2024年01月18日

Best 斉藤哲夫 CD


CDを1枚、ネット購入は99年盤とあるから随分と古い_セコ盤。
『ゴールデンJポップ ザ・ベスト 斉藤哲夫』
ソニー盤、斉藤哲夫さんのCBSソニー時代のベストコンピの18曲収録盤。

斉藤さんのwikiページのリンクには私メが2013年にお願いしたロングインタビューが入っている_
 ”稀代のメロディメーカー、哲夫さん”
http://www.sakatomi.com/iFrame_4/19_saitotetuo_1.html

渡辺勝さんを介して行えたトーク。
そこに記したように斉藤さんのCBS三部作のなんと素晴らしきことか_この意見に呼応してくれる音楽関係者も少なくないのだ。「悩み多き者よ」哲学フォーキーの印象を払拭せぬ者と二分される哲夫さんファン。私ら前者はことあるごとにCBS時代_マッカートニー的メロディメイカーぶりを賛美するわけだが、いま思うにそれは「フォークなビートルズ」であったな、と。

このCDをいまさらに買ったのは、CBS時代の洩れ≠知ったから。それがこのCDだけに収録と気付いた。というのは三枚のLP、最後『僕の古い友達』は75年9月発売だがその後にシングルが2枚出ていたのを知らなかった。
 76-4 想い出のレター/旅に寄せて
 77-8 Good Night Mr. Moonlight/ラブソング
この4曲、それと74年のシングル「グッドタイムミュージック」、B面は「ハローハロー」というアルバム未収録であった_
都合5曲がこのCDに収められていた。

+++

いま5曲を初めて聴いて…何というか、時代ってのは残酷だな、とか。複雑な感じ。
74年「ハローハロー」は、収録タイム制限でアルバムから洩れただけだろう、これは当時らしいイイ曲。しかし残りッペのシングル4曲は辛い。
アルバム3作はどれほど売れたのだろう…世評上がったのは後年、当時の売上げは芳しくなかったか。想像するにシングル2枚はかなり売れ線を強いられたものだな。フォークの時代は終わってる、シティポップス寄りで行こう!という制作会議が見える。しかし哲夫さんは南佳孝や来生たかおなどと端から「色が違う」んだよな。無理ある。その無理がこの2枚のシングルから漏れてくるのだ。で、結果は出ずにアルバム制作もならずにソニーを去ることになったのだろう。
+
斉藤さんはどこまでもアコギの人であり「吉祥寺な人」。渋谷ではない。
三部作はビートルズ的ポップだったがそれもあくまで「吉祥寺のビートルズ」。フォーキーなビートルズだった。「MR.幻某氏」は "fool on the hill" /「まさこ」は "Julia" _それは斉藤さんの趣味でもあっただろうが、アレンジャー 瀬尾一三の仕事によるところが大きいはず。斉藤哲夫ポップワールドが瀬尾アレンジで見事に昇華されたゆえの傑作三部作。
が、時代がアコギを求めないとなると哲夫さんの居場所が揺らいだ感。長髪を風になびかせる時代がきれいに消えてしまったのだ。
(そう思うと井上陽水の処世術の見事さをいまさらに感じる_)

ああそれにしても…「ランランラン」、なんていい曲か。


斉藤ベスト.jpg
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Ep 31

The Midnight Special | August 31, 1973
https://www.youtube.com/watch?v=C0PLCH0TYB0

2:59 Billy Preston - Will It Go Round in Circles
7:36 Steely Dan - Reeling in the Years
12:35 Bo Diddley - Bo Diddley
15:58 Maureen McGovern - The Morning After
18:30 Buddy Miles - Them Changes
22:59 Billy Preston and Buddy Miles - My Sweet Lord
30:51 Ned Doheny - I Can Dream
34:28 Gladstone - Natural Inclination
37:35 Billy Preston - All Spaced Out
41:22 Steely Dan - Show Biz Kids
45:45 Bo Diddley - Bo Diddley-itis
49:12 Billy Preston - Music's My Life
53:22 Buddy Miles - Thinking of You
57:40 Steely Dan - My Old School
1:03:04 Billy Preston - That's the Way God Planned It


昨年七月にスティーリーダン@midnight special での生演奏ポストを紹介したが、そこでの4曲以外にここでの "my old school" があったので_。
そこに書いたようにこのTVライヴでのコーラスは(LPのblackberriesと違って)Porky & Bucky のふたり。それとパーカッションの Royce Jones _この人、2枚目のみ、ちらっとしかクレジット無い人だが当時の写真をいまになって見るにライヴには欠かせない人だった様子。シングル「ヘイ・ナインティーン」B面はシングルオンリーだったサンタモニカでのライヴ音源の「菩薩」だったがここにもクレジットがある。SDウォッチャーとしては侮れぬ存在。

最近は『ガウチョ』をよく聴くがやはりベストはこのバンド℃梠縺Bただしこの時点でパーマーが首になっているようにフェイゲンとしては既にバンド形態の殻は脱ぎ捨てたくなっていたかも。パーマー/ジムホッダー/スカンクはカッツが呼び寄せた、いわば「トラ」であり切っていくことに何の抵抗もなかっただろう。もともとダイアスのバンド Demian から始まったことだから唯一旧知のダイアスとは最後まで(『ガウチョ』がSD最終盤と定義)行動を共にしている。

++++++


何度も上げているがこの『midnight special』はたまらない、50年経って見ても。
1980年前後だったはず、東京12チャンネルの30分枠でこの番組と『In cocert』と『soul train』を交互に放映していた、そこでのHot TunaDr. Johnの記憶を前に書いたが_時間も回数も一部分のみ。それがこうしてフル放映をエピソード1からYTにアップしてくれてまったく嬉しい限り。前記ポールバターフィールドの better days の生演奏など驚喜なわけで_。
このエピソード31も、一番乗っていたときのビリープレストンがホスト…いい顔ぶれ。
1曲のみが惜しいがネッドドヒニーの73年が見られるとは。この番組の良いのはライブであることで、重箱突く趣味の当方としてはバックメンツにも眼が行く。ネッドの後ろのベーシストは Bryan Galofalo 、この人の映像もレアだ。Equinox の準メンバーにもみえたプレイヤーは特にデヴィッドキャシディのレコード/ライヴで馴染み。西海岸の名手として数多くのアルバムに名がある。
ボディドリーの後ろのギタリストもどこかで見た顔のような気がするんだが_。
チャックベリーはステージのバックをプロモーターに一任、単身移動でその土地土地のバックメンバーをつけて演奏していた。著名ミュージシャンが無名時代にその仕事をやったと_アメリカだけでなくイギリスでもそれを語る者がいる。ベリーはライヴ前に一切リハも打ち合わせも無しでいきなりスタート、弾き出したリフで瞬時にバックメンバーは曲を判断して即対応、だったとか。ここでのも…白人バックを見るにこれは局側のセッティングではないだろうか。バーバンクのスタジオ収録の番組、西海岸のスタジオプレイヤーが数多く呼ばれているだろう。
アーロガスリーは録音メンバーをそのまま呼んでいた_ジムゴードン/ジェシデイヴィス/ニックデカロら_皆西海岸在ならばこれも可能か。




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2024年01月16日

門松は冥土の旅の…


デザインを生業にしてきた。もともとの趣味とリンクする稼業ゆえ一緒に仕事した人らとは、音楽もちろん楽器や漫画や映画や…趣味が合うので仕事放れても呑んだりライブ観に行ったり誘われたり、な関係が続いた。
が、寄る年波で仕事オファーさっぱりになってる昨今…こうなるとこちらからはチト声を掛けにくい。メール「ごぶさたです/いかがですか/久しぶりに一杯どうでしょう」_これが送れない。ん?まだ仕事欲しがってんかなぁ…もうないんだよなぁ。返事しにくい=cじゃないかと。考えすぎか。兎も角こちらからは抑えるわけで。
それでも正月だけは、賀状こそもう書かないが画像は作ってメールやラインは送る。大まかな近況はそこで知るのが毎年初。しかしここで返事ないともう上がりというか終了感漂う。結構長い付き合いだったけれど仕事はやっぱり仕事というだけの関係であったのか、縁は切れるもんよのお、と。
ことしはふたり、ノーレスポンス。



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2024年01月14日

BruceWoolleyCameraClub


ダイアーストレイツの大ヒット "Money for Nothing" _wikiによればこの曲はMTVに出てくるアーティストを批判したものだそう。で、強烈に歪ませたノプラーのギターはそのMTV常連(というかこの番組によってビッグネームに)だったZZトップを模した音だったと。そう言われればなるほど…。この曲のプロモヴィデオはUK MTVの最初の放映作だったと_あえて批判的な作を頭に持ってきた…といえば本家USも同様であったことを皆思い出すはず。
世界最初のMTVビデオはバグルズ「ラジオスターの悲劇」。原題 "Video killed the radio star" _ビデオがラジオのスターを抹殺した。
バグルズといえばトレヴァーホーンジェフリーダウンズのコンビ。UK屈指の名プロデューサーとして名を馳せることになるホーンの第一歩。(当方、ホーンの仕事が大好き!)

但し「ラジオスターの悲劇」、バグルズのリリース前のオリジナルがある_ブルースウーリィ&カメラクラブ。79年の唯一LP『English Garden』収録でシングルも切られた。
作はウーリィ=ホーン=ダウンズ。バグルズのシングルが全英1位になったのも79年10月なのでほぼ同時期だからどちらがオリジナルというほどでもないか、競作シングル。カメラクラブにホーン/ダウンズは参加していない、あくまで並行活動。

ウーリィ&カメラクラブ。モダーンミュージック系の傑作アルバム。一枚で終わったのが惜しい_近田春夫が「ハルヲフォンでやりたかったのはこれだ〜!」と言っていたような…。このバンドのキーボードが若きトーマスドルビー(Tom Dolby名義)、二十歳。
UKオリジナルのジャケが素晴らしい。US盤はジャケ違い。こういう場合たいていは悪くなるモンだがこちらも出来がいい。


CameraUK.jpg

CameraUS.jpg


https://www.youtube.com/watch?v=3v7PHoCYmts


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2024年01月13日

Jan Berry

まず音楽的に見るべきは何も無い、お気楽ティーンポップ…が一般印象であろう「ジャンとディーン」。しかしジャン・ベリーのスタジオ録音における先進性はブライアンのお手本であった_不幸な交通事故さえなければ西海岸ロックでブライと双璧のクリエイターになれた才人であったはず。一命こそ取り留めたが後遺症残りで表舞台への完全復帰はならぬまま_。
それでもリハビリしてジャン&ディーン/ソロで緩やかに活動は続けた。

70年代 Ode ~ A&M で、たぶん大半はシングルオンリーだろう…ソロでリリースがある。
Ode はかつてマネージャーであったルー・アドラーが、Dunhill に続いて興したレーベル。
72~3年には Legendary Masked Surfers 名義でシングルを2枚、これは United Artists からだったが、60年代ハリウッドの顔役が豪華集合した盤だった。ジャン&ディーン/ブルース&テリー/ブライアン/ラリーネクテル/リオンラッセル/グレンキャンベル。


jan7%22.png


その流れだったろう…このシングルは73年 Ode 盤だが "Jan Berry" でなく"Jan" 名義でのシングル(その次盤は "1 Jan 1"_ワン・ジャン・ワン? 名義と、不思議盤が続く…)。
ヒューイピアノ<Xミス作のニューオーリンズ・クラシック。クレジットは無いが明らかにファルセットはブライアン。共演シングル。ブライアンもけして調子のいい時期ではなかったので正直ふたりの歌は…、けれどもバックトラックはしっかりしていて小気味よい。
で、もしやこのバックは Johnny Rivers' LA Boogie Band かもと_。

まずOde オーナー=アドラーは、リバースを「ゴーゴー男」としてブレイクさせた仕掛け人(なのでリバースの70年代リリースは Ode であるべきが、自身の Soul City でもなくなぜか United Artists だった)。そして73年にリバースが放ったヒットがやはりヒューイのニューオーリンズ・クラシックであったこと_「ロッキン肺炎とブギウギ感冒」
72年『L.A. Reggae』〜73『Blue Suede Shoes』でリバースはオールスターチームのバックバンドで制作した。
ジムゴードン/ジョーオズボーン/ディーンパークス&ラリーカールトン/ラリーネクテル&マイクメルヴォイン/ジミーウェッブ/ハーブペダーセン/ジムホーン&チャックフィンドリー
このジャン&ブライのシングルの音_ゴードンのドラムっぽくもあり、ピアノの跳ねはマイクメルヴォイン、ギターの若干濁り気味もディーンパークスのような気が…。





御機嫌なリバースとその仲間
https://www.youtube.com/watch?v=UvJ78hYI6wk




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2024年01月07日

重箱読み


本来の読みは「みちのぶ」だったのか、篠山キシン。そういえばカメラマンに十文字美信/加納典明…ビシンとテンメイは「よしのぶ」「のりあき」なんじゃないのと昔思ったが…。この音読み変えは篠山からなんだろうか。ならば当方、和典をワテンで通してカメラマンになればよかった〜、、てな甘い世界じゃあらへんね。

TVで旅ロケ番組でのゲスト芸能人、やたらめったら「ほんと」を繰り返す。これと「なんか」が止まらない者も…どちらも少なくない。ラジオだったが、いのきどえちろう_「え〜と」の嵐。「サブカル系ライターなんでこんなしゃべりっす、え〜とよろしく〜」というキャラ作りだろうが(サブカルいえばカーツ氏はどうしているかな)、それが止まらなくなってる感じ。
人前で喋る人らならば、本人よりも事務所とかマネージャとかが注意しないもんなのかと。なんか、ほんと、聞き苦しい。

新年会で都内へ出る、未だこれが手付かず。まず首都圏の首長が率先して…いや、これは国レベルで徹底すべきことだ、エスカレーター片側空け全廃。膨大な時間のロスをどうして放置したままか理解に苦しむ。経済効率としてもとんでもない無駄。


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2024年01月06日

Funky New Year


この曲はシングルオンリーだったはず_
A面もそうだな、季節の企画物、クリスマスとお正月とで。
新年というにはあまりに重い音…。A面、普通はオリジナルクリスマス曲を作るだろうにカヴァーでお茶濁し、それとやっつけのB面。当時のこのバンドの混迷を如実に示す。『ホテカル』大ヒット後の煮詰まり、何もリリースが無かったのでこれはアサイラムから急かされてのシングルだった記憶_解散はしてないよ声明盤か。


名称未設定.jpg


蛇足:Faces と Eagles は The がつかない_お忘れなきよう
   ちなみに、Free はデビュー時の一瞬のみ The Free だった…

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2024年01月04日

我が至上の愛





ちょいと恥ずかしいカバー…それでもポスト。なんでこんなに歌にリヴァーブをかけたんだろうか。たぶん40年前の自分がヘタを誤魔化したかったんだな。
豊島園ユーフォニックで、4人でふざけた録りだったと思うが、ドラムがあったのになぜリズムマシーンか。イーグルスに申し訳ないショボさ。

この曲は74年盤『on the border』からのシングルカットでイーグルスにとって初の全米1位。それほどのヒットシングルが日本では切られてなかったのか_。「我が愛の至上」という放題でかなり知られる曲なのに。
「至上の愛」でしょ、「愛の至上」なんて言葉があるかいな。当時のワナパイ担当氏のいい加減さ。ま想像はつきますワ_コルトレーンに『至上の愛』盤があるから「我が至上の愛」では近すぎる、ならば逆にしちまえ…と。

アルバム『on the border』、前に書いたな、Rick Grffin レタリング三部作_NY『on the beach』/JB『late for the sky』とこれ。三枚はジャケ文字がグリフィンの手書きによる。西海岸サイケデリック・グラフィック四天王(グリフィン/マウス&ケリー/ヴィクターモスコソ/ウェスウィルソン)うち、イラストレーターとしてもデザイナーとしても最も才能溢れる人だった。なかでも『on the border』は、裏ジャケのすべての文字もグリフィンが hand-lettering している特筆盤(表の稚拙な別人イラストがまったく残念な盤でもある_なぜグリフィンに描かせなかったか)。


eagles-back-griffin.jpg


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2024年01月03日

Yohei's new release CD


https://diskunion.net/jp/ct/detail/1008749826

これは正に奇しくも=c大晦日ポストの「ウィルコ」…。
ヨーヘイ君はビーチボーイズマニア仲間のひとりなんだが、彼の新譜CDには(闇を抱えたカントリーサイドの…≠ヘちょいと気まずいが)ウィルコのメンバーが参加という_。

My Hawaii というバンド活動もしている彼のソロ2作目が今月発売。
推薦コメント:
 久保田麻琴/小山田圭吾/藤原さくら/
 阿部敢磨 (never young beach)/松永良平

久保田麻琴Yohei君にビーチボーイズをプロデュースさせたいと言わしめる実力者なんでね、興味の向きは是非聴いてみてください_


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font_ Nackonen

dragon year.jpg


this is free-font < Nackonen > by Sakatomi
http://watt05.wixsite.com/sakafon


フォント名を付けるのは結構悩む_のは、中途半端では数多ある別フォントとダブってしまうと思うから。なので意味の無い言葉/勝手に作ることを心がける_極力無さそうな単語にすること。
これ「ナッコネン」としたのは、このジェファーソンに絡めてのことなのだ。が、スターシップではなくてエアプレイン時代のギタリスト=ヨーマ・コーコネンになぞられた。本来は Jorma Kaukonen も綴りたいところだが、ドラゴン・ジャケットはこのスターシップ時代の名盤なので…。

コーコネンは大好きなギタリスト…なんだが、正直エアプレインにはさほど思い入れがない。デビューから HOT TUNA が大の贔屓。いまは無き日清パワーステーションでの来日ギグも観に行ったさぁ〜。

コーコネンと同じぐらいに好きなプレイヤーだったクレイグチャキーソの名は入れている、スターシップの最初期乗務員であったから。思い入れなかったエアプレインと違ってスターシップはいまでも最高のバンドである、自分的に。ただここは複雑で_まず最初のLPはカントナー/スリック/フライバーグの三人による、あくまでプロジェクトであった。それがエアプレインがぎくしゃくし出して解体、それにともない継承のバンドと化した。そのときにマーティベイリンとは不仲で付きつ離れず関係、けれど完全復帰して黄金時代となる。バンドは成功(アルバムもシングルもバカ売れ)したから商売として長く続くことになったがそれは見るに忍びない状態であったよ_。
結局以下の4枚だけが個人的「ジェファースンスターシップ」ということ:

dragon fly _ ベイリンはここでは「ゲスト」だったが "Caroline" という一世一代の名曲を作り歌い上げる
red octopus_大ヒット"miracles"筆頭に捨て曲無しの大名盤
spitfire_ここではパパジョンが抜けているのが非常に痛いが、やはりこれも素晴らしい、とくにチャキーソのギター
earth_これにて栄光のスターシップは終焉 掉尾を飾る秀作



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2024年01月02日

まずはこれから_




龍のイラストは長岡秀星



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year of the dragon

2024甲辰.jpg


まあまあ一応は長年ドラキチのつもりはあるのだが昨今はどうにも…いやいやペナントレースはどう転ぶか分からない、辰nami-sanにも期待しよう/応援しようと思う。

新年早々だがひとつケチつけたい_『紅白』に。
紅白に限ったことではないけれど…「ドミノ」、困ったモンだ、ほんと。紅白での「ドミノ倒し」って…それドミノじゃないから、ただの長方形プラ板。しかし文句つけようにも世間は/Public Imageはこれで「ドミノ」であり、それは倒してナンボでしかないか。
サイコロのように1から6までの数字を二つ並べたものが「ドミノ牌」であるが_「ドミノ倒し」に牌が使われることすらないとは。倒すモンじゃなくゲームなんだがなあ。
楽しいゲームなのだ。相手がいなくなって何年もやってないが_いまでも牌は持っている。
ロックファンならクラプトンのレコジャケ(裏)でお馴染みだろう、その名のバンドであったのだから。
古い記憶だが、日本で Dr. Pepper 、販売開始の時のポスターはアメリカンヴィンテージな写真_ホコリっぽいふたりのカウボーイがテーブルに座ってドミノをする姿であったような…。
ドミノもそうだが、バックギャモンも長いことやっていなくて_どちらもまたやりたくなってきた。とくにバックギャモン、近場に相手を探そうかと思う。


domino.jpg

PS* いまネットをみたら「倒すためのドミノ牌」を日本ドミノ協会が公認#フ売してやがら!だめだこりゃ…

posted by denny-0980 at 17:41| Comment(0) | TrackBack(0) | Assorted | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする