2020年04月01日

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けっこうマジに考え続ける回文。日本デザイン界の巨星、広告文案家だった土屋耕一先生の『軽い機敏な仔猫 何匹いるか』以来、未だ回文好き。先生倣いに完全回文を心がけている。しかしローカル・ルール的に、いろいろあるのだ。
◎濁音/半濁音/拗音/促音のあつかい
それらを普通字(並字)にしてOK or Not...。OKが多いんだが個人的には美しくない、不完全な感じで嫌う。Not を課している。
◎音引き
これもマイ・ルールでは否。
◎助詞
これが微妙でねえ。Not するべきかと悩みながら、替えてる場合あり。回文、文であるからにはどうしても助詞は多くなる。そこで「は」「わ」の替えを認めている。「元はニワトリと鰐は友」これはすんなりいけてるが、「よいな、パンはPASCO! コスパ半端ないよ」と作ったり、「内科医は 初春 初ハワイかいな」とか_。「へ」「え」もOK。
ただし「を」「お」はNot 。「木を折るビビる大木」は不成立と。

posted by denny-0980 at 17:15| Comment(0) | Assorted | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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志村けんの亡くなった病院、若松町の国際医療センターは二男が産まれたところ。そのときに市川團十郎がエレベーターから出てくるのを見た。先代というか、海老蔵の父。お連れもなくたったひとりで降りてきた。それからまもなく白血病が発表されて、結局亡くなったがお忍びで検査だったのだろうか。
posted by denny-0980 at 11:50| Comment(0) | Assorted | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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その駆け出しSD音源は最初だったのが『the early years』LPで83年 Aero Records 盤。ピアノ・ラフ音源のほうは翌年のUK castle communications 盤『sun mountain』じゃなかったか。
前者は一応ヴァンス・プロデュースのデモ録りだが、本来 Demian 音源だったはず。ロングアイランドのギタリストのデニー・ダイアズ、village voice誌に出したメンバー募集に応じたベッカー/フェイゲンが、まあ端からの才能だが仕切る形になってしまったダイアズ・バンドがデミアン。
思い出した、scott boyer / david brown / butch trucks の三人グループ the 31st of february のセカンドLPのためのセッション音源、お蔵になっていたものがオールマンズのブレイクで、そこに参加していたデュアン&グレッグ名義_さも二人の秘蔵音源のように世に出された事と同じ。
posted by denny-0980 at 11:41| Comment(0) | Assorted | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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まだ出しますか、ベッカー/フェイゲンの無名期音源を。wasabiって?日本物?
世界中でどれだけ出たことか、アナログからCDまで_ Kenny Vance が流したであろうテープもブート・コピーに次ぐコピー。それをいまさら2020年24ビット・リマスターとまで謳いますか、いい根性。いままでもピッチがオカシイのが随分あったけどそこまで気を遣ってるか?
posted by denny-0980 at 11:25| Comment(0) | Assorted | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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コロナ禍のなか最も窮地に立つのは、しかし悲鳴を上げることもままならないのが風俗では。コロナが問題になった最初期、「濃厚接触」ということばの出始めに皆が思ったのはあっち≠ナしょ。徐々にそこまででないと分かったが、やはり性的な_風俗なれば濃厚の権化だからして。いま「俺にかかりゃしないよ」と以前と同じマインドで遊ぶ豪な輩がいるだろうか。それより女性達、やむなく従事する場合もあるだろうし…差別なく補償・補助対象に、政府は/都は考えよ。そこでオリンピック。どこまでマネーゲームの固執するつもりか。一年で「世界がコロナ以前同様の平時」を取り戻せるわけがない。選手らは本当に気の毒だが四年を空けて仕切り直すべき_中止決断が政治では。不安を抱えながらずるずると時を過ごすのも愚、それ以上に維持経費増大が愚、その金=税金は全員支給へ廻すべき。
posted by denny-0980 at 08:41| Comment(0) | Assorted | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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なんてことだ、アラン・メリルがコロナ感染後に亡くなってしまったなんて。The King ofギター・リフ=A安らかな眠りを_
著名人や政治家の感染まで知られる事態となったコロナ禍_なかでアラン、なんらかの疾患を持っていたのかもしれないが…痛ましい。
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なによりジョーン・ジェットによる全米1位 "I love Rock'n'Roll" の作者/オリジネイターとして知られたアラン・メリル。で、その姓からも_ジャズシンガー、ヘレン・メリルの息子でも知られた。日本での活動、大口ヒロシとムッシュとのウォッカ・コリンズ。その前にソロ盤もあった(ナベプロ所属)。
15年5月のこと、来日していたアランのトーク・ショウが武蔵小山AGAINで行われ観に行った。そこで聞けた話:
◇日本での活動に煮詰まって、誘われてロンドンで組んだのがポップアイドルバンド Arrows 。このバンドはUKの辣腕プロデューサー Mickie Most の仕切りで彼のレーベル:RAK からのリリース。アランとしてはオリジナルをやりたかったがモウストがあてがったのは "touch too much" (名コンビ、チャップマン=チン作)。モウストがバンドと契約したのはこの曲をどうしてもやらせたかったから。理由は、最初この曲をデヴィッド・キャシディに持っていったが、キャシディは蹴った。なのでヒットさせてキャシディを見返してやりたいというリヴェンジに燃えた_アロウズは当て馬だったが、見事に全英8位となったのでバンドは活動継続。(ご褒美か?)オリジナルの "I love Rock'n'Roll" を次にリリース。
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トーク・ショウの中では語られなかったが聞きたい事があった_最後に質問コーナーがあったから手を挙げて聞いたみた。ん?その事が来たかと若干嬉しそうに話してくれた。「従姉妹であるローラ・ニーロとのことを教えて下さい」が質問。
◇実際には従姉妹でなく、アランの叔母とローラの叔父が結婚した関係。ただしメリル家(母親はもちろんヘレン・メリル)とニーロ(ニーグロ)家は同じブロンクスですぐ近所、ふたりは幼なじみで一緒にサマーキャンプへ行く仲だった。高校時代、母ヘレンは再婚相手の仕事に伴って東京へ居を移したのでアランはNYでひとり暮らしだったそう。で、毎朝まずローラのとこへ寄って彼女が作る弁当を持参し登校していた_「ただ、いつでも peanut butter sandwichだったけどね^^」と。姉のような存在であったそうな。
◇いまではアメリカ・エンタメ界の大立者デヴィッド・ゲフィン、僕らには asylum レーベルを興した_新たなアメリカンロックの盟主的存在だが、その第一歩はローラ・ニーロを見出したマネージャー。そのゲフィンとローラがもめた事があった。当時アランはナベプロと契約して東京住まい、ゲフィンと冷却のためそこへローラはやってきて数週間を過ごした_アランに日劇ウェスタン・カーニバル仕事があった時、楽屋へローラも顔を出し、ムッシュ達の前で歌を披露したらしい。ゲフィンはアサイラムの第一弾を当然彼女と予定していたが乗ってこない。それに自作 "and when I die" を歌うのもためらっていた。アランが、その曲について「若いのにそんな死んだ時の歌なんて考えらんないよ、やめとけよ〜」と言ったことも一因。ゲフィンはアランを、ローラの後ろでよからぬ話をするトラブルメーカー_アランはそう思われたんだと言う。当時ゲフィンの友人に雑誌『ローリング・ストーン』発行人ヤン・ウェナーがいた_「業界の実力者ゲフィンにすっかり嫌われたから僕の活動はアメリカの音楽ジャーナリズムではまったく無視される羽目になっちまった…」と苦笑いして話したアランだった。
posted by denny-0980 at 08:39| Comment(0) | Assorted | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする