2025年03月31日
Muscle recording
ひさしぶりのマッスル投稿。
Brad Shapiro というオヤジさんがいた_38年NY生まれ、昨年10月死去。ブラックミュージックのコアなファンには知られるかも、プロデューサー。一番の当たりはミリージャクソン。ほかにラティモアやベティライトなど手掛けていたからてっきり同じく黒人の業界人と思っていたが白人だった。
フロリダでバンド活動を始めたのは50年代、Alston のふたり_スティーヴアレイモ/ヘンリーストーンらと一緒に裏方へ回ったようだ…マイアミサウンド最初期の重要人物のひとり。
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David Elliott というSSW、いまも健在らしい。72,73年にソロアルバムを出している。〆はまったく知らなかったがUKロック好きでSSWも好きならば微かに知られていたかも。それほどにUK色が強いのでいまでも大半のネット記載で英国SSWとされている。しかしアメリカ人のようだ。活動拠点をUKに求めてそこで録音した2枚。バックはUKの腕利きたち。ファーストは顔ジャケだがオリジナルUK盤のみ別ジャケ_それは Hipgnosisデザインだから驚く。
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セカンド『solid ground』もUKメンツ_プロコルハルム/ココモ/フェアポート/エルトンジョンバンドなどのメンバーがバック。が、なぜか1曲のみ、この"on fire for you baby" が Muscle Shoals Sound Studio 録音という不思議。プロデュースがシャピロなのだ。四人衆+ピートカーというばっちりメンツではあるが、まあマッスル色ばっちりの曲調ではないがね。ドブロがピート。よ〜く聴いてもらうとエレキギターで五、六弦あたり単音弾き_これがジミージョンソンなのだな。ジミーはリードギターはだめだがこういう渋い弾き。同じ音をポールサイモン「ぼくのコダクローム」で聴ける。
ちなみにシャピロはマッスル録音を相当に行った、贔屓にしたプロデューサーだったがギターはかならずピート。ピートはマッスル前に(生まれも)フロリダでプロ仕事を始めたから当時からシャピロとはツーカーの間柄であったと想像ス。
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アルバムに1曲のみマッスル録音というのは『linda ronstadt』でもあったか。同時発売したシングルのB面曲もシャピロ製作となっているからマッスル録音だろう/アルバム未収録_youtubeに誰か入れてくれ〜
2025年03月29日
2025年03月28日
The Youngbloods
享年八十三、ジェシコリンヤングがpassed away...
ヤングブラッズはいまも聴く大好きなバンド。日本ではさっぱりだが山下教徒はもう少し推してもいいんちゃうか。なにしろSugar Babeはブラッズのセカンド収録曲名からなのだから。(曲としては個人的にはスティーブミラーとステファンスティルスの同名曲のほうがオキニ)
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ジェシコリン、ちょい鼻にかかった軽くて高いトーンの歌がなにより良かった、それとバナナのギター。やっぱりバナナ・ギターとバウアー・ドラム、このパワートリオ3人が最高であったよ。ソロは辛うじてのRaccoon 時代の『together』しか残してない。
まあその後ソロは迷走_同時代にシスコでやっていて、けっこう武骨な男だったボズスキャッグズのスマート路線ブレイクを見て思ったんじゃなかろうか…ボズより俺のほうがイケるんちゃうか、と。
ブラッズ…ベスト盤は『象山』か『good'n cheap & dusty』か。究極のレイドバックとして2枚のライヴ盤も捨てがたい。
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ブラッズトリヴィアをひとつ_71年のヒッピー映画サントラ盤『Medicine Ball Caravan』、ここに収録"act naturally" カヴァーは他にないレアテイク。
ヤングブラッズはいまも聴く大好きなバンド。日本ではさっぱりだが山下教徒はもう少し推してもいいんちゃうか。なにしろSugar Babeはブラッズのセカンド収録曲名からなのだから。(曲としては個人的にはスティーブミラーとステファンスティルスの同名曲のほうがオキニ)
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ジェシコリン、ちょい鼻にかかった軽くて高いトーンの歌がなにより良かった、それとバナナのギター。やっぱりバナナ・ギターとバウアー・ドラム、このパワートリオ3人が最高であったよ。ソロは辛うじてのRaccoon 時代の『together』しか残してない。
まあその後ソロは迷走_同時代にシスコでやっていて、けっこう武骨な男だったボズスキャッグズのスマート路線ブレイクを見て思ったんじゃなかろうか…ボズより俺のほうがイケるんちゃうか、と。
ブラッズ…ベスト盤は『象山』か『good'n cheap & dusty』か。究極のレイドバックとして2枚のライヴ盤も捨てがたい。
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ブラッズトリヴィアをひとつ_71年のヒッピー映画サントラ盤『Medicine Ball Caravan』、ここに収録"act naturally" カヴァーは他にないレアテイク。
2025年03月26日
Van Dyke Parks
ヴァンダイクが来日なのか。ビルボードライブ? 行かないのよね。高いからだけじゃないな。ライヴ、全然行く気力無くなってる。自分の問題なのか相手の問題なのかが分からなくもある。「昔の名前で出ています」的な人ら/バンド…「まあ、もう最後だから」という理由付けはあるだろうけれど、そういう人でも何が何でも観に行かねばとは思えない。あまりにイイ時を知っているしレコで聴けたからか_ピークを過ぎた姿を見たくないというのや…現状「確認」てどうよ気分も正直あり。ブライアンやニールヤングでももう来日はスルーしそう。
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ヴァンダイクってどこからだっただろうか。Burbank sound という言葉に乗せられたところ? レニーワロンカーやハーパーズが話題になったころに『discover america』も幻の名盤扱いが始まったかな。芽瑠璃堂、吉祥寺の店舗が最初と皆思っているだろうけれど違うんだよね。最初は通販で始まった。リストを送ってもらってオーダーしたよ。ヴァンダイク盤もそれで買ったかな。ブライアンとの関係、『スマイル』/「英雄と悪漢」とかはその時点でまだ話題になってなかったような気がする。
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88年の初来日はサンプラで観た。このハコのキャパでライヴ出来るのは日本だけだよな…思った。アメリカ人でヴァンダイクの名前を知るのは音楽業界人だけだったろう。いまでもか。隣の席だった留学中アメリカ人が観客の多さにたまげて「どうしてヴァンダイクが日本では有名人なんですか?」と聞いてきたから「ここに来てるのは東京だけじゃなくて日本中から観たくて集まったから」と返事した。
99年は六本木にあったスイートベイジル139、二度目の来日公演。これはベースが…最初は細野だったが、ここではリースクでねぇ。座って弾くリースクと2mの席だったから記憶は、その滑らかな指さばき/長く延ばす独特のリースク・ベースラインしかないんだな。めっちゃ長い髭が弦にかかってて、平気なんかい?とも…。
2025年03月25日
Cowboys & Poodles
かなり前のこと、ロサンゼルスの原宿なのか銀座なのか… Melrose という大層繁華なavenueがあったとか。いまもあるだろうがね_一度もカリフォーニャには行ったことがないので詳細知らず。
その繁華街にカウプーという店があったと…ブルータスだったかアンアンのロス特集あたり、まあ読んだだけの話ですが。1981年盤、エルトンジョン『fox』のジャケに写るアイテムが確かこの店の提供であったと記憶_vintage 家具/雑貨/衣料のセレクトショップてな感じだったか。
カウプーのテーマカラーがこの Black & Pink だった。それを思いだして一枚縫ってみた次第。左胸ヨーク、牛か馬か、見えればご愛敬。馬に乗って牛追いが仕事のカウボーイなので。
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春らしい柄物生地があったのでそれでも一枚。


2025年03月22日
Brel_Scott
いしだあゆみを一度だけ間近に見たことがあった。ショーケンとの結婚は80-84年とあるからちょうどその時だな。フィルムコンサートを観終わって灯りが点いたときに気付いた_斜め後ろに座っていたいしだとショーケンも腰を上げたところだった。83年暮れの赤坂・草月ホール。
ジャックブレルの伝説のステージ_1966年パリ・オリンピア劇場でのショウ、そのフィルムを観たときのこと。(いまはDVDになっていると思う)
༄
ショーケンがブレルに惹かれたのも分かる。ジャンル分けでシャンソンとされるのはベルギー生まれフランスで活躍したからというだけ。その魂の熱唱は彼のオーティスに勝るとも劣らない、まさにソウルマンであったからショーケンにもグサリと刺さっていただろう。
特にイギリスには信奉者が多い。なかでもボウイ…「アムステルダム」をカヴァー。が、ボウイにしろイーノ、マークアーモンド…直接のブレルでなくワンクッションというか、スコットウォーカー(エンゲル)経由であったかもしれない。それほどにブレルに心酔していたスコット。そのスコットに心酔したボウイやイーノ、デヴィッドシルヴィアンたちにもブレルの存在も欠かせなかったはず。
2025年03月13日
this one for U
自分のは充分作ったのでそろそろ売り物ストックに入ろうかな、と。いかがざんしょ?
handmade for sale

handmade for sale

2025年03月11日
Hawthorne, CA
おっとっと、勘違い_ウィルソン家の場所はより南のホーソーン Hawthorne だったな。イングルウッドはブライアン生誕の地となっているところだったか。そこからホーソーンへ越したのか産院があっただけなのか、よ〜知らんですが…。
ホーソーンはバービー人形のマテル社創業の地。いまも本社残るのかどうかは、よ〜知らんですが…。Capitol デビュー前のビーチボーイズが "Barbie" を録音したのは偶然じゃない。作はブライでなくセッション仕切ったハイトモーガンの息子だが。
詳細はここに:
http://www.sakatomi.com/BB_talkin/d'sbb_1.html
これ書いたの何年前だ?…まだ California Dream Barbie は残っている
てなことで、この名曲を_
2025年03月10日
れっちり
1月30日に行われたカリフォルニア火災へのbenefit concert_ FIREAID
5時間半がHDでYouTubeで観られる、そして驚くのは音の良さ。まんまライヴ音源発売できそうなきっちりしたミックス済み_クリア、分離、被りなしでパーフェクト。
しかしこのデカいハコ、場所は Inglewood, CAではないか。Wilson3兄弟が育ったあの小さな、今は高速道路になってしまったが、家があった町。なぜブライアンが、いやマイクラヴあたりは "California Girls" を歌いに出てくるのがお約束なはずだったのにその顔なし。
༄
JBもいないよとか不満はいくつかあるけれどそれは納めておこう。
で、個人的に良かったのはRHCP。特にギター、フルシャンテ。この人、vintage 信奉者だがどのシングルコイルを使ってもほんとイイ音。なんなんだろうか、単にギターとイクィップメント/アンプによると思えない独特のトーン。
Nirvanaは…ま、いいか。
2025年03月09日
ダギーと私生道

そのモスコソサイケポスターの裏に入れていたがすっかり忘れていたのが出てきた、Duggie Fields 。
これはバブルの始まり頃だろうか83年、当時のホットスポットだった竹芝桟橋の倉庫で開催された作品展で買った_印刷でなくしっかりシルクプリントのポスター。主催は資生堂。
資生堂は当時、新ブランドにパーキージーンというのを立ち上げた_そのCMに起用したのが英国アーティスト、まあポストモダンアートであったかな、ダギーフィールズ。ダリばりの奇抜な風体といい、どこか胡散臭さを当時は感じていたがね。が、いま調べるとピンクフロイドを脱退直後のシドバレットとロンドンのフラットで同居していたそうな。地肩は強かった?
80年盤、西海岸のポップバンド The Motels のアルバム『Careful』のジャケイラストで注目されたかな、ダギー。「原宿クリームソーダの看板の絵を描いた人」ともあるな_これは見た記憶ありますヨ。
https://hanatsubaki.shiseido.com/jp/museum/8137/
༄
これが私の生きる道(私生道)_パフィに歌わせた資生堂のCM曲。wikiでは「タイアップ元の資生堂の当て字になるという遊びでは無く、奥田民生いわく、偶然だとの事」
いやいやそんなワケないでしょ。奥田のサービス心≠ノ資生堂はいたく喜んだんじゃないスかねぇ。シャネルズを…「シャネル」じゃウチのCMに使うわけにいかないと言い張ってバンド名を変更させたとも聞く私生道さん。殿様クライアントには誰も逆らえない_
2025年03月08日
Victor Moscoso
壁に掛けていた額を掃除ついでに拭いていたら、50×70cm だから小さくない、それが突然下に落ちた。掛けて20数年、裏ヒモの劣化_切れた。しっかりした作りで重さもあるし前面は塩ビ板でなくガラス…それが割れずにあぁ良かったワ。
飾っていたのはサイケポスター。
༄
60年代半ばからのサンフランシスコでのサイケデリックカルチャ。デッド、ジェファースン、クイックシルヴァーで三大バンドだろうか、個人的にはモビーグレイプが一番だが。ギグのハコ_ Fillmore, Matrix, Avalon... そこでの企画をして告知ポスターをシスコの街角に貼りまくっていた一番手は Family Dog Production 。このポスターもその1枚で、67年FDP presents のギグ_アヴァロンボールルーム6月15〜18日。
メインアクトが扇状に描かれてるが読めますか?_ THE YOUNGBLOODS
下には前座で the Siegal Schwall Band と。(小さい写真だと結構読めるもんだな)
༄
サイケグラフィック四天王と勝手に名付けている_ リックグリフィン/マウス&ケリー/ヴィクターモスコソ/ウェスウィルソン、5人。グリフィンとマウス&ケリーでデッド盤ジャケの大半、他も含めてジャケ仕事では抜きんでていたがモスコソもジェリーガルシアのソロやスティーヴミラーバンドなどのジャケをやっている_このポスターはモスコソのデザイン。この、サイケタイポグラフのなかでも最も読みにくい「モスコソ・レタリング」が好きだ。当時のポスターがそろってなぜ読みにくく描いていたかだが、ぶっ飛んでいれば容易に読める_客として呼び込むのは Sisters & Brothers only とするためと聞いたが、はて…。
༄
このモスコソポスターを買ったのは90年前後だったか、渋谷西武での企画展において。7000円ぐらいした気もするが定かでない。ただはっきりとその場ではこれは「オリジナルのデッドストックプリント」となっていた。が…その後で2000年頃だったか、フィルモアの権利や物の一切をIT長者がビルグレアムから買い取った_ライヴ映像もポスターもネット配信/販売し始めた。そこではポスターに関しては、ランクがあって「original _ 2nd _ 3rd print」、オリジナルはバカ高値で後年のリプリント版まで、いまも売っているかな。〆が西武で買ったこれもまあリプリントであろうな。(デッドストックと言われればオリジナル/リプリントの区別がつく鑑定士≠ヘまずいないだろう_)

2025年03月04日
Alvin Lee & Co.
暖かくなるかと思ったらまた極寒か_。ラジオから陽水「氷の世界」が流れてきて、これは季節を選ぶ歌よなァと。
何度も聴いてきたがあらためて印象的だったのがコーラス。これはアライヴァル。収録LP『氷の世界』は耳タコにいわれる「日本初のミリオンセラーLP」だが_〆も出てすぐに買った口(RCフリークとして当然)。録音は日本と倫敦。Arrival 、コーラス隊とみられてるがれっきとしたバンド。確か世界歌謡祭か何かで来日したこともあったと記憶。
༄
この盤はロンドン、次作『二色の独楽』はハリウッド録音。これはアレンジャー星勝の独断…というかたっての希望が叶ったということと想像。陽水が売れて、星は欧米の現場を肌で感じたかっただろうから。たぶん陽水自身は「面倒臭えなぁ…日本で充分なのに」意識だったのでは。ハリウッドでの超豪華メンバーも陽水は誰が誰やら知らなかっただろう_ デヴィッドTウォーカー、ジェシエドデイヴィス、ルーイーシェルトン、デニスバドマイア、マックスベネット、ウィルトンフェルダー、ジョーサンプル、エドグリーン、ハーヴィメイスン、ジョークレイトン…おっそろしいメンツはまだ続く、アレンジにはジャックニーチェにジーンペイジだ!
༄
ロンドンでのアライヴァルだが、バンドはその後 KOKOMOにシフトする。そこにはGrease Band からアランスペナー/ニールハバードやらクリムズンのメルコリンズらも絡んでくる。思うがUKロックシーンはさほど大きくない、ほぼ皆がロンドンに出てくるしかない?_どのバンドもメンバー変遷活発、有名どころは渡り歩きの感。で、ココモ界隈はさほどビッグネームでないがいわゆるパブロック人脈での出入りだろう。
ここら辺のミュージシャンとともにいいアルバムを作ったのがアルヴィンリー。Ten Years After のリー…といえばウッドストックの熱演で名を上げてロックギター第一世代には「キング・オブ・速弾き」と知られた人ではあるが、ソロになってはクラプトンと近い道、ルーツロックというかアメリカ指向だったがクラプトンのようなブレイクには至らず。
73年の、USゴスペル系シンガー Mylon Lefevre との共作盤はスティーヴィウィンウッドやらミックフリートウッド、ロンウッド、ジョージハリスンなどオールスターゲストだったが、その次そしてこの2枚組ライヴはパブロック勢がバックを固めた御機嫌なアルバムだった(彼らと組んだ、一応はバンド名義にしていた_ Alvin Lee & Co.)。

2025年03月01日
Woodstock Brooklyn
ランドールとTin Pan Alley 。ティンパンと言っても60年代の Tra-La days are over... この頃はSDにも似たジャズロック(…だが悲しいかな、曲の出来は雲泥の差で凡庸なアルバム続き)。カーシュナーからしてAldon musicは閉めただろう、TVで "Don Kirshner's In Concert / Rock Concert" のプロデュース、ロック時代に対応していた頃。
ランドールとベッカー/フェイゲンの付き合いもいわばティンパン界隈仲間であったのは確か。B&Fにとってのティンパンは_2人は Tra-la days の有名チームのキング=ゴーフィンやマン=ワイルのようにライターチームとしてひと旗揚げたかったという意味ではかなり old school な業界入りであっただろうが…。
リーバー=ストーラー子飼いのジェイ&アメリカンズに裏方として潜り込んだところが第一歩。初のクレジットはそのアメリカンズのシングルで arranged by Becker & Fagen 。演奏できっちり参加した初アルバムは、バード・カレッジ時代の仲間だったっけ?_テレンスBoona<{イランのファースト。
単科大学バードカレッジはNY州だが摩天楼からはかなり北へ行った場所。で、ザ・バンドのリヴォンヘルムと結婚離婚の後にドクタージョンと恋仲…woodstock の地でエリックカズと "love has no pride" を共作したSSWはリビータイタス、昨年亡くなったがドナルドフェイゲンの妻だった。バード大はウッドストックに近かったから、共に暮らすようになったのはかなり後でも、もしかしたら知り合ったのはSDブレイク前かもしれない。
༄
アメリカンズに絡む前、大学卒業して"NY, NY"に戻ったB&Fが知り合うことになった_バンド仲間になったのがデニーダイアス。NYはlong lsland在のジャズフリークのデニーが音楽誌に載せたメンツ募集 classified ad に呼応したのがふたり。『マジにジャズの素養あるキーボード/ベース求む』_デニーが率いていたセミプロ/トップ40バンドでその名は Demian 。SDの原型がこのバンドと語られるが、ふたりの意識はローカルバンドに留まっていなかったのでここはデニーと知り合えたこと/デモ録音できたことだけがメリットとみるべきか。そのデモ録にランドールは参加しているから確かに「旧知の仲」。
72年ファーストではデヴィッドパーマーに歌わせたが、その2年前のこのデモはフェイゲン自身で歌うスローアレンジ。"Kenny Vance tape" の1曲。
guitar: Randall / bass: Becker / dr. : John Discepolo
kbd & vo. : Fagen
ランドールとベッカー/フェイゲンの付き合いもいわばティンパン界隈仲間であったのは確か。B&Fにとってのティンパンは_2人は Tra-la days の有名チームのキング=ゴーフィンやマン=ワイルのようにライターチームとしてひと旗揚げたかったという意味ではかなり old school な業界入りであっただろうが…。
リーバー=ストーラー子飼いのジェイ&アメリカンズに裏方として潜り込んだところが第一歩。初のクレジットはそのアメリカンズのシングルで arranged by Becker & Fagen 。演奏できっちり参加した初アルバムは、バード・カレッジ時代の仲間だったっけ?_テレンスBoona<{イランのファースト。
単科大学バードカレッジはNY州だが摩天楼からはかなり北へ行った場所。で、ザ・バンドのリヴォンヘルムと結婚離婚の後にドクタージョンと恋仲…woodstock の地でエリックカズと "love has no pride" を共作したSSWはリビータイタス、昨年亡くなったがドナルドフェイゲンの妻だった。バード大はウッドストックに近かったから、共に暮らすようになったのはかなり後でも、もしかしたら知り合ったのはSDブレイク前かもしれない。
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アメリカンズに絡む前、大学卒業して"NY, NY"に戻ったB&Fが知り合うことになった_バンド仲間になったのがデニーダイアス。NYはlong lsland在のジャズフリークのデニーが音楽誌に載せたメンツ募集 classified ad に呼応したのがふたり。『マジにジャズの素養あるキーボード/ベース求む』_デニーが率いていたセミプロ/トップ40バンドでその名は Demian 。SDの原型がこのバンドと語られるが、ふたりの意識はローカルバンドに留まっていなかったのでここはデニーと知り合えたこと/デモ録音できたことだけがメリットとみるべきか。そのデモ録にランドールは参加しているから確かに「旧知の仲」。
72年ファーストではデヴィッドパーマーに歌わせたが、その2年前のこのデモはフェイゲン自身で歌うスローアレンジ。"Kenny Vance tape" の1曲。
guitar: Randall / bass: Becker / dr. : John Discepolo
kbd & vo. : Fagen