2017年12月15日

guitar: Tim Weston

アナログ世代、レコード漁りが大好物なわけで。「クレジット買い」が基本、それほどにクレジットが大事。あるレコのクレジットが意外な盤に結びつくことも、たとえばこんな_。

celebration.jpg

『celebration』 ('76 Stern Records)
かなりマイナーなレコだがビーチボーイズ・ファンにはマストか、マイク・ラヴ関連盤。ある時期のBBステージ・バックバンドとも言える、マイクの瞑想仲間で_『M. I. U. album』セッション組。マイク含めた五人メンバーと記載されているが出入り激しく、プロジェクト名だろう「セレブレイション」。一発ヒットの King Harvest の流れのバンドでもあり、オーリアンズだったウェルズ・ケリーの名も。この盤のリード・ギター・クレジットは Tim Weston / Al Perkins のふたり。ペダル・プレイヤーとしてお馴染みのパーキンスはともかく、ティム・ウェストン。この名…SDでも?
 記憶は正しかった、Tim Weston クレジットはSDの『can't buy a thrill』『エクスタシー』の2枚にある。前者では " asst. engineer : Tim Weston (The Stafford boy)" _後者 " Weekend Knob Job : Tim Weston "
 ギタリストとしてではない。1枚目ではアシスタント・エンジニアで2枚目はなんだか分からない記載。別人か? よくありそうな名前だし(…と気付いた頃は思ったりもしたが、いろいろと分かってきて同一人物と知る)。 stafford boy.. も意味は分からないけれど、どちらもかなりジョーク的ニュアンスとみた。つまりはSDに、ベッカー/フェイゲン/カッツに近い人物ゆえの表記だろうと。


詳細が知れたのは97年のこの名盤CD。
『wouldn't it be nice : a jazz portrait of brian wilson』

brian-weston.jpg

このようにインレイにはブライアンとのツーショット(撮影:ヴァン・ダイク・パークス)。このCD、ジャズ・ミュージシャンによるブライアン楽曲集。Don Grusin, Peter Erskine, Abraham Laboriel, Larry Carlton, Luis Conte, Steve Khan, Rob Mounsey などロック畑でも見る名(もっといえばSDセッション)もある。この盤のプロデューサーがティム・ウェストン。executive producer : Kaz Hori _現ホリプロ副会長。ホリプロがアメリカに作った制作会社からの盤だった。
ライナーノーツとしてウェストンが書いている_
育ちは南加。カトリック系の(たぶん中学)学校で Riptide という名のバンド結成、食堂でのインスト2曲が初ステージ。フェンダーのデュオソニックを弾いた。このバンドが解散すると、ドラマーはディノとビリーというふたりとあらたにバンドを組んだ。後に "I'm a fool" という曲でヒットを飛ばし、ディーン・マーチンのスパイ映画『Cool』にも出演したのが悔しかった…
 分かりますわな、リップタイドのドラマーがデジ・アーナズ・ジュニア、ルシール・ボールの息子であること。映画出演も道理、ディノ・マーチンがディーンの息子であることも_ディノ、デジ&ビリー。ティム・ウェストンはハリウッド近く、ブライアンともそう遠くないところに育ったことが知れる。この盤のマスタリングはロジャー・ニコルズ。ここでもSDと絡む。
 CDの中でウェストン自身は "the warmth of the sun" _ギターを弾き、ヴォーカルにシェルビー・フリント。「わたしのエンジェル」ヒットのシェルビー。


flint-weston.jpg

こんなCDも5〜6年前には買ってしまった。ジャズ・コンピ盤よりも前に出していた。
『providence / tim weston & shelby flint』('93 soul coast)
93年盤で、シェルビーとのふたり名義。夫婦? パートナーであるのは確か。静謐なジャズ・アルバム。ピーター・アースキンやルイ・コンテらがバック。これも「SD的」ではある。自主レーベルでの制作だが版権は Poylstar となっている。日本のポリスター。どうやらこの人は日本とのコネクションが深い様子、discogsを見れば松原みきのLA盤にも参加していたり。

++++

SDのマジックは一般リスターはもちろんだがプロも驚愕であっただろう。UKでも影響力大。Deacon Blue なんてバンドも出てきた。自身が優れたプロデュース力を持つグレアム・グールドマンだが 10CC 盤のプロデュースにゲイリー・カッツを招聘したり。これをご存じだろうか_SD活動休止期間、ハワイで隠遁生活だったはずのウォルター・ベッカーがUKバンドに「加入」していたこと。
リヴァプールのバンド、チャイナ・クライシス。80年代UKのいわゆる「ネオアコ」ジャンルに入るかな、なかなかのメロディメイカーぶりで当方は贔屓のひとつであった。82年デビューだが、85年の3作目『flaut the imperfection』のクレジットでは「ベッカーもメンバー」の表記。プロデュースは当然ベッカーの盤。"black Man Ray" が中ヒットだったな。これはUK録音、ベッカー出張り仕事だったんだが、1作おいての89年盤:
『diary of a hollow horse』
ふたたびベッカーにプロデュース依頼、デモ持参でハワイへ駆けつける。さすがにここでは「メンバー加入」はなかったが、プロデュースを快諾_このバンドの音楽性へかなりシンパシーを感じていたのだろう。ハワイでセッション開始、その後ロス/ロンドン/NYのスタジオ使用となるがメインはSDのベースだったロスの village recorder 。そのクレジットを見ればエンジニアにロジャー・ニコルズが。そして、ギターでセッション全体に弾いているのがティム・ウェストンであった。UKとUSの音像が混じり醸し出された音は(ヴォーカル声で趣味は分かれそうだが…)SDフリークを十分に満足させるものだった。
ひとつ追記があり。この89年盤は Virgin からだったが、完パケしたベッカー・セッション音源にヴァージン側がダメ出し。「売れ線でない」_よくある話、これも lost album になりかけたが譲歩案をバンドが受け入れ。主要3曲を別プロデューサー(マイク・ソーン:soft cell, bronski beat, wire..)でリレコし収録、それでCD発売された。ベッカーは激怒したという。
 全体像がぼやけたままだったこの盤だが、チャイナ・クライシスは悲願のリイシューを。最初に録ったデモ(この完成度が半端ない)やライヴ音源を足した2枚組 expanded edition を2013年に出す。ここで、disc 1 の頭から11曲は、3曲を元のベッカー・セッション音源に戻した "original" アルバム仕様_日の目を見たのだ(ティム・ウェストンの活躍は言うまでもない)。しかし、それを気付いた/喜んだ者がどれほどいたかなぁ。nobody but me ? 当方には歓喜のリイシューだった。

china-diary.jpg


posted by denny-0980 at 11:18| Comment(0) | Assorted | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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