2024年04月05日

LAD


昨年までの「Red」から「Blue」へ_NHK、MLB中継のメインはLAAからLADに変わった。名将ラソーダが語ったところの「私の身体に流れる Dodger Blue の血…」。
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第一次MLBブームであったと思う、それまでに日本ではメジャー野球はベーブルースの名前ぐらいしかなかった、ブームは1970年代のこと。ベースボールマガジン社からは毎年『メジャーリーグ年鑑』本が出ていたほど。結構マニアが増えた。当時はBSなどなかったのだからNHK、頑張って相当数の中継放映をしてくれたんだよな。以下に書くほどに選手を見ることができたのだから_。個人的には高校の時に銀座イエナでUS monthly "Baseball Digest" を買う。18頃からは直接のサブスク、小さな判型で Airmail で毎月タイムラグなしに届いたもの。
NHKが片寄り無しに、万遍なく各地のゲームを見せてくれたので田舎チームにも贔屓プレイヤーが大勢いた。ミルウォーキー、モリターロビンヨーントは素晴らしいコンビだった。天才ヒッターのロッドカルー、ツインズからエンゼルスへ…晩年でも見ることができた。ボストンの星、はつらつプレイのフレッドリンが登場した頃。テッド以来の夢の四割にとどくかと全米が興奮したのはロイヤルズのジョージブレット、これまた伝説的打者。天才打者列伝ならばビルマドロック/デイヴパーカー/マティングリー/ウェイドボッグズらも挙げねば。投手で記憶に残るのは、「なまず」ハンター/JR/ジムパーマー/剛速球ライアン/ゲイロードペリー/曲者ニークロ/トムシーバー…枚挙に暇無し。バレンズエラはもうちょい後なんだよなぁ、〆的には。Mr. K グッデンが出てきたあたりまでのリアルタイム。
スターだけでなく渋い選手も好きだった。球に話しかけるフィドリッチ、現代キャッチャーの形を作ったジョニー "one-hand catch" ベンチ、守備達人「オズの魔法使い」スミス、とりわけこの選手が好きだった!NYのボビーマーサー。いまでも一番好きなプレイヤーとして挙げるのはマーサー…? "2-2 pitch" サットン「ルイジアナの稲妻」ギドリーもなあ…ひとりには絞れないか。
ま兎も角、〆の時代の KING は_Mr. October レジージャクソンだったがね。
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いろいろ名を挙げたのは、それだけメジャー野球を全般的に、俯瞰的に楽しめたといいたいわけで。日本人は野茂もまだいなかったのだ。きら星の数だけスーパースター(マイクシュミットアンドレドーソンも書き漏れてる!)がいて、そのプレイに一喜一憂していた。なのにいまは…「日本人プレイヤー」試合しか放映しない。当たり前か?「外人」プレイヤーに誰も興味ないか? はっきり云ってまだ大谷よりもトラウト/ジャッジのほうがスターとして格上なのだ。なのに日本では大谷だけがメジャープレイヤー、大トロの大谷に対してトラウトもジャッジも刺身のつまとは…。
木を見て森を見ていない。身内贔屓と勝利至上主義_オリンピックでも日本人のメダルにしか目が行かないのも同様…どうしてスポーツでは日本人偏重が激しくなるのか。そう、大谷という木だけが興味で野球(baseball)という森はどうでもいいのだね。ここは実にアジアン、中朝的。スポーツを楽しむ土壌がやっぱりまだ育っていない、スポーツ後進国としか思えない。
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ロサンゼルス・ドジャース。巨人のベロビーチキャンプとかアイク生原なんて名前も思い出す_日本に一番近いメジャー球団なのはたしか。(なぜ中日ユニフォームはドジャース模倣を続けているのだ? 同じ「D」だから?)
ドライスデールコーファックスは伝説の中で…思い入れあるのはこの頃、1979年ロースターを見てみる。エースは前記サットンハフフートンらで投手陣を支える。FAの先駆者メッサースミスの最終年でもあったか。内野は「ペンギン」セイ/伊達男ガーヴィ/ロペス/ラッセルで鉄壁。セイ、引退後だが『刑事コロンボ』に本人として出ていたね、コロンボが "Wow! Mr. Cey!" と感激するシーン。外野…まさかに名監督になるとは思わなかったダスティ「爪楊枝」ベイカー、大好きなプレイヤーだった。マンディレジースミス(巨人へ来た)の堅固な布陣。
ラソーダ監督の四年目。怪童バレンズエラ、「トルネード」野茂フィーバーは先のこと_。




posted by denny-0980 at 10:24| Comment(0) | TrackBack(0) | Assorted | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする