2021年12月31日

Sock-It-To-Me!!! Info.

★17_Nov. :
「ソフト・ロック」の牽引者であり、ファンジン『VANDA』をともに作っていた盟友の佐野邦彦さんが亡くなりました。2014年5・7月にご自宅へ伺っての、当方とのトークを以下に。
http://www.sakatomi.com/framefirst.html

★17_Jul. :
『500 Atlantic R&B/Soul singles 1964-1972』
アトランティック70周年_シングル音源500曲を2枚組CDで
全10枚、リリース開始。graphic work by denny-0980
http://wmg.jp/artist/500atlantic/discography.html

★17_Jun :
新規ブログ_LP「内側のみ」『Look Inside』
画像は_右クリック『新しいタブで画像を開く』して、最大サイズ≠ナ
ご覧いただきますよう四四七二
http://denny-inside.seesaa.net/

★17_may :
『ソフト・ロック・ナゲッツ』4W_ 5/31
design by denny-0980
http://wmg.jp/artist/softrocknuggets/

★16_dec:
最近音楽誌でよくはちみつぱいが取りあげられているが、そのぱいのメンバーであった渡辺勝さんらとの『トーク・セッション』。
せっかく貴重な70年代日本ロック話を聞かせてもらい、サイトに上げながらも当方の力不足で内輪受けに留まってしまったのがなんとも惜しいと、再読してみて痛感。とくに斉藤哲夫さんのロング・トークなどはリアルな当時の逸話満載。ほかにもトーベンさん、洪栄龍さん、永井充男さんら_そのほか、ミュージシャンのみならず音楽関係の方々に興味深い話を聞けたと思うので、ぜひ時間のあるときに再読、もしくはあらたな読者となっていただきたく…。四四七二。
  D's Talk Sessions

★01_start:
http://bit.ly/2pHYyDS
個人的に深掘りしている音ネタは『マッスル・ショールズ』。
+
アラバマ州の同地にある Muscle Shoals Sound Studios での録音盤と、
そこで活躍したセッション・ギタリスト Pete Carr 参加盤を探して
2001年から紹介しておりマッスル。
001枚目〜127枚目
http://www.sakatomi.com/petecarr/
128枚目〜157枚目
http://whink.seesaa.net/
+
158枚目からはこのブログで掲載中:カテゴリcheck →


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2017年12月10日

SD early days

ネット情報/音源でいくつか気になったのが「初期スティーリー・ダン」のこと。Revisited.. 追憶のSDハイウェイ。

まずは出会いの場所。ニューヨーク州の単科大学である Bard College 。亡くなったベッカーは1950年生まれと、結構若かった。1〜2才年上のフェイゲンが校内でジャズかましてたベッカーに気付いて声をかけたとある。1967〜8年か。
 その場所を見てもらいたい。ニューヨークといってもマンハッタンからは北上すること3時間ぐらいか、かなり田舎。ハドソン川を越えた先にあるのが「ウッドストック」。

 SDはかなりティンパンアレイ色の濃いところから出てきた。ウッドストックとティンパンアレイの両色を持つ者といえばトッド・ラングレン。SDとトッドが絡んでいておかしくない気もするが、記憶では無かったが。
 しかし唯一、フェイゲンと絡むウッドストックは奥さんのリビー・タイタス。リビーの前夫はリヴォン・ヘルムであり、自身SSWでアルバムも出したリビー の、ウッドストックを代表するSSW=エリック・カズとの共作は数多のカヴァーを生んだ名曲 "love has no pride" 。

もとい、バード大のちょい南町が…そう「バリータウンから来た男」。


まっぷbard college.jpg



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(修正)バード大でベッカーとフェイゲンのふたりは「Sowing Wild Oats 101」という授業を専攻していたそうな。フェイゲンは、学生の休憩教室から聞こえてきた "howling wolf" に反応…それはエピフォンを弾くベッカーだった、と。

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ベッカーとコンビを組んだフェイゲン、目指すは音楽の道。学業はどうなったか、中退なのかどうかよく知らないが、勉学より音楽だった様子。それもプロ。ここで疑問、ミュージシャンになりたかったか裏方になりたかったか。ふたりでソングライティング開始。ここがまずティンパンアレイっぽいところ、「ふたりのチーム」。
 フェイゲンは自信家であり、かつ悲観的だったのではと想像したり。誰よりクールな曲が書けるオレ様なのだ…が、この曲が一般に受けるだろうか/このルックスはダメだろ/この声もダメじゃねぇの?… Upside Down 、SDの初期のゴタゴタはこのフェイゲンのメンタルに尽きる…ような。

それはともかく、ふたりは音楽で飯を食うべく頑張る。go to NY Tin-Pan Alley _ ティンパンの大御所リーバー=ストラーの持ち駒だったジェイ&アメリカンズのバック仕事へ潜り込み。それと同時期かちょいと前か_大きな出来事があった、初録音。
 バード大在学時にも遊びバンドはいくつかやっていた二人で、そのひとつがチェヴィ・チェイス(TV "saturday night live" からブレイクしたコメディアン)がドラマーだった The Leather Canary …チェイスがらみでよく知られるところ。そしてテレンス・ボイランも学生仲間だったらしい。
 Asylum レーベルからアルバムを出したSSWとして知られるボイランだが、早熟のミュージシャンだった。兄がジョン・ボイラン_カントリー系のプロデューサーで有名な人。兄弟は68年に The Appletree Theatre 名義でプロデビュー、 Verve Forecast レーベルからLP(ラリー・コリエル/エリック・ゲイル/チャック・レイニーらがバック!)を出している。テレンスはソロ・コンタクトを同レーベルと結び、69年に『別名ブーナ=x( Alias Boona / Terry Boylan )を発表。このアルバムにベッカー(ベース/ギター)とフェイゲン(オルガン/ピアノ)が参加している。ディラン・カヴァー1曲で残りすべてブーナのオリジナル、残念ながらベッカー/フェイゲン作は収録されていない。しかしこのアルバムを持ってNYで売り込みを掛けたというから、二人にとってプロのレコーディングを経験したことは大きな自信になったことだろう。


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NYマンハッタンへ戻ったベッカー/フェイゲンのコンビはジェイ&ジ・アメリカンズ仕事を、どういうコネか?_ゲット。とはいえヒット連発は昔のこと、サイケからヘヴィなロックへ様変わりのなかではもはや old shcool pops でジリ貧期。東海岸の小さめのハコを流す程度だったのでは。ふたりは正式メンバーとなったわけでなく、営業ライヴとレコーディングに関わったらしい。
 69年の最後のトップ20ヒットはスペクター・クラシックの "walkin' in the rain" 、そしてその収録LP『wax museum』、ふたりは演奏に加わっているらしいが、Tristan Fabriani / Gus Mahler の変名を使ったそう。意図はよく分からない(学生だったので名を出せなかったか、バンド状況からわざわざ出すまでもないと判断したとか…)。
 この最後期アメリカンズのプロデュースが Thomas Jefferson Kaye だった。その後、ケイは非常にSDカラーの濃いアルバムを2枚出す。プロデュースがゲイリー・カッツ/エンジニア、ロジャー・ニコルズ。ベッカー/フェイゲンは演奏、コーラスに曲の書き下ろしまで。デヴィッド・パーマー、ジェフ・バクスターも。その他のセッションメンバーもSDとかぶる_つまりは、サンタモニカの Village Recorder でSDが録音をしている同時期、たぶんセッションの合間にケイの録音もしていたということと見た。そして重要なのは、ケイの2作でフルで活躍したギタリストがリック・デリンジャーなこと。

 個人的に確信しているんだが、ドナルド・フェイゲンが信頼していたギタリストは三人だけ。ウォルター・ベッカーも当然入るがここでは除く、デニー・ダイアス/エリオット・ランドール/リック・デリンジャーの三人。カールトンもリトナーもグレイドン、ディーン・パークスらは優秀だがあくまでトラ、駒のひとつであって適材適所でハマる仕事をしてくれればOK…の存在かと。
 まずダイアスは、唯一最後(『ガウチョ』を最終盤とする)までベッカー/フェイゲンに付き合ったプレイヤー。いやいや、『ガウチョ』ではお役御免、参加してないでしょ_? たしかにそうだがね。ただし、ひとりふたりとメンバーを切っていって最後にはダイアスも…そうじゃないと思うわけで。ダイアスはいわばスティーリー・ダンの創設者。ベッカー/フェイゲンとは同等の、いやふたりには先輩格だったはず。なので『ガウチョ』セッションとて声を掛けていないわけはない。しかし思うに、ダイアスは釣でもしていて急にヒキが良くなったから予定変更…「今回は俺、釣に夢中だから行けんワ…」の電話一本で済ませたんじゃないか、そんな想像すらできる。この人はロック・スターなど端から眼中になかったはず、たまたまジャジーでクールなバンドでもやろうと決めたときに出会ったベッカー/フェイゲンと意気投合しただけだ。他のバンド活動もなければセッション参加も皆無。あくまでもベッカー/フェイゲンがやりたいようにしているのを傍観/サポートの位置に自分を置いていたのだろう。
 ふたりがジェイ&アメリカンズに関わりだした頃に、NYはロングアイランドの Hicksville 在住のギタリスト Denny Diaz が The Village Voice 誌に出したメンバー募集:
"Looking for keyboardist and bassist. Must have jazz chops! Assholes need not apply"
「ジャズの心得あるキーボード/ベース求む。使えねえ奴は御免」
こりゃオレら以外にいねぇ〜べ、とベッカー/フェイゲンは思ったことだろう、ダイアスにコンタクトして、まずはジャムるところから始まり。ちなみに "Diaz" が本名か、SDのアルバム以降は "Dias" となっている。

ダイアス、セッション無しと書いたが、1枚だけあった_たぶんこれだけだろう。79年の英国盤で『Flying Home / Summer』(touchstone sound recordings BBT-113)
「サマー」というバンドのようだがそうでなく、企画物。This special benefit album features... の文字もあるから何かのベネフィット企画のようだが詳細不明。仕切りが Sammi Abu …UKレゲエの人物? よく分からない。ただし結構なメンバー参加:ドラムが、ジェフ・ベックのバックで活躍した Richard Bailey で、ベースに当時ミック・テイラー・バンドだったクマ原田。オシビサのギタリストや、コーラスにマキシン・ナイチンゲール/P. P. アーノルドも。録音がロンドンと米西海岸。この盤に、「スティーリー・ダンの」と但し書きでなぜか Denny Diaz の名が(ダイアズ名義)。それを見て一応は買った次第_が、内容はかなりプア…。


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「リキの電話番号」… "Rikki don't lose that number" の邦題だったが、これはおかしい。 リキの番号は問題ではない_「リッキ、この番号をなくさないでくれヨ」なのだから。リキでなく話し手の番号の話。この歌に関してむか〜しどこかで読んだ逸話、このリキはリック・デリンジャーという話。別話も多いから信頼おけないかもしれない、しかし当方としてはこれでいいのだ_デリンジャーがらみと受け取っている。
 フェイゲンの贔屓のギタリストだったリック・デリンジャーだが、かなりルーズ。セッション毎に声を掛けるが来たり来なかったり。フェイゲンからは電話してもまず出ない。そこでフェイゲン、顔を見せたリックに…「なあリック、お前さんから俺に定期的に電話を掛けてくれよ。いいかい、これ_俺の電話、この番号をなくすなよ!」と言った…か、言わなかったか…。まあ言ったと当方は信じて、この時に曲の構想をフェイゲンは得た、と。

ベッカー/フェイゲンがアメリカンズにからんでティンパン界隈で働き出すより数年早く、デリンジャーはティンパンの雄だったバート・バーンズに見いだされてデビューだった(正確には「見いだされて」ないが)。
 64年の Atlantic シングル "my girl sloopy" 、ベテラン黒人グループ The Vibrations 盤はバート・バーンズ(&ウェス・ファーレル)作・プロデュース。チャート26位とスマッシュヒットだったが、バーンズは満足せず。翌年に自身で興した新レーベル BANG (バーンズ/アーメット&ネスイ・アーティガン/ジェリー・ウェクスラーの頭文字から:ならば最後は「J」でしょ?_いや、Gerald Wexler )、そのバング・レーベルから再度仕掛けることを思いつく。そこでレーベルの裏方をやりながら The Strangeloves なるでっち上げバンドでヒットも出していた Feldman, Goldstein, Gotfehrer 三人チームでのリリースを考えた。が、三人は拒否。そのかわりに連れてきたローカル・バンドがマッコイズ。なんでやねん?と、バーンズはやけくそでリーダーのリック・ジーリンガーの名をレーベル名(=銃声)にかけてデリンジャーと変え(たと思う…まず間違いない!)、シングル・リリース。見事全米1位となったからフェルドマンらも胸をなでおろしただろう。
 ティンパン界隈では先輩格だったデリンジャー、フェイゲンとはどこかで接点があったのだろう。フェイゲンはSDセッションにリックを呼ぶ。あまり多くの参加がないのはデリンジャーがソロ活動に重きを置きだした頃と重なったからだろう。2枚目『エクスタシー』の "show biz kids" でスライドを弾くが、これはデリンジャーがファーストソロ『all american boy』をコロラドのカリブーランチで録っていて、SD録音のベース基地であるサンタモニカ(の Village Recorder)へ来られない_そこでフェイゲン、わざわざマスターテープをコロラドまで送付しスライド・パートだけ重ねさせた1曲。これからしてもふたりの関係が垣間見える。


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ダイアス、デリンジャーと来て残るはエリオット・ランドール。当方、好きでね。ソロ4作『Randall's Island』『Randall's Island / rock and roll city』『Elliott Randall's New York』『Elliott Randall Guitar Archives vol. 1』_パーフェクトに押さえている輩が他にいますかいな、nobody but me... 。エリオット本人から「あんたはエラい!」とメールのひとつも貰いたいくらいだわ。
 そのきっかけは当然ながらSDアルバム/ファーストからであった。いや、シングル「輝く季節」をラジオで聴いたときからかな。なんにしろ、ランドールといえばスティーリー・ダン…本人サイトも一貫してトップに "Steely Dan's premier guitarist" と入れている(以前はいまよりずっとデカい文字で)。
 60年代後半からプロとしてNYで活動。その呼び方が消えつつあったろうがNY音楽界の大意としてのティン・パン・アレイ(ソロ3作目はティン・パンの総大将ドン・カーシュナーの Kirshner Records から出している)…ベッカー/フェイゲンとの付き合いは古い。サイトで曰く「おれがジェイ&アメリカンズの音楽ディレクターをちょいと努めた時期、その時に彼らに会い、それからの付き合いさ」。この後に語るヴァンス・デモから参加、音源としても残している。

ここでちょいと触れておきたいのは70年前後の東海岸ロック・シーン〜ボストンからNYにかけて。当たり前に数多のバンドがプロ/セミプロとして活動。小さめのハコで対バンすればそれとなく知り合うのは道理、メンバーの行き来も当然あったはず。ランドールのからみバンドとして Ten Wheel Drive というバンドがあった。Sha Na Na 、あのシャ・ナ・ナの…ほぼメンバーだった時期もあるようだ。
 スカンク・バクスターはボストンのカレッジを経てNYへ戻りプロとして Ultimate Spinach でデビュー。ジェームス・テイラーがダニー・クーチと Flying Machine で活動_NYでアル・ゴーゴニ・プロデュースでデモ録音。クーチがその後組むベースがチャールズ・ラーキーだが、ラーキーはSDメンバーになるデヴィッド・パーマーとともに、キング=ゴフィンのレーベル Dimention からシングルを出したバンド、The Myddle Class をやっていた。パーマーのその後のバンドは Quinaimes Band。SD初代ドラマー、ジム・ホッダーは Bead Game でデビュー。グリニッジ・ヴィレッジ界隈か、皆がしのぎを削っていたんだろう。そんななかに存在していたのか? デニー・ダイアスのバンド_ Demian 。

内容はさほどじゃないんだが、その頃のNY録音の1枚を紹介。
【Buzzy】'72 Kama Sutra
 バンドのようだがさにあらず、ソロ。バジー・ラインハートは、ジョン・セバスチャンのダチでやはりヴィレッジ界隈で活躍。ソロとしてアルバムをリリース(74年盤はマッスル録音だった)。この盤のメンバーは Peter Ponzol (sax, flute) Danny Trifan (bass) Luther Rix (dr.) Skunk Baxter (gtr) の固定バンド。ドラマーが Ten Wheel Drive から。ゲストに Mark "Moogy" Klingman 。ムーギーのソロはウッドストック関連盤として知られるが、このバジーの盤もミックスはベアズヴィル・スタジオでトッド・ラングレンが手掛けていた。ランドールと同様に、SDファンとなってからスカンクも贔屓のひとりだったが、ランドール/スカンクともにクレジット買いした盤でのギターはまあ「薄い」ものがほとんど! ふたりともSD盤での活躍はまず他で見られなかった。そのなかでこのバジー盤は、バンド固定ということでスカンクが珍しく「弾いている」。

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ランドールは知る人ぞ知る存在でさほど語られるプレイヤーではないが、これは意外だった_シュガーベイブ。CD化されたシュガー盤の山下達郎のライナーノーツで、ギタリスト村松邦男がバンド当時にひいきにいていたギタリストとしてランドールと名を挙げていた_。ランドールはイタロ・アメリカンとのセッションが多かった(シャ・ナ・ナはもちろん、ローラ・ニーロ/フェリックス・キャバリエ等)からかもしれない。

ランドール、オノヨーコ・バンドの一員として来日したことがある、はず。

エリオット・ランドールがギターを…
[Don Cooper/bless the childre] roulette 69
 tin cans and allaeyways_ https://youtu.be/Ma6YGUuTxNw
[Stu Nunnery] evolution 73
 the isle of debris_ https://youtu.be/hNEyzXpEGes
[Vicki Sue Robinson/never gonna let you go] RCA 76
 turn the beat around_ https://youtu.be/vz9pZW5OvM4
[J. Jocko/that's the song] kama sutra 75
 i'm gettin' over_ https://youtu.be/lC3PpGE5j0s

来日しサディスティック・ミカ・バンドにも「参加」したヴィッキの、唯一のヒット曲。ジョッコはシャ・ナ・ナのドラマーでソロ盤プロデュース/ソングライト/ギターをランドールが手掛けた。


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戻って。ベッカー/フェイゲン、ジェイ&アメリカンズとして活動しながらも売り込みに奔走。「ポップでなく」どちらかといえば奇異な楽曲はなかなか厳しかったが、それでもふたりの支援者に出会うことになる。ひとりは、当然ゲイリー・カッツ。もうひとりは…早々の出会いだった、ジェイ&アメリカンズのメンバーなのだから_ケニー・ヴァンス。ならばヴァンスはカッツに先駆けて、誰よりも早くにふたりの才能に惚れ込んだ男ということになる。しかし、その先は混迷?
 ともかく、ヴァンスはふたりのためにかなり尽力したようにみえる。デモ録音の仕切り、新たな仕事も与えた。今日まで溢れたまま…というか、ほぼ垂れ流しままなのが " pre-Steely Dan " 音源。デビュー以前の音は、80年代のアナログからCDとなっても英・米・日本で出しまくり。大半はブートもどき、怪しいレーベル。これが理解できない。音に関して妥協を許さない完璧主義のフェイゲンの現状黙認は何ゆえか。訴えようにも逃げるレーベルと諦めかもしれない。が、当方の想像は_ヴァンスとの縁切り土産ではないかと。数多いリリースもほとんどがコピー音源、となれば元は…ヴァンスとしか思えない。ヴァンスには「ベッカー/フェイゲン/ヴァンス」のトライアングルで成功…カッツの立ち位置は本来自分であった_の思いがあったのでは。ヴァンスとベッカー/フェイゲンの間に諍い、思惑違いがあったかどうか実際は知らないが…。

「プレ音源」_UTアップされているこの(ブート)CD2枚組、いまのところフル収録だろう、全28曲。当方もLP、CDで都合5枚買わされたプレ(アーリー)ワーク音源。
https://youtu.be/78lMuN8MiEA
 よく聴けば3パターンあることに気付く。A:自宅が事務所かでのキーボードの弾き語り(に、せいぜいベッカーの薄いハモり)/B:(アンビエンスからして)スタジオでの弾き語り/C:バンド演奏=スタジオ録音。
フェイゲン弾き語りは、デモとも呼べない単なる備忘記録のレベル。それでもSDとして完璧な音の構築に至る、最初期を知れる意味で興味深いし、まったくの naked からは lo-fi な魅力が溢れる。
後、SDとしてオフィシャルに録音したのは:
 charlie freak
 caves of altamira
 any world that i'm welcome to
 parker's band
 barrytown
 brooklyn
6曲。
うち、バンドでのきっちりしたデモは "brooklyn" のみ。ファーストアルバムではテンポを上げてデヴィッド・パーマーが歌ったが、この、地元NYはブルックリンへ思いを馳せたフェイゲンのゆったりした歌もランドールによるギター(ソロ、オブリ)も素晴らしい…断然こちらに軍配有りとファンの間で周知。


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 当方最初に買った盤がこれで_
【Becker & Fagen / the early years】 ('83 Aero Records)
NYのマイナーレーベルからだが、裏ジャケにケニー・ヴァンス自身でライナーノーツ、デザインが Elektra Records のハウス・デザイナーだった Bob Heimall 、疲れ切った顔だがジャケ写真は Marty Kupersmith 提供_マーティはヴァンスとともにジェイ&アメリカンズだったから、バンドのバック時代の二人ということだろう…かなり正規盤らしい仕様のLPだった。10曲収録、ヴァンスの仕切りによる「きっちり」したデモ音源はスタジオでのバンド録音なので前記「C」に当たる。
side A : brain tap shuffle / come back baby / don't let me in
  old regime / brooklyn
side B : mock turtle song / soul ram / i can't function
  yellow peril / let george do it
 all songs written by Becker/Fagen (except B1 by becke/fagen/Dodgson)

ライナーとしてヴァンスは_ふたりはバード大で出会って曲作りを始めたが、ティン・パン・アレイのブリル・ビルディング界隈で売り込むも苦戦/しかしバーブラ・ストライザンド盤に曲が採用された/"soul ram" の歌詞のなかから steely dan の言葉を選んでバンド活動を始める=Qなどを記している。ここに収録曲は 68〜71年の間に録音されたとも。
 曲毎のミュージシャンクレジットもある。さてこれが "Demian recording" と呼べるや否や。メンバーとして、ベッカー/フェイゲン/ダイアスを基本として drums : John Discepolo, John Mazzi / vocal & chorus : Keith Thomas / guitar : Elliott Randall ("brooklyn" only) となっている。キース・トーマスは old regime / soul ram / let george do it の3曲はリードで歌う。 "yellow peril" のみはまったく別物で、ドラムがヴァンスと記載されているがハイハットを打つだけでドラムと呼べる物ではない。10曲うち9曲が「C」バンド録音で、1曲のみ「B」ということ。レコードにするには曲が足りなかったので無理矢理入れ込んだか。ちなみにクレジットでは1曲のみとなっているランドールのギターだが、"don't let me in" もそうだろう。
 何度か資料で見たことなんだが、この時期にデニー・ダイアスは Demian というバンドを率いていたという。戻ってほしいのはダイアスの「メンバー募集」_キーボード/ベースを、と限定している。これは考えようによっては asshole だった二人のメンツを切って、あらたな募集をかけたとも見える。デミアンの再起と。たぶんその時点でデミアンは Dias, John Discepolo, Keith Thomas だったのだろう。ダイアスとしてはそこにベッカー/フェイゲンを加えたつもり…、しかし曲を書くし歌も歌う才能ある二人だった、庇を貸したら母屋を取られた形。ヴァンスはもともと「ふたりの才能」に賭けていたのだからバンドがなんであれ構わなかったことだろう、ライナーノーツに Demian の文字はまったく出てこない。しかしここでは便宜的に「C」をデミアン・デモとしておこう。
 上記の YouTube の28曲を聴いて、いくつか引っ掛かった。まず 07 undecided 。この曲が最新というべきか、過去のリリースでは出てこなかった曲。キース・トーマスが歌うあきらかなデミアン・デモ。しかし曲調はあまりにストレートでベッカー/フェイゲン作の気がしないが…。それと、05 sun mountain に驚く。手持ちとテイクが違う。
 83年のエアロ・レコーズ盤が「C」デミアン・デモであったのに対し、「A」「B」の備忘ラフ録り音源は85年のUK盤LPで聴けた。全16曲収録盤。

sunmountain.jpg

【Steely Dan/ sun mountain】('85 castle communications)
現在ではエドセル傘下で良質なリイシューCDを出しているキャッスルだが発足当時はこのような怪しい盤も出していた。人気にあやからんとずばりスティーリーダン名義盤に。ラフでプアな音源集であったが、しかし上記通りにプリミティヴ/素であるがゆえ、あらためてベッカー/フェイゲン曲に魅せられることになる。とくに好きなのがタイトル曲だった。ジャズ色のない、どちらかといえばカントリーロック的、ストレートなメロディラインに強く惹かれた。こういう曲は、デモとしての見せ球か_あえて「売れ線」っぽいのを提供するつもり、であったかもしれない。SDになっても1、2枚目ではこういうストレートな名曲があって、その意味でも当方は初期のバンド然とした時期が好みなのだ(とくにデビューシングル "Dallas / sail the waterway" がいいんだが…)。
 で、その "sun mountain" がこのUKアナログ収録はキース・トーマスが歌う「C」であるのに、ブート28曲でのそれはフェイゲンのピアノ弾き語り…聴いたことのないテイク、これは驚く。となると、まだまだ掘れば別テイクが出てくるのかもしれない。


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ケニー・ヴァンスはこれらのデモ音源を持ってブリル・ビルに掛け合ったンだろうか。反応はいまひとつだったか…。ヴァンスはサントラ仕事を探してくる。
『you gotta walk it like you talk it (or you'll lose that beat)』というB級映画、そのサウンドトラック仕事。71年9月封切り、後に売れたリチャード・プライヤーも出演らしいが公開時はほぼ話題にならなく終わった映画だろう。同年に Spark Records から出てたイラスト・ジャケット盤がオリジナルらしいが手持ちは78年の Visa Records /リイシュー盤。
produced by Kenny Vance
bass/guitar : walter becker, all keyboards : donald fagen
guitar/perc. : denny diaz, drums : john discepolo
とあるからあきらかな「デミアン」録音_。全8曲うち、歌詞があるのは4曲。ヴァンスが2曲/フェイゲンが1曲歌う(1曲は不明)。あきらかなサウンドトラック然の駄曲もあるが全体には悪くない_聴ける盤。作も、ベッカー/フェイゲンがメイン(そこに共作が何曲か)。

SD-soundtrack.jpg


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ヴァンス奔走の甲斐も無くベッカー/フェイゲン楽曲の売り込みは芳しくなかったのだろう。そこで登場…というわけではなく、同時進行的にB/Fはもう一人の理解者ゲイリー・カッツに出会う。
 前記、ふたりの楽曲が「バーブラ・ストライザンド盤」に採り上げられる_これは71年盤『barbra joan streisand』に収録された "i mean to shine" 。
https://youtu.be/O6eonE_qF08
ヒネりがなくキレイなメロディラインは "brooklyn" あたりを思わせる。バーブラにはハマる楽曲がその通りにチョイスされたわけだ。フェイゲンはレコーディングにも organ で参加しているようだ。
 ゴールド認定の売れたアルバムのプロデュースはリチャード・ペリー。当時ゲイリー・カッツはペリーとともに Cloud Nine Productions を経営と資料にはある。が、当時既に大プロデューサーの片鱗を見せ始めたペリーにたいして、売れないフリープロデューサーだったカッツ_せいぜいプロダクションの番頭各だったのでは。ベッカー/フェイゲンの売り込みデモテープをどこからか入手したカッツが「悪くないよ〜」と思ったか、親分のペリーに紹介、そこでバーブラ・セッションに…という道筋といままでは理解していた、のだが…。
リチャード・ペリーのウィキを見た。すると経歴で_NYブルックリン生まれのペリー、ミシガン大学を卒業後に一時ソングライターを目指す、そのコラボ相手…の名はなんと「ケニー・ヴァンス」ではないか。しかし才能の無さを悟った? 転身してプロデューサーとして業界仕事を始め、67年キャプテン・ビーフハートのデビュー盤で同時にデビュー…と。翌年のタイニー・ティム盤のヒットあたりから運気が付いてくる。
 ヴァンスは、ジェイ&アメリカンズとしての活動と並行してリチャード・ペリーとのライターチームをやっていた。となればバーブラ盤は、いわば旧友の「持ち込み」…その結果とみるほうが正しそう。逆にそこからカッツがふたりの楽曲に興味を持ち始めたのだろう。やはりベッカー/フェイゲンにとってケニー・ヴァンスは恩人であったように思うのだが…。


kenny32.jpg

【Kenny Vance/ Vance 32】('75 Atlantic)
75年というからSDは『うそつきケイティ』を出した年か、ヴァンスはNY録音で初ソロを出す。ロスに拠点を移したB/Fは不参加だがエリオット・ランドールが参加。サルサのラリー・ハーロウやジャズ大御所ロン・カーターから、ジェイ&アメリカンズだったサンディ・ディーン/マーティ・クーパースミス、ラスカルズのブリガッティ兄弟、アンダース&ポンシアのふたりなどNYシーンの仲間など顔ぶれは実に豪華。プロデュースこそジョエル・ドーンとなっているが、演奏面での仕切りはアンティジア・ミュージックであるのは明白。tony levin, steve gadd, cornell dupree, richard tee, jerry freeman, willie weeks, grady tate, john tropea といったNYトップミュージシャン集めもアンティジアの発注だろう。
(Antisia Music : ビル・イートン/アーサー・ジェンキンズ/ラルフ・マクドナルド/ビル・ソールターの4人が組んだプロダクション)
 豪華なバックは事実だが、個人的には正直食い足りない感あり。歌が弱い。この人はコーラスの人とみるべきか、ドゥーワップなシンガーなのでソロに期待は無理筋なのかも。SD楽曲を2曲_ "Parker's Band" , "Dirty Work" 収録。前者、SDは74年『さわやか革命』でリレコしたが、もともとヴァンス・デモでやっていた古い曲。思い入れ深い楽曲だったのだろう、自身で「こう歌うべき曲なんだよな」と? 大物バックのなかにひとりだけ稀な名が_ John Mazzi 、1曲のみドラムを。マッジは前記「C:スタジオ・デモ録音」に参加していた名前。

ヴァンスの売り込みがさほど結果出ないなかで、ベッカー/フェイゲンはゲイリー・カッツの「誘い」に乗ってNYを離れる決意。カッツが、ロスのABCレコーズのスタッフ・プロデューサー仕事を受けた際に2人にも専属ソングライターとして雇い入れの誘い…と巷間つたわるところ。さてその時、ケニー・ヴァンスは…。う〜む逃げられたか!と業界的なゴタゴタをいままで想像していたんだが、「いやいや、よかったじゃないか。ロスへ行って一旗揚げろよ」と握手で別れ…であったかも?


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ロスへ移ったカッツ、ベッカー/フェイゲン。そこでも曲の売り込みは成果が出ず、カッツはふたりに自分らで歌うことを/バンド結成を進言したという。が、売り込みというには短い期間_カッツにもB/Fにも裏方仕事よりもバンドでの表舞台が既定路線だったのではないだろうか。その話でのロス行きだったように思える。早々に「デビュー」を飾るわけだから。
 さてバンドとなればB/F以外のメンバーはどうする? ギター、ダイアスは当然決まり。ロスから呼び寄せた?_いやいや、一緒にロス行きしたのでは。もうひとりのギターは…その席はエリオット・ランドールでしょう。B/Fは、ロス行きが決まった時点でダイアスとランドールを誘っていたと想像す。ダイアスは即OK、対しランドールの拒否_理由として想像するは、1:熱い西海岸が嫌いだった/2:あのふたりの曲…悪くないんだが一般受けはないんじゃね?バンドが売れるとは思えねぇよなぁと腰が引けた、などとこれも勝手な想像。ともかくランドールが来ないとなれば、フェイゲンは旧知スカンク・バクスターを誘ったんだろう。

(つづく)











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2017年12月07日

昔ラジオ

70年代TBSラジオ、日曜午後のワイドが若山弦蔵と八木誠で。とくに八木マコっちゃんは一番すきなDJであり音楽評論家だった。音楽誌でのマコっちゃんの推しレコはかなり買った記憶。忘れられないのは「イチにダンヒル、二にダンヒル、三四がなくて…五にダンヒル!」のフレーズ。ダンヒルをめっちゃ押していた人。これも買いましたヨ、日本のみのヒットとなった「ペイン(恋の傷跡)」はマコっちゃんが作ったヒット_グラスルーツ。





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2017年12月05日

lefty V

JIMI HENDRIX - Live
https://youtu.be/IkAyheJFaQE

70-7-30 ハワイ州マウイ島でのライヴで、映画『rainbow bridge』の一部らしいパフォーマンス。
ジミヘンのいいところは、個人的には熱狂のライヴでなくて冷静なギタープレイ…ブルージーなようで凡百のマイナーペンタに行かない/ソウルのハコバンで鍛えた指さばき。所謂ジミヘン・コードの妙。

この映像でちょいと驚く。Vの使用でその仕様_ギブソン・フライングV。Vを使っていたのは知っているがこのV、変じゃない? 普通じゃない。なのでネチってみた。これらしい。
トラスロッドのカバーが普通は白だがこれは黒。ロゴ位置が三角のトップも変。ポジション・マークが…こりゃトリニ・ロペス・モデルと一緒だろう、変。どうやら特注ですな。ギターに頓着なかったジミヘンにして特注がまず珍しいのでは。それよりなにより、これは唯一ではないのか(よう知らんけど)_「レフティー・モデル」。
 ジミヘンは「常に」右利きギターで、弦のみ逆張り使用だっただろう。それがトレードマークともいえた。左利き用リバース・モデルは見たことがなかった_なのでこのVだけ、じゃないの? 特注はやはり自分に「合った」形にしたということか。
 なぜジミは「右ギター」に拘ったのだろう。弦巻きもスイッチ類も逆位置はすごく不便そうなのに…。まあ考えれば、頓着なく次から次へ壊してゆくのだから、どの町の楽器屋でも買えなきゃ困る…数少ないレフティーなどに拘ってはステージが続けられない_だったんだろうが。
 それでも右ギターはそのままでは使えない_ひとつだけの問題はナット。弦の溝切りが逆。そこはどうしていたのかと思ったら、これはネットにあるが…「逆にしていた」らしい。フェンダーはもともとちゃちな作りだから行けるだろうがギブソンは逆では形状に無理ないか? そこだけはリペアに頼んでいたのだろうか。

この日、2ステージやったらしいが、それにしても鯉のぼりが…七月の鯉のぼりが揺れる揺れる、風の強い中でやりにくそう。来日もなかったしジミヘンとジャポニズムはリンクしたイメージまったく無いなかで、これは唯一かも。で、ファーストステージが白ストラト使用、セカンドステージがVだったらしい。一ヶ月ちょっとで逝くことになるジミヘン…。


Jimi_Hendrix's_Flying_V_Gibson_Guitar.jpg
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2017年11月25日

Peter Lewis

モビーグレイプとなると力がどうしても入ってしまうタチなんでこれも紹介。

モビーとして、メンバーソロ・ワーク、どちらにしろずるずるとした駄作続きというのが正直なところ。フリスコロックの肝であるライヴ…デッドやジェファースンと同時期にシスコの venue で鳴らしたはずのバンドなのにライヴ盤がかなりショボい、つまらないという意外も。おなじようにサイケデリア≠ナあったが、デッドら「幻覚派」に対してモビーは「覚醒派」だった…なんて評論もどこかにあったが。真実はよく分からないが、たしかに他のバンドとは違って交流も見当たらない、唯我独尊であった感あり。
結局モビーで聴くべき盤は、Columbiaのハウス・プロデューサーだったデヴィッド・ルービンソンが仕切って制作した(しらふでやらせた?)3枚_『moby grape』『WOW』『moby grape '69』この3枚のスタジオ盤だけ。
 その他ではせいぜいボブ・モズリーのソロ (same title) ぐらい。アレックス "skippy" スペンス盤『Oar』_「西海岸のシド・バレット」とは好き者に言わせておこう。

そんななかでこれが隠れ名盤。まあ知る人のない1枚だろう_ピーター・ルイスのソロ。
ピーターは、songwriter, singer, guitarist としてモビーの魅力の一翼を担った才人。意外や「いいとこの子」。大女優ロレッタ・ヤングの子でハリウッド育ち…、テリー・メルチャーと幼なじみであってもおかしくないようなボンボン。それは知っていたが、いまネットを見てみると_なんとデヴィッド・リンドリィが従兄弟とある。あのリンドリィも…実はいいとこのボンボンだったのか? リンダ・マッカートニー(リンダ・イーストマン:フィルム会社 KODAK 創業家)とは幼なじみであったらしい。
 そのピーターが95年に出した同名盤が至極良いのですワ。Taxim というローカルレーベル(ドイツ?)から出したCD。ex-CCR のスチュ・クック/Doobies のキース・ヌードセンがリズム隊で、モビーのメンバー時期もあったコーネリアス・バンプスも参加。ギター、ペダルなどマルチに活躍しているのが、この人も Doobies だったジョン・マクフィー。ポスト・プロダクション含めマクフィーが完全に仕切った1枚。ランディ・マイズナーやジョン・ヨーク (byrds) らもコーラス参加している。
モビー時代のリレコ2曲含めてすべてがオリジナル楽曲。駄曲なしの素晴らしい盤であり、マクフィーの貢献で仕上がりも抜群。なれど遅きに失した盤は、誰に語られることもなかった。

ピーターは絵も描く人らしくブックレットには淡いタッチから書き込んだ作まで掲載されている。モビー前のプロデビューバンド、The Cornells 時代のフォトも。
 この盤、オリジナルよりも日本盤のほうがいい。オリジナル・ジャケットは自画像だがこの出来が…どうにもぱっとしない。それを、97年に Kaigan Entertainment, Inc. という会社がなぜか日本発売したんだが、困ったジャケは別仕様に変更。自作画前の本人の顔を使ってかなりイメージの立ったよいデザインになっている。ブックレット内容もUSと変わらないようなので推しはこちら…とて、入手困難盤か?


peter_US.jpg


peter_lewis.jpg


(追記)
ブライアンをマインドコントロールしたかどでお縄になった?怪しい医師、ユージーン・ランディがそのず〜っと前に著したスラング辞書『アメリカ俗語辞典』(研究社)によれば_

moby grape : a syringe with a bulb on the end used for shooting drugs into a vein /静脈に麻薬を注射するために使う端にゴム球をつけた注射器(ゴム球は子供のおしゃぶりを利用する)

 …てなことから「覚醒派」、さもありなん。



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2017年11月23日

basil / ochs

佐野さんとのことでもうひとつ思い出した_スィートベイジル。
中山康樹さん。スイングジャーナル編集長から評論家へ転じて、マイルス/ビートルズ/ブライアンなどに関して多くの著作のあった中山さんも亡くなって3年か。
その中山さんと佐野さんは、ブライアン話で花が咲く仲だったんだろうな。で、2000年前後だったと思う、六本木芋洗坂のスィートベイジルのブッキング担当に中山さんが就くことになった。そしてそれまでのジャジーな路線からボップ路線へ変更、アメリカンポップ・ノスタルジア・サーキットのスケジュールで固めた。しかし苦戦…空席が目立っては塩梅悪いということで佐野さんへ「招待」の声を掛ける。一人ではどうもならぬ…「友人も」ということで当方も誘ってくれた。7〜8本はロハで観られたと記憶だが、さて…ゲイリー・ルイス&プレイボーイズは覚えているが他は?
 ネットを見てみたが過去スケジュールは出てこない。ロニー・スペクター、フィフス・ディメンションの名前がかろうじてある…どちらも観たな、きっと。ゆったりしたディナー&ライヴ・スペースに佐野さんらと足繁く_すっかり「常連気分」に浸れたことだけ覚えている。


その中山さんからひとつだけ仕事を受けた。VANDA のデザインを気に入ってくれての依頼はビーチボーイズ・ムック。2002年に河出書房新社からの『文芸別冊:ビーチボーイズ』。
巻頭にロニー・スペクターの特別寄稿あり、たぶんベイジルでのブッキングの際に書かれたんだろう。佐野さんはその中山さん/萩原健太とでフェイヴァリットBB曲・鼎談を。鈴木慶一/松尾清憲/湯浅学で『スマイル』鼎談など、いま見返せばなかなかに面白い内容。しばらく見る気にならなかったのは後味の悪さというか…中山さんはちょいと難しい人だった、デザインに関してゲラ出しのたびにいろいろと言ってくるので、当方としては「いや、ここの意図は…」と言ったつもりもかなり感情的に返してくるタイプ。どうやら、言うことを聞かない奴と最後は取られたらしく…。それでも見れば、自分のイラスト突っ込みなど、全ページを好きにやらせてもらってるか。表紙の写真。"Surfin' Safari" セッションのアウトテイク。かのマイケル・オクス・アーカイヴから買った。ネット上でのカタログからだったが、中山さんが「好きなの選んでいいよ」とのことで_。もちろん支払いは出版社、それなりな額だったんじゃないか…。


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2017年11月18日

Ducks

知らなかったねぇ…ニール・ヤングが77年、「二ヶ月半」だけやっていたバンドがあったなんて。それが個人的にどツボ。当方にとっての五大パフォーマーのうちの2つが組んでいたのだから。
ニール・ヤングとモビー・グレイプ。

https://youtu.be/rz8pZecv6yI

「Neil Young & The Ducks」
NY : guitar, vocal
Bob Mosley : bass, vocal
Jeff Blackburn : guitar, vocal
Johnny Craviotto : drums, vocal

モビーのベーシストにしてぶっとい声のシャウターだったモズリーとNYが一緒にやっていたとは。NYはソロで輝くパフォーマー。クレイジー・ホースとの録音/ステージも、たしかにホースのグルーヴも素晴らしいモンがあるが、それでもフロントアクトNYの引き立て役。その意味でこの Neil Young & The Ducks …モズリーやジョニーCの曲もやる/歌うとなるとその「バンド感」からNYファンとしては食い足りない感じであろうな。それを承知のニールだったかも…長く続けるつもりでなく、ジャムったら思いの外気持ちいいので少し人前でやってみた、と。実際このサンタ・クルーズ始めローカルなギグのみだった様子。
 それにしても個人的には最高だ_モズリーの曲でニールがリードを弾くなどはたまらない。ニールのソロ/バッファロー曲でモズリーの声が被るのも…。
"gypsy wedding" _モビーのリユニオン盤『20 granite creek』の頭のモズリー曲は、翌年のソロ作でもリレコした代表曲、このぶっとい曲にニールのギターはハマるハマる!
"truckin' man" が唯一のモビーグレイプ曲だがこれもよし。
小さめのハコだったんだろう、間近にこのギグを見られたらどんなに気持ち良かったことか…。

前年76年にモズリーは1枚のアルバムをバンドで¥oす。
【Fine Wine】(Rocky Road Records / Polydor)


finewine.jpg

長いこと「モビーグレイプの変名盤」と信じていた、ロス録音ながらドイツ盤しか出なかったレアな1枚。入手出来たのは23年ぐらい前、馬場ディスクファイルで見つけたときは驚いた、価格も_¥300。モビーではなかった、モビーからのジェリー・ミラー/モズリーが Michael Been, Johnny Craviotto とで、四人バンドだった。



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2017年11月13日

60s pop

昨日は、山村のジェリー・ロス特集その1、そこでかかった…当方のベスト・ロス・ソングはやっぱりこれだ、キャンディー&キッシーズ "The 81" 。Do the eithy-one.... って何の意味だろうか?  Dance Craze は分かるンだが、なんで「81」? まそれはともかく、ロス=ケニー・ギャンブル作、ギャンブルにとっては出世作かな。ご機嫌なナンバーといえば即これを思い出すほどにめっちゃ好きな曲。モータウン・マナーではあるが、フィリーとデトロイトの微妙な関係はいろいろな曲で見え隠れ。
 でもって、夜のラジオ日本では宮治さんが生放送。お題は「食べ物の曲」。昼に山村を聴いていたからと、ロスにからめてかけたのは_ジェイ&テクニクスの「アップルパイは恋の味」。これまた好きなんだよなあ。

こういう60年代半ばのポップ・ヒットを掘り出したのは、さて何歳ごろであったかと思い返すに…ハタチ前後か。大学2年、ぼちぼちパンクの色がちらつき始めた1977年は、「ホテル・カリフォルニア」の大ヒットであったと記憶。ん?『アメリカン・グラフィティ』もこの頃だっけ? そこで一大オールディーズ・リヴァイヴァル…過去の音源も相当にリ・イシュー盤が出た。 




++++++++++++

5月の仕事『ソフト・ロック・ナゲッツ』、その vol. 4 はUK編。佐野さんのライナーノーツ、<作曲はホリーズの「bus stop」「I can't let go」を書いて大ヒットさせていたグラハム・グールドマンで…>と原稿にあった。「佐野さん、" I can't let go " はグールドマンでなくチップ・テイラーだからトルツメしましたよ」とメールしたら、「そうでした。奥山さんとの仕事は安心できます_」の返信…それが佐野さんとの最後のメール会話であった。
 チップ・テイラーとアル・ゴーゴニの共作、オリジナルはイーヴィ・サンズだったがビートの利いたホリーズのヴァージョンのほうがいいね。佐野さんに捧ぐ_




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2017年11月10日

never a dull moment

頭のなかでロッドのある曲が浮かんだ_曲名が分からないが歌詞に "millionaire" が出てくるそれ…。こんなときにネットは便利、即出てきた。ロッドのソロの "True Blue" 、アルバム『never a dull moment』の頭の曲。UTで聴いたら…やっぱりいいねぇ〜!(ただ、ビリオネアのロッドは never been a millionaire といまも歌うか?) ロッドのベストな時期、歌もいいがウッディ・ギターが、細かい指使いだがほんとに凄くいい。なんでストーンズなんかやってんだろうか、この人は。ロッドと組んでこそ活きたのに…。


US-JP rod.jpg


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ちゃんと聴こうと思い、アナログを引っ張り出す。2枚ある、US Mercury original ('72) と日本盤リイシュー(78年頃)。この2枚をひさしぶりにまじまじと見て、そして聴き比べて…まったくの別物であった。
 携帯で撮っているので荒いが色の違いは分かるだろう。右の日本盤のまあ色の薄いことよ。酷いモンだ。どうやったらこんなに退色させたジャケットを作れるのか、それを平気の平左でよく商品としたよ(店頭での日焼けではない。買ったときからこれだった)。もちろん日本盤は廉価シリーズだったのでジャケもシングルスリーヴ。対し、US盤は Tri-Gatefold というかなり珍しい変形ジャケット。裏ジャケが「上」に開く仕様で、その上下(30×60cm) が繋がって一つの作品になっていた。当時のロッド/フェイセスのビジュアルモチーフはアールデコ=B見事なデコ装飾/アイテムの部屋になっている。そしてこの縦長「写真」だが、元はモノクロ。それに after tinting と呼ばれるが、筆での色付け作業を施しているはず(明治初期から、写真が入ってきた頃の日本でも同様にモノクロ原板に色づけすることが流行った)。そしてこれのセンターの折り目がじつはポケットになっていてそこにレコードが収められている。ウチ面は見開きが「ふたつ」、なので tri-gatefold なのだ。
http://denny-inside.seesaa.net/article/453532745.html

ジャケも違えば音も…。US盤のガッツある音圧がほぼ感じられない日本盤のショボさ。当方、別にオリジナル至上主義ではない、けれども圧倒的にプアなリイシューはある。
 しかしオリジナルというならロッドならUK盤だろうと言われそう。が、ロッドは US Mercury 契約アーティストであった_この盤でもジャケット・デザインはシカゴの AGI 。しっかりした紙質からしてもUS盤がオリジナル…と思う。






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2017年11月06日

RIP 佐野邦彦さん

イラストレーター大嶽好徳さんを介して知り合った佐野さんと、M&Mというポップス志向のインディ・レーベルのCDワークを始めたのは1993年だった。下のリンク頁を読んでもらえば分かるが、当時グレーゾーンだった「隣接権CD」…M&Mとその姉妹レーベル A-Side のデザインをかなり好きにやらせてもらった記憶。
まずは『レア・ワークス・オブ・ブライアン・ウィルソン』(M&M mmcd-409)

rareBW.jpg

世にはけして出てこないサーフ/ホット・ロッドの仙人コレクター氏から提供の音源を含め、佐野さんが詳細なライナーノーツも書いた盤。


Vanda 誌上では使っていたんだろうが、当方は佐野さんと絡んで初めて「ソフト・ロック」の言葉を使った/銘打ったCDはこれだったと思う。レーベル写真で埋めたのでライナーノーツはないがコンパイルは佐野さん。

MGO_m&m.jpg

『イエローバルーン』。今見ればオリジナル・ジャケットままでもよかった気がするCD化。五人を切り抜いてバック変えて、文字も描いたんだが…ちょっとうるさい感じだ。ボートラ付けたから変えようという話になったような記憶も。これもM&Mから。ライナーが佐野さん。

THE_YELLOW_BALLOON_THE+YELLOW+BALLOON-546944.jpg

これらM&M(A-Sideのジャケ仕事も)CDでのクレジット。佐野さんは本業が別にあってのこと、なかば「趣味」での音楽ワークだったので臆すること無く本名で通していたが、当方は細々ながらメジャーレーベルのCDもやっていたので名前を出しにくく変名とした(それほどのモンでもないのに、腰が引けていたか)。"Smile-0-Honey" "Pay-O-La design" "Wild Honeymoon studio" …毎回思いつくままに。


VANDA誌のデザイン・ワーク。24号までを担当していたデザイナー氏がなにかの理由で続けられなくなった…かな、25/26号は出版社の営業担当氏に仕事の合間にやってもらっていた。彼がさすがに片手間で続けるはキビシいとなり、佐野さんから依頼されて当方が快諾。さてそこで、それまでが内容はともかくデザイン的にはきびしいモノだった、で…紙質含め一新させてもらった。

vanda_3.png

佐野さんの本懐であるソフト・ロックの、総まとめ本、その改訂版を手伝った。400頁近い本文組みは辛かったが佐野さんから頼りにされたとあらば…。「和物」も続いた。

01soft_rock.jpg

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そして今春の「ソフト・ロック・ナゲッツ」が久々に佐野さんとの仕事だった…。
http://sakatomi-works.seesaa.net/


++++

ネットでしか入手できないBBのレア音源だとか…珍しい音をR焼きでわざわざ送り届けてくれた佐野さん。長い付き合い、どうもありがとう。佐野さんとの親交があったから他にも音楽書籍もやらせてもらえたし、人とのつながりもできた。Vanda のデザインを気に入ってくれた中山康樹さんからBBムック(河出書房)を一冊任されたり…。いまでもとりあえず仕事が続けていられるのも佐野さんとの出会いのおかげ。
それにしても、佐野さんは悪筆だったんだよなあ。ほとんど暗号みたいで「解読」に苦労させられた。しかしもうあの解読も無しかと思うと寂しいもの…。



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2017年11月03日

Hello Goodbye

http://www.webvanda.com/2014/06/ds-talk-sessiondenny.html

かけがえのない友の訃報が辛い。人付き合い悪く友人が極めて少ない当方だが、互いに気に掛けていた/掛けていてくれた佐野邦彦さんの死は心に穴を開けた。今年始めにメールで会いたい旨を送ったら体調が万全でないので…との返事。しかし、facebookを見る限りは、車いす生活の不自由はあるようでも精力的に過去の音源記録を紹介していて、これなら…と思っていた。暮れに年賀状に「どうですか? 伺ってもいいかな?」と書くつもりだった_年明けにはご自宅へお邪魔したいと思っていたのに。
 最後になったのは、5月に出たワーナージャパンからの『ソフト・ロック・ナゲッツ』の4枚CDに関してで、メールやりとり。久しぶりに佐野さんライナー/当方デザインの仕事だった。
 Talk Session もいまのところ最後が佐野さんとなってしまっている…。

http://www.sakatomi.com/framefirst.html


佐野さんが、断トツのベストと言っていたB4チューン:


(こういう曲をTV番組に使う傲慢さ、無神経さに怒りすら覚えるよ)


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2017年10月29日

last week

・台風下での衆院選。その豪雨でなんと雨漏り。マンションの、五階建ての四階だが上に部屋なし、問題箇所はルーフバルコニーだった。管理会社へ即連絡。担当氏がまず来て、作業員を呼び応急処置。今後もシミた壁紙交換やら面倒は続きそう…。

・「広辞苑」。91年発売の版は220万部出たというのに、今回第七版、当面の目標は20万部とか。なんたる下落か。出版文化の低迷・衰退は目を覆うばかり。

・TBSラジオ、ジェーン・スー番組。毒蝮のコーナーがあるから聴く気にならない。もういいでしょ、ジジババいじりは。大御所の首に鈴はつけられないのかねぇ〜、TBSとしては。永六輔が永世パーソナリティであったのと同様の措置、なのか? スーが可哀想。

・プロ野球、いつからだろうか、選手・監督が「シーズン中に」引退・辞任発表するようになったのは。邪魔だがなぁ、釈然としない。最終日まで試合の指揮を執るから/試合に出るから_観に来てくれろ、という事だろうか。多分に「営業的」な匂いがする。本人はその気でなくともフロントから指示されるのかもしれない。 全てが終わってから発表が筋というものだろう。引退試合なんて大仰なもんは国民栄誉賞クラスだけでいいのでは。オフシーズンに発表し翌年開幕試合のアタマに、「長らくお世話になりました…」と一言挨拶すればどうだろう。

・殊勝な首相。内心ではウハウハの高笑い…ざまあ見さらせ、希望オバハンよ!なのに、少しでも笑顔を見せれば叩かれると踏んでるな、無理して殊勝な顔付き。余計に腹立つノリ。

・フーミン、これが一発目? ピチカート小西作、なるほど。「スキスキスー」…どうなんだろう、ステッペンウルフからのインスパイアだろうか。もちろんタイトルだけの話。
"Sookie Sookie" だが、ドン・コヴェイ曲とは/コヴェイ=クロッパー作とは長いこと知らなかったねぇ。ジョン・ケイの曲と思っていた。
https://youtu.be/MR0NMR9F3Bo

・キャラ「民主くん」、リッケンバッカー持って再登場? 考えることは皆いっしょか…。わが立憲バッカー党の公認キャラはどうしよう?

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2017年10月21日

then came bronson

ツイッターで知ったこと、ショッキング・ブルー "Venus" には元歌があったという。
この曲、70年の全米1位。日本でもラジオでかかりまくっていた、中二だった当方もすっかり気に入り、買ったシングルはいまもある。ジャケに書かれた「全米1位」の文字…チャートトッパーとして最初に意識したのがこの曲だった記憶。エキゾチックなマリスカ・ヴァレスの顔立ち、哀愁の曲調は「アメリカ的ではない」が、日本人に受けるタイプ_ツボにはまった。
後に色々と知るが、仕掛け人がポップス・マエストロのジェリー・ロスだったのに驚いた。まさにアメリカらしいポップスを出しまくったロスとは。そのロス、ヨーロッパへ曲探しの旅に出たそうな。オランダで光るバンドを見つけ米へ持ち帰り、あらたなレーベル、コロッサス Colossus を彼ら用に立ち上げた。連れてきた3バンドが Shocking Blue, George Baker Selection, Tee Set 。出した曲、「ヴィーナス」「リトル・グリーン・バッグ」「マ・ベラミ」と、さすがに目利きロスだけあったすべてヒット、なかで一番が「ヴィーナス」だったと。しかしなんでオランダ人がジョージ・ベイカー? と思ったらリーダーのオランダ人にそう名乗らせたロス_発音がアメリカ人に辛いので変えさせたんだろう。この「リトル・グリーン・バッグ」は…日本のCMに使われること幾度か、最多CM使用ソングはこれでは? 超カッコいいしね。ただし、この曲はこの大所帯バンドの曲としては異質だった。本来は "paloma blanca" に表れるような「酪農な人たち」というか、牧歌なバンド。

で、ショッキング・ブルーの「ヴィーナス」だが、これもバンドの「オランダ時代の持ち歌」…といままで信じていたのだが。たしか、オリジナルテイクは少しもったりしていたのでジェリー・ロスはアメリカ発売に際してピッチを上げたと記憶(ボブ・マーリー&ウェイラーズの "concrete jungle" に同様の処理を施したクリス・ブラックウェル…)。
 オランダから持ち込みでなく、この曲は The Big 3 "The Banjo Song" が元という。
https://www.youtube.com/watch?v=9uqnN3ek2vI

 なるほどなるほど、こりゃ言われますナ。てか、コメントもそればっかり、ショッキング・ブルーの Robbie Van Leeuwen はモロにパクったぞと。
 「Oh! Susanna」の歌詞にティム・ローズがあらたなメロディを付けた…ということか。しかしビッグ・スリー曲をオランダから来た輩が知っていたとも思えないが。想像だが、これはジェリー・ロスのアドバイス≠ネのでは。この曲いいからちょいとヒネってみれば面白いかもよ…とtweetしたんじゃね?
ロスにとっては旧知の三人だろう、ビッグ3とはティム・ローズ/ママ・キャス/ジェームス・ヘンドリックス。名前だけは漠然としっていた_ママ・キャスの最初のグループと。キャスはその後にマグワンプスとなってママパパとなって…とか。しかし男二人はこのメンツでしたか。このティム・ローズってあのティム・ローズでしょ? SSWの。聴いたことほとんどないがなあ。レコも持っていない。ただひとつ覚えているのは「 "hey Joe" レース」のトップランナーだったこと。
 西海岸でカルトに人気を集めていたチェット・パワーズことディノ・ヴァレンティの歌っていたこの曲はたちまち人気となり、皆が歌い出した_レコーディングも競って行われたが、ヒットしたのはリーヴズのヴァージョン。バーズも『霧の五次元』で採り上げたが、クロズビーは「最初に歌い出したのは俺だ」としつこく言っていた。
 もうひとりのジェームス・ヘンドリックスは、その名のとおりに、奇しくも "hey Joe" スローヴァージョンの帝王ジミ・ヘンドリックスに名前が近すぎたのが難? ビッグ3のあとはマグワンプス〜 the lamp of childhood 。後者はダンヒルからシングルだけだったがこれがなかなかの佳曲で、趣味人には人気だろう。ソロアルバムもあったか。しかし当方としてはリアルタイムではこの人は『さすらいのライダー』の音楽仕切り。TV番組で、主演マイケル・パークスは5〜6枚アルバムを出したがすべてヘンドリックスのプロデュースじゃなかったか。曲もほとんどヘンドリックス作だった記憶。なかなかメロディアスでいいんだこれが。劇中でもよくかかっていた。バックは TCB Band_エルヴィス・ギャングで、ジェームス・バートンのギター/ドブロがふんだんに聴けた好盤…だったのになぜ今レコ棚にはないのだろう。




『さすらいのライダー』。本国放映は69〜70年だが日本では74〜75年だった_



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2017年10月13日

Sleepwalker

「カンツリー・ロック」debut single はサント&ジョニー・カヴァー

produced by ゼイガーとエヴァンス 発売:2525年4月1日

guitar: denny-0980 (dedicated to Dennis Wilson)
guitar: 田村 猛太くん (dedicated to Berry Gordy, Jr.)
bass: 橋 安美 (dedicated to スパイダース/かっぺちゃん)
drums: 狭間 堅爺 (dedicated to Eleanor Rigby)

special thanx to Garageband





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2017年10月08日

Last week

・立憲民主党って…板垣退助か。しかし「みどり」だ「希望」なんてイメージ優先の党名よりも古色蒼然、愚直さを演出でいいんじゃないの。選挙行くのは年寄りとガッカイ員だけなんだから…。

・映画を観る。ストーリー上の重要な要素として、身障者と健常者(身体的な)のセックスがあったが、主演の若い女優はおっぱい見せないのね。リアリティがないんだよなあ。事務所から「うちの○○、裸は無しってことで…」とか釘刺されてだろう。日本映画の浅さを見る思い。女優名乗るならカメラの前で裸になってなんぼでしょ、その程度のガッツある女優を起用してちょ〜だい。悪い映画じゃないだけに惜しい。べつにおっぱい見たくて言ってんじゃないが(おっぱい見たくて言ってんだが…)。

・TVニュースでも取りあげていたが、先日当方も「アメ横」へ行ったときに驚いた_外人が経営の店が増えて強引な<客引き>、参った。東京板橋の生まれだが10才からは埼玉。それでも東京中あちこちへ行ってる、中で一番回数多いのがアメ横だと思う。思い入れも思い出もある場所だけに、由々しき状況に落胆。

・RIP Tom Petty. しかし本国での big name も日本では…。日米でこれだけ人気差があるミュージシャンも珍しかったような。なぜ…と思えば、「遅れてきた」アメリカンロッカー故という気もする。

・相も変わらずジャニーズ様なければ夜も日も明けぬTV界、どうだかなぁ…。ラジオだが、トキオのマツオカが、ドラムの師匠はそうる透と言っていた。師匠、その昔に東京おとぼけキャッツの一員としてオバカ一直線だった過去をマツオカは知るや否や。ダニエル茜ちゃんは誰の師匠になっているだろう…。

・米銃規制が進まないのも単に全米ライフル協会のロビー活動だけの結果でなく、米国人の「血」の問題か。開拓という詭弁のもと、侵略を続けて国を作った先祖からして根本が「いつ仕返しされるかわからない_銃で身を守り続けねば」では。隣人はヤバいと心すべし=性悪説が国の体とように感じる。警察力をある程度期待できる都市部のリベラル層が規制の声を大きくすれど、8割方の地方層_テメエの銃だけが頼り、これを変えるのは並大抵でないような…と諦めからは何も生まれないか。世代変わって「血」も変わったと思いたい。

・米国野球は本国だけあって日本野球はまだまだ見習う点が多い。これもひとつ、ペナントの閉幕。米では最終日が揃っていて実にすっきり。さあこれで次ぎはポストシーズンだ、と気持ちもすんなり切り替えられる。対し日本、残り試合数がばらばらだからズルズルと続くチームありで、まことに見苦しい/興味を削がれる。日程調整、なぜ米のように尻を揃えようとしないのだろうか、できない理由がなにかある?



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2017年10月07日

play something sweet

Drag Queen やドラグ・パフォーマーという言葉は性差別的には…どうなんだろう、OKなんだろうか。その初期のシンガー、ディスコ・ヒットを飛ばして人気だった人、シルヴェスター。ネチれば悲しいかな、時代ゆえ_88年に40才でエイズによる合併症で亡くなっている。そのヒットを、やはりゲイ・シンガーであった英のジミー・ソマヴィルがカヴァーヒットさせたがその声はシルヴァスター同様のファルセットだった。
 シルヴェスターがスターになったのは70年代後半からでディスコ期だったが、デビューは73年で blue thumb から Sylvester and the hot band _バンドとして同年に2枚LPを発表…てな事はまったく知らなかったが。なぜシルヴェスターかというと…、アラン・トゥーサン曲のことで。

"Brickyard Blues" がその曲。好きな曲で。最初に聴いたのは74年盤『ドーナツショップのウェイトレス』マリア・マルダーだったな。同時期のスリー・ドッグ・ナイトのカヴァーもヒットしてすぐに気づいた。この曲に関して、バラカン本のなかに「フランキー・ミラーがオリジナル」とあって…あれま、そりゃ知らんかったゾと。なるほど英国シンガーのミラーだが当時多かったがよ、米国南部志向。クラプトン、メイソン、コッカー、ウィンウッド、ミック、ロバート・パーマー、ジェス・ローデン、ポール・ロジャーズだって…英国シンガー全員だったか? でまあ、ミラーは現地赴きトゥーサン・プロデュース盤を作ったわね。なので "Brickyard Blues" のオリジナルがミラーと聞いて一度は納得できた。
 しかし、根が疑い深いから?…もうひと掘りしてみた。するとミラーのトゥーサン制作盤『high life』の前年73年のシルヴェスター&ホット・バンドの1枚目、ここに収録が一番早かったと知る、それでシルヴェスター話。ただし、シルヴェスター盤はロス録音でトゥーサンとの関係は見られない。すぐにミラー/マリア/3DNが…、それにBJトーマスとジェイムス・モンゴメリーも同時期に発表していたらしい、どれが「オリジナル」かは微妙。関係からすればミラー…なんだろうか。
 この曲、"play something sweet" 表記もあるのでややこしい。"play something sweet (brickyard blues)" もあるし…。まあどうあれ、いい曲は誰で聴いてもいいだなこれが。(wikiでは、74年にリトル・フィートも録音していたという/2000年初出)。リヴォン・ヘルムは78年盤でカヴァー… "brickyard blues" ではなく "junkyard blues..." と歌っている。

蛇足:シルヴェスター&ホット・バンド、ドラマーがトラヴィス・フラートンではないか。久保田麻琴と夕焼け楽団『dixie fever』…これはハワイ録音だっけ? ここでのドラムがフラートン(と林立夫だったか)。


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London Rock - 1970 Documentary
https://youtu.be/IfDHvpqzmas

面白いなあ、こんなのがガンガンあるのだから…ロハで見られるとは、時間がいくらあっても足りませんワ。音/曲としてはともかく…いや、リハの音というだけでも十分に魅力ある。全体にはなかなか垣間見ることができないオフ・ステージの姿、強く惹かれる。そうなんだ、Tレックスの一番いい頃はこの時期。リンダ・ルイスもロッドもリチャード・トンプソンも、いいじゃないの。ロニー・レインが、ガールフレンドと背丈かわらないのがいいゾ。 "nobody knows"... from album FIRST STEP、島国に共通する湿り気≠セろうか、柳ジョージあたりが歌いそうなメロディで。




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2017年10月04日

wilton felder

http://www.laweekly.com/music/20-greatest-studio-musicians-from-los-angeles-8667172
The 20 All-Time Greatest L.A. Studio Musicians

https://youtu.be/z91l_lPz1oc


誰が選んでも独断と偏見になるからこれも、アリか。なかで、ウィルトン・フェルダー。クルセイダーズのサックス奏者よりも、当方的にはやっぱりセッションベーシストであったよなあ、この人は。この Jackson 5 曲の「ベーのみテイク」はどこからだろう? たまりませんワ。モータウン、Gene Page 仕切りのセッション(バリー・ホワイト等)からSSW、それと特にABCレコーズ盤が多かった気がする(ランバート/ポッターのセッション、スティーリー・ダンなど)、数多の盤で絶妙なベースを聴かせたフェルダーだった。ドラムのエド・グリーンとのコンビネーションは秀逸。
 セッション名演がCDとなって現出するようになった、素晴らしい盤としてモータウン・セッションとレッキング・クルーBBセッションがあるがそれは後述。

関係ないことだが、亡くなったトム・ペティの…ティーンエイジャー時代に近くの楽器店のギター教室で習ったギターだがその先生がドン・フェルダーだったとか。同郷フロリダ州ゲインズヴィルでの話。


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2017年10月03日

買い物

最近の買いCD、3枚。
い:『boz scaggs』(2CD UK Edsel)
ろ:『スティーヴ・ハイエット/渚にて…』(ソニー)
は:『Dave Mason & Cass Elliot』(UK rev-ola)

「は」のメイソン盤、昔何度か聴いたが自分では持っていなかったのでなんか買ってみましたワ。ママ・キャスとふたり名義なのにジャケ表は自分だけ…そこからして変な盤ではアル。想像だが…、メイソンはグレアム・ナッシュの成功に嫉妬したんじゃないかな、グレアムよりオレのほうがギター上手いし曲だっていけてるゾと。オレもアコースティック路線のグループ結成したる_。フォトセッションが残るように「ME&D=メイソン、エリオット&ドヒーニー」が当初の目論見だったのでは。新進気鋭のソングライターのネッドと、ママ・パパ-fame のキャスならば耳目を集めるに十分と踏んだな。しかしこの人、UKトラフィック時代からしてオレがオレが…押しの強さは半端ない感じ。やっぱグループじゃイケメンの影に隠れそうで嫌だべ、とか。逆にネッド/キャスが嫌ったかもしれない。単に飽き性で、オレ様はひとりでこそ活きるのだと思い直した…かも。 

https://youtu.be/MlaRReiLFAA
Cass Elliot - Walk to the Point - Ultra Rare, Live 1971

こうしてプロモーションもした時期は、かなりマジにやる気だったかもしれないが。
アルバムのバックメンツ、ポール・ハリス/ラス・カンケル/ブライアン・ギャロファーロとともに。ラスカンの当時のかみさんリア・カンケルはキャスの妹でアルバムでのコーラス、かなり頑張ってる。ラスカンとしても義理の姉さん仕事には顔を出さねば不義理に、だったか。ポール・ハリスのこの時期は…と見れば、マナサス前で『オハイオ・ノックス』が同年か。ここにはラスカンも参加。そういえば『ohio knox』も、裏に写る4人バンドかと当時(日本で話題になり出した76,7年だが)は思われたがこれはピーター・ゴールウェイのソロということで表の一人写りも後には納得したのだった。

デイヴ・メイソンは…ゴタゴタ続きで散漫な印象しか持たれてなさそうな「ブルー・サム期」、本人も『alone together』は別としてその後3作、この『& Cass』『headkeeper』『mason is alive』は無かったことにしてそう_特に後者2作は訴訟沙汰までのゴタゴタゆえに。だが当方としてはこの時期が一番なのです、絶対にイイのだ。曲のダブりは問題だがそれにしてもまず楽曲がいい。それと音作りがしなかやで実にイイ。これはトミー・リプーマとアル・シュミットの貢献大だったろう。それと、この時期は「UKスワンプ」感に溢れている。まだ西海岸渡りの「英国人」だったので良かったが、CBS時代となればもうすっかり西海岸人になってしまった。
 
『& Cass』、頭の "walk to the point" がまずいい、佳曲続く。アコースティック色を前面に出している、この人はストラト持ってもいいがアコギもよし。全10曲うち7曲がメイソン(2曲は共作)。ドヒーニーは1曲のみが惜しい。演奏/歌には不参加だし、キャスもリードで歌う1曲あれどコーラスなどは妹のほうがよく聞こえる。キャスとネッドががっつり加わった盤はどうなっただろうかといまさら想像してもしょうがないんだが…。



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2017年10月01日

Peter Barakan presents: my favorite Atlantic grooves

アトランティック・レーベル珠玉12曲コンピレーションCD
design : denny-0980
Tower Records exclusive item_ Not for Sale
詳細はタワーレコード facebook/twitter


古〜いR&Bシングルのスリーヴをイメージしてみた。4色刷りだがあえて2色っぽくし、「紙じわ」も入れてみた次第。
選曲の渋さはご覧の通り。


Barakan_cover 2.jpg


Barakan_inlay2.jpg


posted by denny-0980 at 15:59| Comment(0) | Assorted | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

WEA

ピーター・バラカンのCDを…と書いてしまう。バラカンさんと書いたら知り合いのようではないか。有名人に対してこちらは市井の、一般人なので…。が、続きがあり、今上がってきたCDは当方デザイン、これがピーター・バラカン・コンピレーション盤なんですワ。ただし市販されない、「非売品」。タワーレコード exclusive item 。ATLANTIC R&Bキャンペーンというのを打っていて{対象商品3枚同時購入の方に『先着』にてプレゼント}だそう。
 デザインはワーナーさんからオファー仕事、バラカン氏に会ったわけでもなく。今後も氏が「このコンピ盤デザインは誰だ?」と気にすることもなかろう。有名人/一般人の関係はまま継続中ゆえにバラカンで通させてもらおう。

バラカン著『魂(soul)のゆくえ』という本、出版社の人から頂いたのはずいぶん前。その際に読んだはずだがたまたま目に入ったから再読ス。この中でなるほどそうだったかと、やっと分かったのがワーナー/アトランティックのこと。
 1947年にアーティガン兄弟らによって興されたアトランティック・レコーズ。R&B/ソウルの宝庫として60年代まで順調に経営が続いたが、69年に買収される。買い主がキニーという会社で、ここは駐車場/葬儀社経営で財を成した会社だったそう。その際に、ワーナー・ブラザーズ、エレクトラも同時に。ここで WEA というビッグ・レーベル誕生。そうだった、いきなりロゴが代わったんだよな。「ウェア」なんて呼び方もしていたと思う。しかし、これはワーナーの主導、アトランティックとエレクトラを吸収合併とばかり思っていたヨ。しかし当時のワーナーはあくまで映画会社でレコード部門はさほど大きなものではなかったという、アトランティックのほうが規模は大きかったそうな。それにしても葬儀屋の仕掛けで出来たレーベルとは知らなかった。しかしこの伝ではWEA はワーナー/エレクトラ/アトランティック? 当方の記憶では「ウェア」とはワーナー/エレクトラ/アサイラムなんだが…。ともかく、WEA はその後ワーナー・コミュニケーションズ・インコーポレイテッドに改められる(ワーナー・レコードの親の『ワーナー・ブラザーズ』が映画/音楽すべて飲み込んだということか)。その後、出版社タイムと合併し「タイム/ワーナー」に。その後に、新興勢力だったインターネットのAOLとの合併話になったがこれが最後の最後で失敗、結局音楽部門が切り離されて(インディーの大手)ワーナー・ミュージッック・グループとして、本の出た2007年時点で存在する_と。非常にややこしいがこれはワーナー/アトランティックに限った話でなく、業界すべて。すべてのレーベルは混沌状態が続いている。こりゃ政界と一緒だわさ。
 
日本のワーナーはワナパイ、ワーナー/パイオニアとしてスタートだったがこれも変遷いろいろで現在に。そういえば、ワーナー・レーベルの日本盤洋楽、ライ・クーダーやリンダ・ロンシュタット、ビーチ・ボーイズ等々、70年代のLPに付いていたライナーの歌詞の聴き取りがまずこのふたりだった記憶_ transcribed by Linda Hennrick もしくは transcribed by Peter Barakan 。

思い出し蛇足ひとつ。ワーナー・コミュニケーションズ・インコーポレイテッド当時に所属バンド、アヴェレージ・ホワイト・バンドが出したLPは、バスタブに裸女のジャケットで…『 Warmer Communications 』。この一文字違い<Vャレが業界人以外に通じただろうか。






posted by denny-0980 at 12:26| Comment(0) | Assorted | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする