2020年11月17日

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ネットの時代が、almost trash postなのだけれど細かな情報が拾えるようになったのも事実。塵芥のなかを漁っていて、これまたど〜でもいい小ネタ、ただし個人的には今にして納得、合点がいったこと_チャッピー…犬にあらず。

LM72.jpg

この号だったと思う。72年2月号『ライト・ミュージック』。ヤマハが出していた音楽誌らしく軽音楽≠ニは堅い誌名なれど、内容はかなり好き勝手_ブート盤大特集やらジミー・ページ奏法徹底解明などあったかな。この号の巻末ニュース頁にあったモノクロ写真がこれ。見出しは「ニュー・グループ結成される_オレンジ」とか。

チン新規.jpg

左から陳信輝/大口広司‏‏/渡辺茂樹の、3ピースバンド。陳はフードブレインからスピート、グルー&シンキと渡ったNew Rock権化みたいなハードロッキン・ギタリスト。元はGSといえ、PYGに流れたあたりからはガチなロック・ドラマーで名を馳せた大口…、このふたりは解るヨ。人の出入りが激しかった日本ロック黎明期で、あらたなハードロック・バンド誕生だったこと。が、もうひとりに当時記事読んで疑問符の嵐でしたワ、なんでワイルドワンズのチャッピー??あの、爽やかGSの、ですぜ。
ワイルドワンズ。名前は勇ましいが、一番の強みは「加山雄三のお仲間」だったか。BBもどきのストライプシャツからは湘南のハイソ感漂っていたものの、加瀬はけっこう歳だし植田の若作りも無理あった感じ。そこで、ショーケン/ジュリーの対抗馬としてマジ若い二枚目がいれば文句ないっしょとばかりに新規加入だった感、それがチャッピーこと渡辺茂樹だった。その人物が信輝/大口と合流とはこれいかに?(…結局このパワートリオは幻。この写真撮影だけで終わったのでは_)
活動はともかく、ネットで知ったのは_チャッピー先生が元々「ハマのロック」寄りだった事実。川崎の音楽一家に生まれ、中学時代に、人気アマバンド=ザ・ディメンションズのドラマー大串安広(植田芳暁の本名)からドラムを教わり、その弟バンド結成。中三にして中華街のゴーゴークラブ「レッドシューズ」のハコバンになったそうな。こりゃかなりの使い手と見た。ちなみにディメンションズのギターはシー・ユー・チェン。八王子の早熟お嬢様をユーミン≠ニ呼び出したことで知られる人。
今、亡きルイズルイス加部の自伝記を読んでいるがその中に_「(スピード・グルー&シンキのころ)あの頃はいろんな人が出たり入ったりしていたよ。柳讓二やジョン山崎、チャッピーとかね…」とあるのだ。なるほどなるほど、こっち≠フ人だったんだなァと今にして納得しましたワ。
そこで思い出したのはピーター・トーク。ステファン・スティルスと一緒にオーディションへ出掛けて、自分は合格してしまって始まった「ザ・モンキーズ」。てことは元々がローレル・キャニオンの音楽ヒッピーのひとりが、無理めに爽やか青年を演じるはめに。脱退後はもとの髭面でモンタレー・ポップ・フェスのMCなんかやってましたな。
但し先生のほうは…その後で知られるのは(ナベプロ大里御大のもとだろう)キャンディーズのバックバンド。バンドはスペクトラムとなったが、先生はアミューズ/代官山プロダクションとの関係はどうであったか? ともあれ2014年に死去されてました_RIP..

+蛇足+
アミューズ/代官山のことが、このBBQ和佐田君とのトークにちょいとあるのでよかったら読んでくだされ。
http://www.sakatomi.com/iFrame_3/talk17_wasada1.html


posted by denny-0980 at 10:12| Comment(0) | Assorted | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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