2024年07月30日
ニッポン加藤茶、茶、茶
東京新聞はさすがだ、ねちねちとパリ五輪のアラを探して突っつく。他のマスコミ/TVが、始まってしまえばメダル、メダル、メダル!一色なのにたいして_。「極左」なのだろうかwww。とは言いつつメダル獲得表は載せてるが…。
試合を見ずにホームランだけに大騒ぎする大谷MLB同様、五輪に、スポーツを見ず、唯々メダルに固執する愚を笑う。各競技、こまかく見ればどれだけルール改変か。その開始時刻含めひたすら「エンタメ化」に走るIOCの罪、アスリートとスポーツを愚弄することに何の指摘もないまま「五輪LIVE中継」は続く。啞然。
片やダブルスタンダードとはこれ也_熱中症警戒とこれだけ連呼するなかで「甲子園予選」の炎天下を咎める声の無きことよ…これも啞然。
+
こういうこと言うってのは、本人「一家言あり」のつもりか「小言幸兵衛」か…いけませんなァまったくに。年寄りの典型、嫌われる老人。そうなっちゃあかんでぇと心する日々哉。
2024年07月29日
Donovan '69
反戦歌なら山ほどあろうが、個人的にすんなりと出てくるのはこれ_ドノバン。
朴訥なサウンドと美メロは正調ドノバン節の「西海岸で待つスーザンへ…」。
こちらは電話でなく手紙_戦場からスーザンへ。
リフが_
to Susan on the west coast waiting,
from Andy in Vietnam fighting
「待つ」と「戦う」のライムに強烈なメッセージを込めただろう1曲。
この曲は69年『Barabajagal』収録。マネージメント&プロデュースの、策士ミッキーモウストが話題作りに無理やりねじ込んだ?ジェフベックグループとの共演≠煌ワむが半分はこの手の朴訥ソングの名盤。「ぼくの好きなシャツ」はトノバン=加藤和彦の大のオキニ曲だった記憶。「ぼくのオモチャ箱」はここからインスパイアか…(タイトルのみ。曲は jim webb「ウィチタラインマン」から)。
2024年07月28日
last train to Clarksville
ラジオで、モンキーズがかかった_『恋の最終列車』。
全米1位ヒット、短く散るとは思えなかった彼らの華々しいデビュー曲。"paperback writer" のパクリという声もあるが、印象的なアルペジョイントロ…『いとしのヴァレリ』でのスパニッシュな速弾きソロもこの人、ルーイーシェルトン。贔屓のジェリーマギー、後ベンチャーズのマギーもこの曲でギターを弾いている。それはマギーがこの曲の作者/プロデュースのボイス&ハートと関係あったから。ボビーハートが率いていた the Candy Store Prophets がそのままモンキーズのバックになった、そのギターがマギーでベースは後キャンドヒートのラリーテイラー。
もともとはルイジアナから同郷の先輩ジェームスバートンを頼りにロスへ出てきたマギーで、見つけた仕事は シーウィッチクラブというナイトクラブのハコバン。そのバンマスがハートだったという幸運で、そのままモンキーズへと…。
ここらは掘っていたから詳しいのだ、なんて自負あったが、肝心なところが脱けているとは悲しい限り。というのは_ 陽気でバカ騒ぎ好きなモンキーズTVショーの印象が強すぎて、能天気アメリカンポップスの代表格としか今の今まで思っていなかったら…このデビュー曲からして反戦歌であったとラジオでの解説聞いてびっくりしたぁもう。英米音楽好きなんつっても英語が分からぬとは悲しいことよのぉ。
テネシー州クラークスヴィルとは空軍ベースで、そこ行き最終列車に乗り込む男が恋人に電話するという歌詞。もう帰れないかもしれない…とはヴェトナム行きを意味すると。66年なら泥沼化する前ではなかったか、それでももう反戦の声を、こんなポップな世界からも上げていたのか。当時はヴィクターだったかな、日本のレコ会社も何も分かってなかったか_邦題がこれだもんなあ。
TV『The Hollywood Palace』
ハーブアルパートに紹介されて「あの娘は今夜…」。
バックがCSP、ギターのジェリーマギー。
2024年07月23日
MY fav guitarist
いまも現役のロッドスチュワート。長い活動で関わったギタリストは数多…そのなかのひとりがピート・カー。マッスルショールズ・セッションでのメインリードギターであったが語られない…のは仕方ないか、マッスルは有名でもギタリストで知られるのはジミージョンソンのみ。
ピートはマッスルのみならずその時期のロッド盤、ロス・セッションへも(たぶん)トムダウドに呼ばれて出張っていた。
ナッシュヴィルチューニング≠フアコギもピートによる多重。たぶん "Sailing" 同様にアコギ3本/エレキ3本をひとりで弾いている_
マッスルセッションでの同僚だったレニールブランと組んだら下の曲が全米トップ20の大ヒットになった_
+++
これは口パクなんだが_それでもピートの指使いが。単音ピック弾きのリードプレイで珍しいタイプ、基本ずっと UP に弾くのがピート。
2024年07月20日
Western Outfits
赤いシャツを2枚作ってみた(赤は好きな色で持っているTシャツは半分が赤い)。
胸のヨークがそのままポケットのフタになっている仕様。写真では光っているが釦は緑。なので「クリスマス」仕様になった感。生地もコーデュロイというほどではないが若干の起毛がある、暖かい生地。着るのはまだまだ先になってしまったがまあいい、ヨークのパイピングも悪くない出来。

こちらのプリント生地だが店で見たときに文字_ "Natural World" "Naturally" が気になって買ってしまった。というのは、Three Dog Night のアルバム『Naturally』を思い出したから。記録的全米ヒット "Joy to the World" 収録盤であるよ。
ヨークとカフはデニムで。ヨークを直線でやったらどんな感じになるかを試した。曲線が基本なヨークなので違和感が逆に面白い。アロー(スマイルとも言う)ポケットは Western Outfits のお約束。ポケットにするのは難しいのでここではダミー。太いタコ糸を縫い付けただけだが気分は出た。

2024年07月14日
おいちゃん
暇潰しによく見るYTの『ホイチョイ的映画生活』。寅さん映画のこの1本≠ノ挙げていた17作目「寅次郎夕焼け小焼け」をVODで視てみた。マドンナは芸者ぼたんの太地喜和子。実生活で太地、このシリーズ初期に出ていて突然降板の感があった「登」=寅の舎弟役だった秋野太作(当時は津坂匡章)とごく短期間の夫婦であったよな。作品としては、太地の満面の笑み、陽気さが役にハマっていて面白かった。飄々とした宇野重吉は、御前様の笠と同質の「深い軽さ」が流石の感(但し、バーターだったか息子寺尾聰の大根ぶりがひどい)。
+
このシリーズ、全何作だっけ、50まで行った? 観ているのは半分強かな。それでベストのチョイスはおこがましいが、この17作目はランク「中」。
個人的にだが_前記「登」不在で15%マイナス、「おいちゃん」が森川信でなければ35%マイナス_このふたりが見られないだけで『男はつらいよ』の魅力は半減することになる。ということで観るべきと推すは8作目までか。「おいちゃん」車竜造役。村松達雄は論外(本人も自覚か?ショートリリーフで降板)だが、その後作で、夜間高校教師などでは活躍。下條正巳、ダメなんす…寅の親族にみえない/団子屋オヤジも似合わない。森川信が良すぎたから_。
+
個人的にはどうしても1/2作でワンツーフィニッシュ。シリーズ定番化が思惑外だった最初期ゆえのプリミティヴな魅力がたまらぬ。マドンナ≠フ言い方も無かっただろう_大物有名女優キャスティングでないから良い。1作目「冬子」(光本幸子)は帝釈天・御前様の娘で2作目「夏子」(佐藤オリエ)は恩師の娘、ともに柴又の幼馴染み。
子供の頃、女子にほのかな想いを抱くも伝える術無い不器用さから、いたずらしてまで気を引きたかった_同じ町内とはいえ相手は古刹のお嬢さんという立ち位置の違いもあって「出目金」と渾名してからかうしかできなかった幼き寅の、美しく成長した冬子との再会という設定。リアルでいい。
冬子も夏子も寅を幼馴染みとしか見ていない(見られない)純な気持ちでの振る舞いがある意味残酷でもある_。
『男はつらいよ』、寅次郎が振られて旅立つ哀愁の作品ではなく、振られて微かに心安定(予定調和)/その気を見せられたらビビって逃げる…女性恐怖症気味でM寄りな寅を堪能すべし。
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このシリーズ、全何作だっけ、50まで行った? 観ているのは半分強かな。それでベストのチョイスはおこがましいが、この17作目はランク「中」。
個人的にだが_前記「登」不在で15%マイナス、「おいちゃん」が森川信でなければ35%マイナス_このふたりが見られないだけで『男はつらいよ』の魅力は半減することになる。ということで観るべきと推すは8作目までか。「おいちゃん」車竜造役。村松達雄は論外(本人も自覚か?ショートリリーフで降板)だが、その後作で、夜間高校教師などでは活躍。下條正巳、ダメなんす…寅の親族にみえない/団子屋オヤジも似合わない。森川信が良すぎたから_。
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個人的にはどうしても1/2作でワンツーフィニッシュ。シリーズ定番化が思惑外だった最初期ゆえのプリミティヴな魅力がたまらぬ。マドンナ≠フ言い方も無かっただろう_大物有名女優キャスティングでないから良い。1作目「冬子」(光本幸子)は帝釈天・御前様の娘で2作目「夏子」(佐藤オリエ)は恩師の娘、ともに柴又の幼馴染み。
子供の頃、女子にほのかな想いを抱くも伝える術無い不器用さから、いたずらしてまで気を引きたかった_同じ町内とはいえ相手は古刹のお嬢さんという立ち位置の違いもあって「出目金」と渾名してからかうしかできなかった幼き寅の、美しく成長した冬子との再会という設定。リアルでいい。
冬子も夏子も寅を幼馴染みとしか見ていない(見られない)純な気持ちでの振る舞いがある意味残酷でもある_。
『男はつらいよ』、寅次郎が振られて旅立つ哀愁の作品ではなく、振られて微かに心安定(予定調和)/その気を見せられたらビビって逃げる…女性恐怖症気味でM寄りな寅を堪能すべし。
2024年07月13日
UK American pop
その、リアルポップオーガナイザーズ。
高島本人は ELO / Alan Parsons Projectと言っているならやはり十分にUK趣味、どこが西海岸なのかと思われるかな。弦楽器奏者も内包したELO、たしかにヨーロッパ伝統クラシカルな音像の追究バンドであった_B4仕事から業界に入ったアランパーソンズもEMIの色…アビィロードスタジオでテープオペの間に紅茶ブレイクが必須であった午後…そんなイメージは小さくない。
とはいえ、両者ともにやはりロケンローなベーシックはアメリカンであったことは端々に見せていた。ジェフリンは、USロックのコアであった Traveling Wilburys への参加(ここにはUK-American の旗手 Dave Edmunds が入ってほしかったが…、知名度不足だったかな)があった/ブライアンのプロデュースすらあった。
リンの盟友であったロイウッドが無類のスペクター信奉者であることも思い出す_リンもこんなアメリカナイズなビートチューンを…。
アランによるこのスペクターオマージュは、同種楽曲でも群を抜いた出来で_
(和モノならば加藤和彦作の、岡崎友紀がYUKI名義でリリースした「 do you remember me?」)
高島本人は ELO / Alan Parsons Projectと言っているならやはり十分にUK趣味、どこが西海岸なのかと思われるかな。弦楽器奏者も内包したELO、たしかにヨーロッパ伝統クラシカルな音像の追究バンドであった_B4仕事から業界に入ったアランパーソンズもEMIの色…アビィロードスタジオでテープオペの間に紅茶ブレイクが必須であった午後…そんなイメージは小さくない。
とはいえ、両者ともにやはりロケンローなベーシックはアメリカンであったことは端々に見せていた。ジェフリンは、USロックのコアであった Traveling Wilburys への参加(ここにはUK-American の旗手 Dave Edmunds が入ってほしかったが…、知名度不足だったかな)があった/ブライアンのプロデュースすらあった。
リンの盟友であったロイウッドが無類のスペクター信奉者であることも思い出す_リンもこんなアメリカナイズなビートチューンを…。
アランによるこのスペクターオマージュは、同種楽曲でも群を抜いた出来で_
(和モノならば加藤和彦作の、岡崎友紀がYUKI名義でリリースした「 do you remember me?」)
2024年07月05日
聖徳太子
なにげに…なんだが、昔の紙幣を残している。
500円札が無いわ、、岩倉具視だったか。板垣退助の100円札、朧気な記憶。使っただろうか。100円を紙幣にしていた時代は給料いくらだったのか。
馴染みは博文1000円と、やっぱり紙幣といえば聖徳太子≠諱Q昭和なワシらにゃ。「三億円事件」世代てか。
+
渋沢栄一でサイタマだけが騒ぐってのがやっぱりダサイわなぁ。だいたいいままでの「偉人」にくらべて何だかはっきりしない、知名度なかったのになぜ決まった? イロイロと経済分野で頑張ったらしいが、ずばりこれ!的なモンが見えない人。
どの新紙幣もまだ現物手にしてないが、ホログラムがデカすぎて違和感。
+
ところで、レアな2000円札が二万円の価値になる日を心待ち…そんなわけないか。
再度ところで_いまにいたるも英字表記 NIPPON GINKO …今回も入るな。「日本」の読みはニホンでなくニッポンであると、これが正しいぞと言う? GINKO のほうだが、これで欧米に通用しているのだろうか。オーディナリーな人らは「ジンコ」と読むんちゃう? 何式というのかよく知らないが、GYINKOH とスペリングしたほうがいいような気も…。

500円札が無いわ、、岩倉具視だったか。板垣退助の100円札、朧気な記憶。使っただろうか。100円を紙幣にしていた時代は給料いくらだったのか。
馴染みは博文1000円と、やっぱり紙幣といえば聖徳太子≠諱Q昭和なワシらにゃ。「三億円事件」世代てか。
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渋沢栄一でサイタマだけが騒ぐってのがやっぱりダサイわなぁ。だいたいいままでの「偉人」にくらべて何だかはっきりしない、知名度なかったのになぜ決まった? イロイロと経済分野で頑張ったらしいが、ずばりこれ!的なモンが見えない人。
どの新紙幣もまだ現物手にしてないが、ホログラムがデカすぎて違和感。
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ところで、レアな2000円札が二万円の価値になる日を心待ち…そんなわけないか。
再度ところで_いまにいたるも英字表記 NIPPON GINKO …今回も入るな。「日本」の読みはニホンでなくニッポンであると、これが正しいぞと言う? GINKO のほうだが、これで欧米に通用しているのだろうか。オーディナリーな人らは「ジンコ」と読むんちゃう? 何式というのかよく知らないが、GYINKOH とスペリングしたほうがいいような気も…。

"God Only Knows" by R.P.O
それでもって、コーザノストラの桜井鉄太郎だが。ネットみたらこれは本名でないんだな…桑田佳祐が付けた変名(嘉門タツオも桑田命名。自身も嘉門雄三か。変名に凝るところは細野のバンドネーミング好きに似ている)とか。よ〜知らんけど…渋谷系というかフリーソウルっつのか、どちらかといえばブラック寄りっぽいお洒落音楽で売った人の印象だけれどこんなCDも_。
これまた意外は…高島兄弟。その兄の高島政宏といえばスターレスを名乗るほどのクリムゾンマニアで知られる(それと KISS とSMマニア??)、コアなロック通。
まあある意味コアであるけれど、高島と桜井のふたりユニットが89年に出したCDは驚くほどブライアンへのオマージュ音楽であったのことよ。西海岸サンシャインポップであった意外。BBマニアとしてマストであったので入手しましたがね、これはなかなかの出来でいま聴いてもOK_タツロウがやたら使う「現在の鑑賞に堪えうる音」。但し、あの当時のCBSソニーの独特の音が若干きつい。エッヂが立ちすぎたソニーサウンド。
『Real Pop Organizers』(1989)
ネットにこんな記載も_
R.P.O. の存在とアルバムを知ったのは…「笑っていいとも!」だった。
アルバム発表当時、「テレフォン・ショッキング」に高嶋が登場し、その冒頭でタモリに R.P.O. のCDを手渡していたのだ。その時、彼はCDの内容を確かこんな風に説明していた。
「日本の E.L.O. か ALAN PARSONS PROJECT」
ん? タモリに通じたか?
いま思ったが_R. P. O としたのはE. L. O. からかも_
+++
CD未収録のシングルCDがあるようだ_聴いてみたい。だれかYTポストしてくれないか。
"we can fly / 恋ははかなく”

2024年07月04日
so long マサルさん_ #渡辺勝
https://tvk-impulse.seesaa.net/article/500056549.html
来年が三十年だから二十九年前か、江古田バディでマサルさんに歌ってもらったのは。結婚パーティでのこと。
https://tvk-impulse.seesaa.net/article/500069237.html
アーリータイムズストリングスバンドの『vol. 1』のオリジナル盤はマサルさんからの頂き物。自主制作? このレコードでライナーノーツを書いていたのは↓の粕谷先輩だった。
マサルさんのビクター在籍時リリースアルバムでのディレクターも担当。
2024年07月02日
RY 池中
で、先週のNHKラジオ『六角精児/ふわふわ』は安斎肇がゲストでライクーダー特集。
ライ…本国よりも日本での人気のほうが高かっただろう、CMにも出ていた。日本のミュージシャンにとってほぼ「ギターの神様」だったよな。世界リズム旅行船のキャプテンでもあって…。
〆もハマりましたワ。トムズキャビン公演の初来日はいつだ、、クボコーへ2日行ったな。それは単独で、次回のデヴィッドリンドリーとのふたりライヴも観た。
そのレコは、けして上手くない歌も十分「味」と皆が納得していた。選曲の妙とスライドのトーン…アメリカ音楽の最良の形と日本では℃け入れられたもの。
が、しかし、先般のレコード整理_はて〆は、ライ盤はどうしたか。棚をみれば 紫谷/鳥肌/ブーマー/ライヴ等、すべて処分していた。結局残ったのは『ライクーダー登場』1枚だけ!(CDは、レンタル落ち¥200だった『get rhythm』があった)
+

そうか、〆の趣味ではファーストがベストなのか。たしかにこの盤の衝撃が一番だったかなぁ。70年盤か、中学でこれ買ったかな?『紫谷』のほうが先だったかもしれないし、ストーンズとのからみの件も知らなかった気がする。この盤はワロンカー/ヴァンダイクパークスのプロデュース。ワロンカーは名義のみで実質はヴァンダイクだったろうから、その大仰なアレンジをライ自身はかなり嫌ったとどこかで読んだ気がする。まあ大メジャーのワーナーが出すレコだからね、ワロンカーとしても多少は売れてくれと思ったろうからヴァンダイクを付けただろうし。しかしポップな仕掛け人が滋味のライと合うはずもなく…。ヴァンダイクはこの一枚のみ、それでも年イチでリリースが続いたのは、義兄ラスタイトルマンのおかげ_ワーナー内のラスの立ち位置が物を言ったはず。
+++
安斎肇だが。こんなCD、ご丁寧な2枚組_出ていたことを知る者は…皆無? この頃、02年盤だが、安斎は Harold とサインしていたが…なんだべ? 大瀧ワークの中山泰は Richie Young だったが。〆もデニーとかワケ分からぬこと言ってるが。
『池中くんの昭和歌謡』
ビクター盤で雪村いづみからスタートで吉永小百合、梓みちる、橋幸夫…どっぷり昭和なコンピ盤全44曲。サエキけんぞうと横山剣がひとことライナー。
「池中」が何かというと「池袋中学校」。これはビクターのディレクターだった粕谷君、池中の同級生だったのが安斎と桜井鉄太郎(コーザノストラ)ということで作ったCD。売れたとはとても思えぬブツなれど…好きなことやれた時代だったねぇ。粕谷君は高校/大学と先輩だが知っているといえば兄キの友人だったから中学ん時から面識ある、長い付き合いでこのCDもビクターに寄ったときの頂きもの。

ライ…本国よりも日本での人気のほうが高かっただろう、CMにも出ていた。日本のミュージシャンにとってほぼ「ギターの神様」だったよな。世界リズム旅行船のキャプテンでもあって…。
〆もハマりましたワ。トムズキャビン公演の初来日はいつだ、、クボコーへ2日行ったな。それは単独で、次回のデヴィッドリンドリーとのふたりライヴも観た。
そのレコは、けして上手くない歌も十分「味」と皆が納得していた。選曲の妙とスライドのトーン…アメリカ音楽の最良の形と日本では℃け入れられたもの。
が、しかし、先般のレコード整理_はて〆は、ライ盤はどうしたか。棚をみれば 紫谷/鳥肌/ブーマー/ライヴ等、すべて処分していた。結局残ったのは『ライクーダー登場』1枚だけ!(CDは、レンタル落ち¥200だった『get rhythm』があった)
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そうか、〆の趣味ではファーストがベストなのか。たしかにこの盤の衝撃が一番だったかなぁ。70年盤か、中学でこれ買ったかな?『紫谷』のほうが先だったかもしれないし、ストーンズとのからみの件も知らなかった気がする。この盤はワロンカー/ヴァンダイクパークスのプロデュース。ワロンカーは名義のみで実質はヴァンダイクだったろうから、その大仰なアレンジをライ自身はかなり嫌ったとどこかで読んだ気がする。まあ大メジャーのワーナーが出すレコだからね、ワロンカーとしても多少は売れてくれと思ったろうからヴァンダイクを付けただろうし。しかしポップな仕掛け人が滋味のライと合うはずもなく…。ヴァンダイクはこの一枚のみ、それでも年イチでリリースが続いたのは、義兄ラスタイトルマンのおかげ_ワーナー内のラスの立ち位置が物を言ったはず。
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安斎肇だが。こんなCD、ご丁寧な2枚組_出ていたことを知る者は…皆無? この頃、02年盤だが、安斎は Harold とサインしていたが…なんだべ? 大瀧ワークの中山泰は Richie Young だったが。〆もデニーとかワケ分からぬこと言ってるが。
『池中くんの昭和歌謡』
ビクター盤で雪村いづみからスタートで吉永小百合、梓みちる、橋幸夫…どっぷり昭和なコンピ盤全44曲。サエキけんぞうと横山剣がひとことライナー。
「池中」が何かというと「池袋中学校」。これはビクターのディレクターだった粕谷君、池中の同級生だったのが安斎と桜井鉄太郎(コーザノストラ)ということで作ったCD。売れたとはとても思えぬブツなれど…好きなことやれた時代だったねぇ。粕谷君は高校/大学と先輩だが知っているといえば兄キの友人だったから中学ん時から面識ある、長い付き合いでこのCDもビクターに寄ったときの頂きもの。
