2020年10月15日

ぽp578s16

朝刊記事_「元巨人松井の食を支えた神楽坂の居酒屋『もー吉』、惜しまれつつ閉店」。なかに「(店主)安部さんは常連客だった巨人の広報担当者に頼まれ、寮を出て一人暮らしを始めた松井さんに夕食の世話をすることになった」とある。はて松井の巨人時代ならば90年代、その頃の広報といえば「コーパン」…じゃないか?
+
コーパンは、統廃合された我が鶴瀬西小同級生、一緒に野球をやった仲間。とりわけ秀でた存在だった彼は、川越工高で甲子園を目指すも県大会ベスト4止まり。しかし中央大ではエースとなりノーヒットノーランも達成、大学選手権優勝投手として注目された。僕らは秋のドラフトを固唾を呑んで見守ったが、1度肩を壊していたためだろう、指名されず。しかし水面下で交渉があったことを本人から聞いた_巨人・中日・ヤクルトから誘われる。契約金最高だった中日を蹴って、巨人ファンの親父さんたっての希望でドラフト外の巨人入り。晴れて翌春プロとなった。4年間の選手生活/一軍登板8試合_1勝0敗が成績の全て。プロは厳しい。そのまま巨人に残り、スコアラーから広報へ。
最後に会ったのは82,3年頃、まだ現役だった時に鶴瀬でパッタリと出会った。すこし立ち話をしたまで。とりわけ親しい仲でもなかったが互いの家が近かった/同じく越境して川越の中学へ通ったこともあり、いつも気にしていた。やっぱりガキん時の仲間がプロ選手になるというのは特別だった…。
巨人ナイター中継はけっこう気にしていた。巨人バッター、誰にしろホームランを打った後、ベンチに戻ってどかっと座った時にその肩口には決まってコーパンの顔があったから。相手の配球やら打った球筋など「ホームラン談話」をすかさずメモしてプレスへ届けるため。ほんの一瞬でも一試合に何度か映される顔を見ては「コーパン、元気にしてるんだなあ」といつも思ったもの。最後は広報部長までなったと聞かされたのは誰からだったか_この記事では、2017年定年後も巨人に残っている様子_2年前だがこんなページがウェブにあった。

https://www.tokyo-sports.co.jp/baseball/npb/982603/
posted by denny-0980 at 11:36| Comment(0) | Assorted | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする