2021年12月05日

studio

『get back』を観ていてもそうなんだが、録音スタジオ現場風景…途中たびたび playbackする、のは当然なんだが、その際はメンバー全員が録音ルームからぞろぞろとコンソール・ブースへ移動。ここが、どのスタジオ場面でもそうなんだがまあ狭苦しい。膝突き合わせて煙草モクモク、耳を小さなモニターに寄せる。
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プレイバックがお約束ならばなぜにモニター室を併設しない?もしくは卓室をもっと広くとっておかないのだろう。音を録音室へ戻しては部屋鳴りで普通の再生音とならないからなのだけは分かるんだが_。
想像するに、かつて録音の現場では歌手/演奏者は、歌って演奏したら帰るだけ。レコードにするのは「技術者の仕事」であり、一切ノータッチで発売を待つだけだったかと。となれば卓部屋が小さくて事足りただろう。それがスタジオというもの_であったとしても、ロック時代となって斯様にミュージシャンは頻繁に途中経過もチェックするようになったのに…。
あくまでもモニターは「一般家庭の部屋で聴く状態」に寄せる目的、ゆえの狭さだったか?


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Stones @Muscle Shoals Sound Studios


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SD、拠点だった village recorders
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Glyn

ロンドン録音/グリン・ジョンズ/アメリカン・バンド…といえばイーグルスのデビューを誰もが思うところだが、実はその前の68年デビュー盤が同様であったのが The Steve Miller Band 。
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『ゲットバック』のなかで、プロデュース/エンジニアのグリンがUS仕事が入ってるからB4セッションを早抜けせねばならぬ、それまでに録り終えたいとあせる場面がある。はて?1969年1月のグリンのUS仕事とは何だったかの疑問が湧く。
discogsなどネットをみたところ、どうやらSMBの3枚目『brave new world』かと。ハリウッドの Sound Recorders 録音とある。
興味深いのはラストチューン "my dark hour" で、これはポールがベース/ドラム/ギター/ハモリもやっているらしい。もちろんハリウッドではなくてロンドンの Oympic Studio …グリンのホームだ。一晩でミラーとふたりきりで録ったと。たぶんロスで録ったテープをグリンがオリンピックへ持ち帰ってミキシングした、それにミラーが同伴渡英していたのだろう。で、たまたまポールがいたから追加に録ってアルバム収録もしてしまったとみる。この曲、誰が聴いても分かる通りに "fly like an eagle" の元。
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SMBはsteely danに似ている。1,2枚目こそジャケに5人写り(ボズがいる)でバンド然としているがその後はボズやベン・シドランも曲作りに絡んでいながらジャケはだいたい三人、シドランは写ることがなかった。
結局スティーヴ・ミラーの「ワン・マン・ユニット」であっただろう(SDがベッカー/フェイゲンのユニットであったように)。ロン・ターナー、シドラン、ノートン・バッファローなど馴染みのメンツ幾人かがときどきに絡みながらも、やはりこの人は唯我独尊_やりたいようにやってきた、それを「バンド」名義で出し続けたということ。メジャーCapitolでの最終盤『born 2B blue』は唯一の単独名義盤。シドラン全面協力のジャジーなカヴァー集、抜群の出来。





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