前記通り、父の生家は奥三河。当時は静岡県磐田郡佐久間町浦川(現在は浜松市天竜区佐久間町となっている)。景勝・観光は佐久間ダムと鮎釣りぐらい、山間地。
昭和35年8月の写真三枚、池島さんが浦川に来た。亀楽というのは浦川にあった旅館。この旅の経緯は不明。父が池島さんを招待したのだろうか。一緒に写る男性陣はネクタイなどして堅い体_文春社員さんで社内旅? こんな僻地はなさそうだが。女性は鞄を持つ。夫人同伴旅なのかどうか。


佐久間ダムでのショット。大学レスリング部で国体出場も経験した、終生腹まわりの太かった父は左端。ひとりおいてハンチングの池島さん。

父はこの地には入隊の15才までしかいなかったから釣りの腕はたいしたことなかっただろうが、角笠を被る池島さんの隣は僕にとって母方祖父、鮎友釣り名人であった(母親も同じ町の出)。釣った鮎を河原で塩焼きにする/釜で鮎飯を炊くのがもてなし。「河原飯」と称する。

これは蛇足の1枚。昭和28年6月27日とある。縞の浴衣で釣り竿指南を受ける?のは_昭和の大音楽家、服部良一、そのひと。
最後、池島さん手書きの弔辞_
posted by denny-0980 at 12:38|
Comment(0)
|
TrackBack(0)
|
凸凹海兵隊
|

|