2023年05月21日

この三枚はKoshでないが_

仲の良い3人、揃ってbig hoopのイヤリングでジャケ。カーラ/リンダ/ウェンディ。これも共通項_3人とも Kosh Design 盤がある(ボニーレイット、ドリーパートンもあり)

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2023年05月19日

new font sample

New free font MADALLINE sample
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Milton Glaser _アメリカングラフィックデザインの巨星。若いデザイナー諸子、プッシュピンスタジオぐらいは浚って欲しいところ。
ディラン/ザ・バンド/PPMなどのジャケワークは、ウッドストック(=アルバートグロスマン)がらみか。ベターデイズのファースト、ブルースハープ大写しの大胆構図をミルトンの真骨頂と見る。そしてこのポールサイモン『ひとりごと』も。
このジャケでは曲毎のイメージアイテムを羅列。それの、"one man's ..." からイラストを描いてみた次第。
https://youtu.be/2GdegC2p8ek
この曲はマッスル録り。手持ちアルバムは4チャンネルLPなので全曲ミックス違い。
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2023年05月18日

Madalline

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どうスか? これはいいっしょ! 自信作の新フリーフォント。スクリプト系…完全には繋げていないのでハーフ・スクリプト。ディセンダーを長く取ったから級数からするとかなり小さくなっている、拡大使用してほしい。
"Madalline" 「マダリーン」と名命。US人だがUKで成功した黒人シンガー Madeline Bell から、ちょいと変えた。

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2023年05月13日

その4/終

前記通り、父の生家は奥三河。当時は静岡県磐田郡佐久間町浦川(現在は浜松市天竜区佐久間町となっている)。景勝・観光は佐久間ダムと鮎釣りぐらい、山間地。
昭和35年8月の写真三枚、池島さんが浦川に来た。亀楽というのは浦川にあった旅館。この旅の経緯は不明。父が池島さんを招待したのだろうか。一緒に写る男性陣はネクタイなどして堅い体_文春社員さんで社内旅? こんな僻地はなさそうだが。女性は鞄を持つ。夫人同伴旅なのかどうか。

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佐久間ダムでのショット。大学レスリング部で国体出場も経験した、終生腹まわりの太かった父は左端。ひとりおいてハンチングの池島さん。


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父はこの地には入隊の15才までしかいなかったから釣りの腕はたいしたことなかっただろうが、角笠を被る池島さんの隣は僕にとって母方祖父、鮎友釣り名人であった(母親も同じ町の出)。釣った鮎を河原で塩焼きにする/釜で鮎飯を炊くのがもてなし。「河原飯」と称する。



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これは蛇足の1枚。昭和28年6月27日とある。縞の浴衣で釣り竿指南を受ける?のは_昭和の大音楽家、服部良一、そのひと。



最後、池島さん手書きの弔辞_

池島-弔辞.jpg


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2023年05月12日

その3

文藝春秋社が池島さんが亡くなった際にその文章を纏めた謹呈本、奥さんがご丁寧に送ってくださった。これに、昭和39年8月号の鉄道弘済会PR誌「こうさい」へ寄稿した小文が転載されている_「奥山兵曹のこと」と題したエッセイは、父との出会いと戦後の関わりを記している。前回記した父についてもこの文章の一節。
三十年ぶりに再読してみた。400頁超の半分を占める『雑誌記者』は文庫化され、いまでも読めるだろう。全般、半世紀前の編集者のことばだが今も古びていない。戦争体験者として記憶のさびぬうちに政治とジャーナリズムの関係を記録した文章、揺り戻って徐々にきな臭くなってきた昨今にこそ必読。
寡聞にして登場人物はほとんど分からないのだが、興味深かったのは_ひとりはかの文豪。新人社員時代に一度きりだが泉鏡花宅へ原稿取りへ行った話。話し好きの老人に丸め込まれ受け取れなかった逸話。もうひとり、こちらも伝説的編集者『暮しの手帖』の花森安治との関係。かなり近しい間柄であった様子が知れる。
夏目漱石賞。かつてこの文学賞があったとは驚き。受賞者すら読んでない?_直木三十五を冠した賞が名声を博すのに比してこの大文豪賞が消えたとは…。


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2023年05月05日

その2

父から戦争の悲惨さを語られたことはなかった。こう言ってはなんだが、軍隊は水が合っていたかもしれない。勝新太郎・田村高廣主演『兵隊やくざ』_嬉々とした勝新の姿がどこかダブるのだ。記憶では毎年の戦友会へも出席していた。人生を変えたふたりの知己を得たことがなにより嬉しそうだった。
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戦争末期、士気も落ち込む軍隊にあって少年兵の父を池島さんはこう記している_若いから、動作は目をみはるくらい敏捷だし、一種の若者らしい正義感も、気持がよかった。当時、戦いは敗色濃く、志気の頽廃は士官、下士官を蔽うていたが、彼はいつ見ても、この汚染から免れているようなところがあった=B(父は「若年鬼軍曹」として丸太で池島老兵の尻を殴りつける役であったのに…)
同じ眼差しで井上さんも見ていたくれたのだ思う。父の生家は静岡・愛知県境、奥三河を呼ばれる山間の田舎_佐久間ダムがある町。北海道千歳で終戦を向かえた父がその足で帰郷した時に、その田舎町に井上さんも一緒だった。そして親族に対して「埋もれさせては惜しい、私があずかるので東京へ出してやってほしい」と説得してくれた驚き。功を奏して父は東京へ_中野・哲学堂内の井上家へ書生扱いで住み込む。東洋大関連の旧制京北中学へ編入も面倒みてもらえた。
中央大夜間部へ入った時に井上家を出て、同期生の実家の甘納豆屋へ住み込みながら昼間は売って歩いたようだ。しかし誰に聞いたのか起業を目論見、故紙販売へ進む。回収古紙や印刷・製本の端物をまとめて製紙会社へ売る商売_はやい話が紙くず屋。卒業と同時に小さな会社を作る。
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東京へ出てすぐに父は文春本社へ…池島さんへ挨拶で出向いている。昭和21年春。その後も盆暮れには一升瓶を手に挨拶を欠かさなかった。紙くず稼業を始めたのは池島さんが念頭にあっての事かもしれない。出版社は当然紙くずに事欠かない。池島さんの尽力のおかげ_文春関連会社からクズを買取りそれを販売することで興した会社の基礎固めができた、足を向けて寝られない父であった。

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