single edit version





マリンバ?_ 不可思議なイントロはシングルではカットされた、これはアルバムテイク。ピアノ:マイケルオマーティアン、ドラム:ジムゴードン、アコギ:ディーンパークス、リード:バクスター、コーラス:シュミット。ベースがwikiにはベッカーとあるが違う気がする。

ジャケット写真、極寒のNYセントラルパークだろうか。サンタモニカで録音しながら心はやっぱりNY? 串刺しのプレッツェルは妙にピントが合っているから変、コラージュだろう。といってもphotoshopのない時代、紙焼き写真をハサミで切り抜いて貼っただけ_アナログ。メニュー表示カ所も文字のはっきり具合からして怪しい。
ベッカー/フェイゲンはジャケにはまったく関心がなかったのだろう、たぶんレコ会社デザイン部任せでリリースされるまで見てなかったな_「音は最高/ジャケ最低」なSD。どのジャケも酷い。最悪は『幻想の摩天楼』だが。一番まともか、『』も…山口小夜子も違うと思う。前記のように、この写真はリリースの4〜5年前に日本の写真雑誌に掲載されていたものをハウスデザイナーが東洋イメージならこんなところでしょ<`ョイスしたまで。

&
全米1位曲「アメリカンウーマン」。これもイントロをすっぱりカットしてのsingle edit で大ヒット。この1分超のイントロがそのままだったらラジオでかからなかっただろう。




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2025年04月16日

20th century schizoid boy


どうなるやら…八代亜紀プライベード写真問題。ネットで見るとそのトラブルメーカーは「ニューセンチュリーレコード」。元はセンチュリーレコードとある。演歌業界事情は疎いがセンチュリーレコードには反応してしまった。ソウル/ポップス寄り、〆の知るあのセンチュリーはどうやら別、ではないらしい。六本木にあったレコ会社。メインは演歌でもジャズ/ロック/ブラックの部門もあったんだな…というか、各々1〜2名担当氏が好きに昔音源リイシューをやっていたのだろう。
残しCDにはこの2枚があった_

1000001639.jpg


(1)William DeVaughn / be thankful for what you got
    (Century Records CECC-00382)
(2)sweetest syrup of All Platinum vol.2/Me & My Gemini
    (Century Records CECC-00041)

1はストレートリイシュー。日本でも名盤で知られるシグマ録音/フィリーソウル傑作にしてヒットレコード。2はオールプラチナウムの独自コンピ盤。女帝シルヴィア率いるニュージャージー甘茶ソウルのレーベル、日本では湯村輝彦フラミンゴ画伯界隈のマストアイテムということでフラミンゴ組の大政_イラストレーター永井博がライナーノーツ。1は買ったが2はデザイン担当が友人だった、戴き盤。両盤ともにコーディネイト記載のMM氏。この人がセンチュリー社員で趣味押しのリリースを重ねた。狭い範囲だが当時、業界でブイブイ云わせていると噂でしたワ。90年頃のこと、その後会社は無くなったと聞いた。
で、時間空いて2015年からワーナーミュージックから「ナゲッツ」というオールディーズコンピレーションシリーズ開始、都合30タイトル近くリリースされた。その全てのデザインが〆の仕事だったが、"Doo Wop Nuggets" 3枚以外の全ての盤の詳細なライナーノーツ担当だったのがそのMM氏であった_懐かしい名前に出くわせたと思ったもの。

戻ってセンチュリー。これもリイシューしていたか…ハニーズ/ecstasy。60年代初頭にブライアンプロデュースでデビューの三人娘、これは80年代Rhinoから出た初のアルバム。オリジナルジャケのイラストはたしかにしょぼいとはいえ、これも「違う」んだよなあ_コンテムポラリー信藤氏による新規ジャケでしょ。
こなた、ハーパーズビザール/ as time goes byでござ〜る。ハーパーズ後期作のストレートリイシューだがジャケは激変_信藤氏ワーク。有りモノのヌード写真ではなく、外人モデルさんにおっぱい出してもらって激写。様々なカットをインレイ/インナーにふんだんに使用、おっぱい満載アートワークだったから非難ごうごう_何やってくれちゃってんのよ!だった。信藤氏はハーパーズを知らなかっただろう_渋谷系アップデートとして好きにやらせてもらいました仕事。ライナーノーツの渡辺満里奈もまた、ソフトロック?レニーワロンカー、テッドテンプルマン(この盤には不参加)、ライクーダーらによる Burbank Soundなんか知ったこっちゃない_であったと思う。しかし〆らにとってはむっさいオッサンらが涼しげに歌うこと/ジャケのオッサン写真も十分承知であったから、こりゃマイッタよ…であったリイシュー。
まあ兎も角、MM氏が渋谷系とつるんで好きにやっていたのがセンチュリーという記憶。


honeys.jpg

信藤さん.jpg



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2025年04月11日

Zehringer → Derringer


「リキの電話番号」、数あるSD楽曲ヒットでもベストに近い名曲だが、電話番号は「リキのものでない」のだから誤訳も甚だしい邦題。若いときのガールフレンドとの別れを歌ったとか不倫モノとか、いろいろ語られるが当時フェイゲンが語っていたことはいまではすっかり抜け落ちている。リッキー Rikki とはリックデリンジャー、と。歌自体は一枚のメモからのインスピレーションで拡げただろうが、そのメモはリックに宛てたもの。
ファミリーメンバー、リックだがセッション開始して連絡するもまず捕まらない。業を煮やしたフェイゲンがスタジオで「なあリッキー…、こちらから連絡する術がないからそっちから定期的に電話を頼むよ。で、これが俺の電話な…。この番号をなくすなよDon't lose that number...」_てことでメモを渡した、と。この関係を「ファミリー」といわずになんと言うかなと。

あのカールトンですら自身のギターソロが採用されたかどうかはリリース後のレコードで確かめるまで分からなかったというSDセッション。
セカンド『エクスタシーへカウントダウン』リックデリンジャーが弾くのは1曲のみ _"show biz kids”のスライド。サンタモニカのヴィレッジレコーダーでアルバム録音中、リックはコロラドに。Chicagoプロデュースで儲けたジェイムズウィリアムガルシオコロラドの山中に建てたスタジオ Caribou Ranch でソロ作『all american boy』を録音していた。それでもリックのギターを望んだフェイゲンはこの曲のテープをコロラドへ送り、ソロをオーバーダブさせて返送させた_『エクスタシー』のクレジットでカリブーランチの記載が入っているのはこれだけのこと。明らかにカールトンは non-family、リックはfamily 。





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2025年04月10日

Steely Dan family


ティモシーシュミットはやはりSDファミリーと思える。チャックレイニーギャド、プリティ、カールトン、パークスらは…素晴らしい演奏を披露してくれたがあくまでセッション人員であって「ファミリー」感はないのだな。メンバー期もあったポーカロにしてもファミリーに見えない。
エリオットランドールリックデリンジャーはファミリーメンバー。SDアルバムにその名は無かったがトーマスジェファーソンケイも一員。三人ともにベッカー/フェイゲンとは彼らの下積み時代、NY時代からの付き合いゆえに。リックは、マッコイズBangレコードバートバーンズ子飼い(本名ジーリンガーを、銃口からBANG! …というレーベルに合わせてデリンジャーと替えさせたバーンズ)。B/Fとはティンパンアレイ仲間であっただろう。
ティモシーB/FはNYでなくロスへ移ってからだろうが、まずポコSDは同じABCレコード所属であったからゲイリーカッツを介しての仲かもしれない。74年『爽やか革命』からクレジットが見えるティモシーで、本筋のポコが翌年盤『head over heels』でSDの幻のデビューシングル曲 "Dallas" をカヴァーしているのはフェイゲンの許諾だろうか。
&
ちょいと前に書いたが、ベッカー/フェイゲンがNYティンパンアレイに潜り込んだ、業界デビューがジェイ&アメリカンズのサポート。そのときにプロデューサーだったのがトーマスケイ、ふたりにとってはかなり先輩格。御機嫌なカントリーロッキンバンド White Cloudを経て73/74年にリリースしたソロ2枚『thomas jefferson kaye』『first grade』はやはりABCからで、プロデュースはゲイリーカッツ/エンジニア:ロジャー "immortal" ニコルズヴィレッジレコーダー録音とはSD仕様とまったく一緒。ファミリー総出のバックメンツ。スカンクバクスター、デヴィッドパーマー、フェイゲン、ベッカー、デリンジャーら。
後者ではベッカー/フェイゲン書き下ろし2曲収録も。コーラスのティモシーリッチーフューレイとともに。マイケルオマーティアン/ジムゴードン/ディーンパークスも参加ということは『爽やか革命』と同時進行で録音されたのかもしれない。それほどにSDとは関係深いトーマスケイであったヨ。


トーマス2.jpg





トーマスケイに書き下ろした2曲、その前のこの曲などベッカー=フェイゲンはSDアルバムにはちょいとハマらないが、この手の実にメロディアスなカントリーロック楽曲も書けたわけで_


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2025年04月09日

washington square


ポテトチップCM、若いイケメン俳優による普通のCMなのに音楽が、なぜだ?「ワシントン広場の夜はふけて」。古い曲、調べるとオリジナルのヴィレッジストンパーズによるdixieland なインストは63年に全米2位。CMディレクターがよっぽどのじいさん?_なことは無いだろう。若いディレクターだがたまたま聴いて? それともポテチ会社の会長のオキニ曲、ゴリ押し?

理由など何でもいいけれど、この曲は個人的な思い入れ_初めて聴いた「洋楽」であったような…。家にシングルがあった。それはオリジナルでなく歌入りのカヴァー。調べたらこれだった_エイムズブラザーズ盤。63,4年でなく4年後ぐらいに兄キが買ったレコだったんだろうな。
けっこう好きな曲だった、日本語詞でも随分口ずさんだ記憶がある。となると…これも調べるとダニー飯田とパラダイスキングのカヴァーらしい(訳詞:漣健児

CMはオリジナルに忠実なバンジョー・インスト編。誰が弾いているのだろう。古いがナターシャセブンなんてバンドを思い出したり…。関西や九州はいまもカントリーマニアが多いらしいがCMに駆り出されることはないな。これも古いが、たくろうの「結婚しようよ」のバンジョーは誰だったか。マンタ弟が当時バンジョー弾きだった記憶も。
器用そうな高田漣あたりだろうか。ん、漣は「さざなみ」か…。


わしんとん.jpg


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2025年04月06日

Midnight Special #104


通常回は各パフォーマーはせいぜい2曲なのにこの回、カントリーロックスペシャルなのかマーシャルタッカー/ポコ/チャーリーダニエルズ75年というイイ時の生演奏がたっぷり見られてこれは嬉しい。
MTB_武骨なテンガロンバンドなのに曲は意外やソフィスティケイト、ジャジーであったりメロディアスな曲も多かった。キャプリコーンレコードで、オールマンにはジョニーサンドリンが付いたがこちらにはポールホーンズビィが付いていた。コールドウェル兄弟、ベース/ギターがともに「親指弾き」変則プレイヤー。特に弟のトイは親指でめっちゃ速弾き、驚かされたもの。個人的にはオールマンよりもこちらを贔屓だった。

なにより嬉しいのは75年のポコが6曲(リップでなくしっかり歌っている)。いやポコバッファローの流れを汲んでのリッチーフューレイ時代でしょ_否。リッチーの曲も悪くないが個人的には71年から参加したポールコットン(ex- Illinois Speed Press)推し、"bad weather" はわが青春の1曲。ハーモニーも素晴らしかったこの時期_コットン/シュミット/グランサム/ラスティヤングの四人時代が一番。それにしてもティモシーシュミットはいい声だ。そこを買われてスティーリーダン・セッションにもたびたび参加。SDファミリー一員。





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2025年04月01日

Graydon - Amos


https://www.youtube.com/watch?v=_h0kgHWb6mc

ギタリスト/ギターソロを話題にするだけで十分歳が知れるというところか。歓迎されない時代らしいが…。
SDはセッションギタリストにとって檜舞台だったがなかでもジェイグレイドン"peg"でのソロはギターソロ史というものがあれば筆頭に挙がるだろうヒストリカルなプレイ。で、このインタビューのなかでそのジェイが答えている_ソロ史両横綱のもう一方とも言うべき「あれ」を、プレイ頭のスライドしながらダブルベンド…実は参考にしていたと。言われればなるほどと納得、「あれ」_エイモスギャレット「真夜中のオエイシス」
大の贔屓のディーンパークスもエイモスを絶賛。そりゃそうだろう、プロにしても stunning な、いまも語られるあのソロだ。



&
マイfavプレイ_ランドール、パークス、ジェイ、エイモス、カー…
http://sakatomi.seesaa.net/article/428862031.html

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2025年03月29日

場所未定

westerSale.jpg


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2025年03月28日

The Youngbloods

享年八十三、ジェシコリンヤングがpassed away...
ヤングブラッズはいまも聴く大好きなバンド。日本ではさっぱりだが山下教徒はもう少し推してもいいんちゃうか。なにしろSugar Babeブラッズセカンド収録曲名からなのだから。(曲としては個人的にはスティーブミラーステファンスティルスの同名曲のほうがオキニ)

ジェシコリン、ちょい鼻にかかった軽くて高いトーンの歌がなにより良かった、それとバナナのギター。やっぱりバナナ・ギターとバウアー・ドラム、このパワートリオ3人が最高であったよ。ソロは辛うじてのRaccoon 時代の『together』しか残してない。
まあその後ソロは迷走_同時代にシスコでやっていて、けっこう武骨な男だったボズスキャッグズのスマート路線ブレイクを見て思ったんじゃなかろうか…ボズより俺のほうがイケるんちゃうか、と。
ブラッズ…ベスト盤は『象山』か『good'n cheap & dusty』か。究極のレイドバックとして2枚のライヴ盤も捨てがたい。
&
ブラッズトリヴィアをひとつ_71年のヒッピー映画サントラ盤『Medicine Ball Caravan』、ここに収録"act naturally" カヴァーは他にないレアテイク。






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2025年03月26日

Van Dyke Parks


ヴァンダイクが来日なのか。ビルボードライブ? 行かないのよね。高いからだけじゃないな。ライヴ、全然行く気力無くなってる。自分の問題なのか相手の問題なのかが分からなくもある。「昔の名前で出ています」的な人ら/バンド…「まあ、もう最後だから」という理由付けはあるだろうけれど、そういう人でも何が何でも観に行かねばとは思えない。あまりにイイ時を知っているしレコで聴けたからか_ピークを過ぎた姿を見たくないというのや…現状「確認」てどうよ気分も正直あり。ブライアンやニールヤングでももう来日はスルーしそう。

ヴァンダイクってどこからだっただろうか。Burbank sound という言葉に乗せられたところ? レニーワロンカーやハーパーズが話題になったころに『discover america』も幻の名盤扱いが始まったかな。芽瑠璃堂、吉祥寺の店舗が最初と皆思っているだろうけれど違うんだよね。最初は通販で始まった。リストを送ってもらってオーダーしたよ。ヴァンダイク盤もそれで買ったかな。ブライアンとの関係、『スマイル』/「英雄と悪漢」とかはその時点でまだ話題になってなかったような気がする。

88年の初来日はサンプラで観た。このハコのキャパでライヴ出来るのは日本だけだよな…思った。アメリカ人でヴァンダイクの名前を知るのは音楽業界人だけだったろう。いまでもか。隣の席だった留学中アメリカ人が観客の多さにたまげて「どうしてヴァンダイクが日本では有名人なんですか?」と聞いてきたから「ここに来てるのは東京だけじゃなくて日本中から観たくて集まったから」と返事した。
99年は六本木にあったスイートベイジル139、二度目の来日公演。これはベースが…最初は細野だったが、ここではリースクでねぇ。座って弾くリースクと2mの席だったから記憶は、その滑らかな指さばき/長く延ばす独特のリースク・ベースラインしかないんだな。めっちゃ長い髭が弦にかかってて、平気なんかい?とも…。


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2025年03月22日

Brel_Scott


いしだあゆみを一度だけ間近に見たことがあった。ショーケンとの結婚は80-84年とあるからちょうどその時だな。フィルムコンサートを観終わって灯りが点いたときに気付いた_斜め後ろに座っていたいしだとショーケンも腰を上げたところだった。83年暮れの赤坂・草月ホール。
ジャックブレルの伝説のステージ_1966年パリ・オリンピア劇場でのショウ、そのフィルムを観たときのこと。(いまはDVDになっていると思う)

ショーケンブレルに惹かれたのも分かる。ジャンル分けでシャンソンとされるのはベルギー生まれフランスで活躍したからというだけ。その魂の熱唱は彼のオーティスに勝るとも劣らない、まさにソウルマンであったからショーケンにもグサリと刺さっていただろう。
特にイギリスには信奉者が多い。なかでもボウイ…「アムステルダム」をカヴァー。が、ボウイにしろイーノマークアーモンド…直接のブレルでなくワンクッションというか、スコットウォーカー(エンゲル)経由であったかもしれない。それほどにブレルに心酔していたスコット。そのスコットに心酔したボウイやイーノ、デヴィッドシルヴィアンたちにもブレルの存在も欠かせなかったはず。




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2025年03月11日

Hawthorne, CA


おっとっと、勘違い_ウィルソン家の場所はより南のホーソーン Hawthorne だったな。イングルウッドはブライアン生誕の地となっているところだったか。そこからホーソーンへ越したのか産院があっただけなのか、よ〜知らんですが…。
ホーソーンはバービー人形のマテル社創業の地。いまも本社残るのかどうかは、よ〜知らんですが…。Capitol デビュー前のビーチボーイズが "Barbie" を録音したのは偶然じゃない。作はブライでなくセッション仕切ったハイトモーガンの息子だが。
詳細はここに:
http://www.sakatomi.com/BB_talkin/d'sbb_1.html
これ書いたの何年前だ?…まだ California Dream Barbie は残っている

てなことで、この名曲を_




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2025年03月10日

れっちり


1月30日に行われたカリフォルニア火災へのbenefit concert_ FIREAID
5時間半がHDでYouTubeで観られる、そして驚くのは音の良さ。まんまライヴ音源発売できそうなきっちりしたミックス済み_クリア、分離、被りなしでパーフェクト。
しかしこのデカいハコ、場所は Inglewood, CAではないか。Wilson3兄弟が育ったあの小さな、今は高速道路になってしまったが、家があった町。なぜブライアンが、いやマイクラヴあたりは "California Girls" を歌いに出てくるのがお約束なはずだったのにその顔なし。

JBもいないよとか不満はいくつかあるけれどそれは納めておこう。
で、個人的に良かったのはRHCP。特にギター、フルシャンテ。この人、vintage 信奉者だがどのシングルコイルを使ってもほんとイイ音。なんなんだろうか、単にギターとイクィップメント/アンプによると思えない独特のトーン。
Nirvanaは…ま、いいか。





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2025年03月09日

ダギーと私生道

DuggieFields.jpg


そのモスコソサイケポスターの裏に入れていたがすっかり忘れていたのが出てきた、Duggie Fields
これはバブルの始まり頃だろうか83年、当時のホットスポットだった竹芝桟橋の倉庫で開催された作品展で買った_印刷でなくしっかりシルクプリントのポスター。主催は資生堂
資生堂は当時、新ブランドにパーキージーンというのを立ち上げた_そのCMに起用したのが英国アーティスト、まあポストモダンアートであったかな、ダギーフィールズダリばりの奇抜な風体といい、どこか胡散臭さを当時は感じていたがね。が、いま調べるとピンクフロイドを脱退直後のシドバレットとロンドンのフラットで同居していたそうな。地肩は強かった?
80年盤、西海岸のポップバンド The Motels のアルバム『Careful』のジャケイラストで注目されたかな、ダギー。「原宿クリームソーダの看板の絵を描いた人」ともあるな_これは見た記憶ありますヨ。

https://hanatsubaki.shiseido.com/jp/museum/8137/


これが私の生きる道(私生道)_パフィに歌わせた資生堂のCM曲。wikiでは「タイアップ元の資生堂の当て字になるという遊びでは無く、奥田民生いわく、偶然だとの事」
いやいやそんなワケないでしょ。奥田のサービス心≠ノ資生堂はいたく喜んだんじゃないスかねぇ。シャネルズを…「シャネル」じゃウチのCMに使うわけにいかないと言い張ってバンド名を変更させたとも聞く私生道さん。殿様クライアントには誰も逆らえない_


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2025年03月08日

Victor Moscoso


壁に掛けていた額を掃除ついでに拭いていたら、50×70cm だから小さくない、それが突然下に落ちた。掛けて20数年、裏ヒモの劣化_切れた。しっかりした作りで重さもあるし前面は塩ビ板でなくガラス…それが割れずにあぁ良かったワ。
飾っていたのはサイケポスター

60年代半ばからのサンフランシスコでのサイケデリックカルチャデッド、ジェファースン、クイックシルヴァーで三大バンドだろうか、個人的にはモビーグレイプが一番だが。ギグのハコ_ Fillmore, Matrix, Avalon... そこでの企画をして告知ポスターをシスコの街角に貼りまくっていた一番手は Family Dog Production 。このポスターもその1枚で、67年FDP presents のギグ_アヴァロンボールルーム6月15〜18日。
メインアクトが扇状に描かれてるが読めますか?_ THE YOUNGBLOODS
下には前座で the Siegal Schwall Band と。(小さい写真だと結構読めるもんだな)

サイケグラフィック四天王と勝手に名付けている_ リックグリフィン/マウス&ケリー/ヴィクターモスコソ/ウェスウィルソン、5人。グリフィンマウス&ケリーデッド盤ジャケの大半、他も含めてジャケ仕事では抜きんでていたがモスコソジェリーガルシアのソロやスティーヴミラーバンドなどのジャケをやっている_このポスターはモスコソのデザイン。この、サイケタイポグラフのなかでも最も読みにくい「モスコソ・レタリング」が好きだ。当時のポスターがそろってなぜ読みにくく描いていたかだが、ぶっ飛んでいれば容易に読める_客として呼び込むのは Sisters & Brothers only とするためと聞いたが、はて…。

このモスコソポスターを買ったのは90年前後だったか、渋谷西武での企画展において。7000円ぐらいした気もするが定かでない。ただはっきりとその場ではこれは「オリジナルのデッドストックプリント」となっていた。が…その後で2000年頃だったか、フィルモアの権利や物の一切をIT長者がビルグレアムから買い取った_ライヴ映像もポスターもネット配信/販売し始めた。そこではポスターに関しては、ランクがあって「original _ 2nd _ 3rd print」、オリジナルはバカ高値で後年のリプリント版まで、いまも売っているかな。〆が西武で買ったこれもまあリプリントであろうな。(デッドストックと言われればオリジナル/リプリントの区別がつく鑑定士≠ヘまずいないだろう_)


moscosoPoster.jpg


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2025年03月04日

Alvin Lee & Co.


暖かくなるかと思ったらまた極寒か_。ラジオから陽水「氷の世界」が流れてきて、これは季節を選ぶ歌よなァと。
何度も聴いてきたがあらためて印象的だったのがコーラス。これはアライヴァル。収録LP『氷の世界』は耳タコにいわれる「日本初のミリオンセラーLP」だが_〆も出てすぐに買った口(RCフリークとして当然)。録音は日本と倫敦。Arrival 、コーラス隊とみられてるがれっきとしたバンド。確か世界歌謡祭か何かで来日したこともあったと記憶。

この盤はロンドン、次作『二色の独楽』はハリウッド録音。これはアレンジャー星勝の独断…というかたっての希望が叶ったということと想像。陽水が売れて、は欧米の現場を肌で感じたかっただろうから。たぶん陽水自身は「面倒臭えなぁ…日本で充分なのに」意識だったのでは。ハリウッドでの超豪華メンバーも陽水は誰が誰やら知らなかっただろう_ デヴィッドTウォーカー、ジェシエドデイヴィス、ルーイーシェルトン、デニスバドマイア、マックスベネット、ウィルトンフェルダー、ジョーサンプル、エドグリーン、ハーヴィメイスン、ジョークレイトン…おっそろしいメンツはまだ続く、アレンジにはジャックニーチェジーンペイジだ!

ロンドンでのアライヴァルだが、バンドはその後 KOKOMOにシフトする。そこにはGrease Band からアランスペナー/ニールハバードやらクリムズンのメルコリンズらも絡んでくる。思うがUKロックシーンはさほど大きくない、ほぼ皆がロンドンに出てくるしかない?_どのバンドもメンバー変遷活発、有名どころは渡り歩きの感。で、ココモ界隈はさほどビッグネームでないがいわゆるパブロック人脈での出入りだろう。
ここら辺のミュージシャンとともにいいアルバムを作ったのがアルヴィンリーTen Years Afterリー…といえばウッドストックの熱演で名を上げてロックギター第一世代には「キング・オブ・速弾き」と知られた人ではあるが、ソロになってはクラプトンと近い道、ルーツロックというかアメリカ指向だったがクラプトンのようなブレイクには至らず。
73年の、USゴスペル系シンガー Mylon Lefevre との共作盤はスティーヴィウィンウッドやらミックフリートウッド、ロンウッド、ジョージハリスンなどオールスターゲストだったが、その次そしてこの2枚組ライヴはパブロック勢がバックを固めた御機嫌なアルバムだった(彼らと組んだ、一応はバンド名義にしていた_ Alvin Lee & Co.)。


アルヴィン.jpg

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2025年03月01日

Woodstock Brooklyn

ランドールTin Pan Alleyティンパンと言っても60年代の Tra-La days are over... この頃はSDにも似たジャズロック(…だが悲しいかな、曲の出来は雲泥の差で凡庸なアルバム続き)。カーシュナーからしてAldon musicは閉めただろう、TVで "Don Kirshner's In Concert / Rock Concert" のプロデュース、ロック時代に対応していた頃。
ランドールベッカー/フェイゲンの付き合いもいわばティンパン界隈仲間であったのは確か。B&Fにとってのティンパンは_2人は Tra-la days の有名チームのキング=ゴーフィンマン=ワイルのようにライターチームとしてひと旗揚げたかったという意味ではかなり old school な業界入りであっただろうが…。
リーバー=ストーラー子飼いのジェイ&アメリカンズに裏方として潜り込んだところが第一歩。初のクレジットはそのアメリカンズのシングルで arranged by Becker & Fagen 。演奏できっちり参加した初アルバムは、バード・カレッジ時代の仲間だったっけ?_テレンスBoona<{イランのファースト。
単科大学バードカレッジはNY州だが摩天楼からはかなり北へ行った場所。で、ザ・バンドリヴォンヘルムと結婚離婚の後にドクタージョンと恋仲…woodstock の地でエリックカズ "love has no pride" を共作したSSWはリビータイタス、昨年亡くなったがドナルドフェイゲンの妻だった。バード大はウッドストックに近かったから、共に暮らすようになったのはかなり後でも、もしかしたら知り合ったのはSDブレイク前かもしれない。

アメリカンズに絡む前、大学卒業して"NY, NY"に戻ったB&Fが知り合うことになった_バンド仲間になったのがデニーダイアス。NYはlong lsland在のジャズフリークのデニーが音楽誌に載せたメンツ募集 classified ad に呼応したのがふたり。『マジにジャズの素養あるキーボード/ベース求む』_デニーが率いていたセミプロ/トップ40バンドでその名は Demian 。SDの原型がこのバンドと語られるが、ふたりの意識はローカルバンドに留まっていなかったのでここはデニーと知り合えたこと/デモ録音できたことだけがメリットとみるべきか。そのデモ録にランドールは参加しているから確かに「旧知の仲」。

72年ファーストではデヴィッドパーマーに歌わせたが、その2年前のこのデモはフェイゲン自身で歌うスローアレンジ。"Kenny Vance tape" の1曲。

 guitar: Randall / bass: Becker / dr. : John Discepolo
 kbd & vo. : Fagen





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2025年02月27日

Premier guitarist




この曲、好きでねぇ…どこかとぼけた歌唱と華麗なピアノにストリングズ、ミディアムテムポの傑作。このシングルは "rare disk" の一枚、2〜3万_なのは、プロモ盤オンリーゆえ。曲はアルバム収録で普通に聴けるがね。そのアルバムがいまネット通販で見ると、日本の中古店だが¥2500相場。アナログはこうまで値付けできるブツに変わっていることに驚くワ_〆が嬉々としてレコ漁りに励んでいたころにはこのLPはほぼカス箱に…せいぜい¥300であったよ。
J. Jocko ことJohn Marcellino …イタリア系ニューヨーカー、Sha Na Na のオリジナルドラマーで現在もライヴで回っているらしい。唯一ソロが『That's the song』。この75年盤のプロデューサーが Elliott Randall 。ランドールはこの時、変名でシャナナのメンバーだったからバンドメイトということ。
このシングル曲でのギターがいい。まったくソロ無しだがカッティングだけで乗れる_シックのナイルロジャーズのように…。


いまでも個人サイトトップに "Steely Dan's premier guitarist" _ ギター席の一番手はオレだ、と言い張るランドール師匠。いやいや、首席はやっぱりデニーダイアス(ディアズ)だがなあ。
生粋ニューヨーカー。マンハッタン島とブロンクス区を隔てるハーレム川、それとイースト川の合流点の中州が Randall's Island 。ランドールのソロ作のタイトルであり、そのまま4人バンド結成してバンド名にした_同名義でアルバム1枚。その後ソロに戻ってのリリース盤は『Randall's New York』で、これはプロデュースがトーケンズだった。レーベルはかのドンカーシュナーの Kirshner から。実にTin Pan Alley_


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2025年02月16日

TMSでの弾き良しスカンク


Jeff "Skunk" Baxter_ 大好きなギタリストだった。
「バンド時代」SDMidnight Special出演の5曲。73年2月と8月、「輝く季節」がダブるが都合5テイク。あたまの "do it again"ではギターでなくコンガを叩くスカンク。この曲、レコードではフェイゲンだがデヴィッドパーマーのヴォーカルに代わり、ダイアズのリードギターはエレキシタールから普通にテレキャスター弾き。しかしジャジーなプレイは聴き応えあり。パーマーは半年後には解雇されているのか姿無し。

それにつけてもここでのスカンクの見事な弾き…これが好きだったのよ。マイナーペンタ弾きこそロックだと思っていた身にはなんとも不思議なヴォイシング/フレーズの連発。これはジャズなのか? ダイアスにも言えたが馴染みの無さゆえ新鮮な驚きであり一気に惹かれた。SDの魅力_複雑なコード/曲構成ながら頭デッカチにならずポップさと、いいメロディーを示してくれたことで、スカンク(&ダイアズ)のギターもがっちりとフェイゲン節に寄り添っている。SD曲のなかでは比較的単純なコードで、ポップさが際立つ "my old school" でもスカンクはトリッキーなプレイでがんがん攻める、いいんだこれが。

で、SD後のスカンクも随分と追ったのだが_まったくダメ。まずどのセッションでも「弾きが浅い」。がっかりさせられっぱなしだった…が、思えばギタリストの魅力は曲依存_ハマる楽曲あってこそ発揮する。スカンクにとってはベッカー/フェイゲン曲だからこそあれだけ輝いたのだろう。
SD脱退後スライドして移った先はドゥービー兄弟。なかではこのモータウンカヴァーがまあいい方だった。ここでもポップダンスチューンにマイナーなヴォイシングで異彩を放つ。




これもスカンクがソロ弾き。フレーズ的には面白いがギターが…この頃はGrecoのギターシンセだったろう。音が若干趣味でない。




80年代に入って正直まだやってました?感あったアルクーパーの盤『championship wresting』。本人は一歩引いてゲストを立てたオムニっぽい仕上がりだった、歌もアル以外にヴァレリカーター、ミッキートーマスが。ただこれは featuring Jeff Baxter と銘打ったレコ、ギターは全面スカンクの記載だったしエリオットランドールの名もあれば買わずにはいられず。しかし聴けば本人=アルが思いの外でしゃばり気味にギター弾いてたんだな。強いて聴き所といえば若きヴィニカリウタの超絶ドラミングだけだった記憶…処分してしまったが。

>> Randall vs. Baxter
http://sakatomi.seesaa.net/article/503297503.html


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2025年02月15日

TMS_steely dan compi.





過去ポストに入れたTVライヴ映像、リンダ同様にこうして纏めてもらえるのは有難い。
スティーリーダン、もしかしてBB以上に…個人的にこれまでで一番聴いてきたのはこのバンドかな。それほどにマイ・ライフになくてはならない存在_大きな多幸感をもたらす希有なバンド。が、しつこいがそれは『ガウチョ』まで。

SDの前に一言。最新の『Midnight Special』ポスト、トムジョーンズがホスト回だがそのトムのバックバンドのギターはリーリトナー。74年のこと、まだまだちょこまかセッションとそうしたトラ仕事時代_一方この映像でSDを紹介するのはジョニーリヴァース。彼がホスト回、後方でgibson335を持つのはラリーカールトンですわ。リトナーもカールトンも裏方時代。
この時、ウルフマンは "Johnny Rivers & the L. A. Reggae Band " とMCしているがこれはちょっと違っていて。同年アルバムが『L. A. Reggae』だったリヴァースだがバックバンドは L. A. Boogie Band と名乗っていた。メンバーとしてこのTV回にはカールトン/ジョーオズボーン/ハーブペダーセン/マイケルオマーティアン/ディーンパークス/ジムゴードン/ジムホーンらがいる。
リヴァースが、Boogie Bandをバックにこの番組のテーマ曲_まんま "midnight special" だが、歌っている。CCRもやっていたトラディショナル曲_これをリヴァースがリリースしたのは64年。番組で使用されているのはそのテイクではなく(当然番組用にだな)リレコ。リードギターはDパークスだが、このリレコテイクは盤としてなぜか世に出ている気配ない。人気番組のテーマなので音楽好きには飽きるほど聴かれていたこれ、シングルの1枚でも出せただろうに…。

自分らもゲスト登場で演奏2曲だがリヴァースの演奏も脇で見ているベッカー&フェイゲン。この出演直後にここでのメンツ=バンド形態を終いにしてレコーディングセッション主体活動、そこにカールトン/オマーティアン/パークス/ゴードンを呼んでいるというのは興味深いところ。"do it again" が運良くヒットしてスタートしたがまだまだ新人、こうしてTV露出もせねばならぬ時期であったが、スカンクやコーラス隊Porky & Buckyが嬉々としてライヴを楽しんでいるのに対してあきらかにstage fright なフェイゲンだが、リヴァースを盛り上げる腕利きたちを自在に活用してのレコーディングを夢想し始めたやもしれぬ…。

posted by denny-0980 at 22:40| Comment(0) | TrackBack(0) | Assorted | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする