2019年01月30日

UK TV

60年代初期からTVに出てる古株だからか、すっかりリップ慣れしてしまった我らがBB、生が売りのオールド・グレイでも…。こりゃレコ音源だわ、バンジョーが聞こえてしまいますけど〜。しかしフェイドアウトで知れる、歌だけは声出してると。でなければデニス、わざわざ片耳塞ぐこともないか。映るのはテイク3まで。
手抜きパフォーマンスではあっても70年代BB入れ込み派なんでね、映っているだけで嬉しい「低迷期」。ブライアンもジョンストンもいない時だがデニスの才能が開花した、カールの仕切り能力が上がった。それと、Flameコンビが正式参加_ブロンディ・チャプリン/リッキー・ファター。キャプテン帽≠被ったダリル・ドラゴンも。このメンツはバンド感の充実ですごくいい頃。




ついでながらこちらも同様ですな、ポコ。レコ音源バックに歌だけ。実力バンドだったのにこれはないでしょ。ポール・コットンのカントリーリックを聴きたかった。
https://youtu.be/2T_j0xiT4zc

もう一丁オールドグレイ。これは驚きの…Brian's ex-wife マリリンのアメリカンスプリングが。なんで "good time" をカット!
https://youtu.be/wT05UTBUmKQ


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2019年01月28日

tokyo Linda

79-3-3 雛祭りの武道館にリンダのライヴを観に行った。前日と2日間の武道館だったと思う。僕は2日は久保講堂マリア・マルダーへ。連チャンライヴだった。
この頃は Tokyo Live の「外タレ」音源を、FMで数ヶ月後にオン・エアしていたんだ。『ゴールデン・ライヴ・ステージ』なんて番組がメインだった記憶、ふたつ三つの番組があったような気もする。雛祭りリンダも放送されたのでカセットに録り残してある。全19曲とフル・ステージだろう、二週に渡っての放送だったか。(マリアの久保講堂も放送されてこれもカセットに録ってある)
当然ブートになってますな、これ。
Budokan, Tokyo, Japan 1979
back musicians:
Waddy / Dan Dugmore / Kenny Edwards
Russell Kunkel / Don Grolnick


ジャーマンTV/ロックパラスト76。これがリンダのベスト・ライヴではなかろうか。
ワディにゴールド、ダグモアはギターも。トリプルリード。



ユーロ・ツアーの一環ね。ロックパラストの三日前には英国TVに_オールド・グレイ・ウィッスル・テストのライヴ。



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2019年01月27日

single only

5年も前だがリンダのマッスル録音に関して書いた。
http://whink.seesaa.net/article/402093511.html
72年1月発売のソロ3枚目『linda ronstadt』で、収録の "I won't be hangin' round"、このエリック・カズ楽曲だけがマッスル録りであると。しかしわずか1曲だけでアラバマくんだりへ行くかという疑問。で、調べてみたら出てきたのは "(she's) a very lovely woman" という曲も録ったらしいこと。ある時期にマッスル・スタジオには、「71年に同曲をこの地で録音」とキャプションが入ったリンダの写真を壁に貼っていた。この曲は70年12月US発売のシングル・オンリー曲(A面)。エミット・ローズの Merry-Go-Round 時代の曲、カヴァーソングだった。オリジナルでは You're a very lovely woman がタイトル。
しかしここに来て、リンダと恋仲だったスワンプウォーターのギタリスト John Beland のウィキ_この曲のギターも担当の記述を見つけた。シングルのラベルには「strings by: Jimmie Haskell prod. by: John Boylan」とある。ギターがベランドで弦にジミー・ハスケル…これはマッスルではないのではないか。
どこかが間違い/勘違いということかもしれない。ギターはベランドでない、マッスルで録ったのは別曲だった…。正解はまず出てこない。最後は「耳」だけが頼り。聴くのみ。で、個人的には… "I won't be hangin' round" はマッスルだがこちらは違うだろう。


LP『linda ronstadt』はイーグルス結成のきっかけとして知られる。で、この映像はリンダのヴィデオのなかで唯一イーグルスがバックらしく見えるもの。しかしリンダがジョニー・キャッシュ・ショウに出たのは epsode 3_ 69-6-21放映回。イーグルスのバックとするには早すぎる。ベースはマイズナーに、特にドラムはドン・ヘンリーに見えるんだが…。



この曲をリンダは77年に『simple dreams』でドリー・パートンと歌う…。この映像を見ると確かに69年のリンダらしい。すると、上のはキャッシュがMCではあるが別の番組と思えてきた。



この2曲ではボブ・ウォフォードのストリング・ベンダー・テリーが聞き物。正直クラレンスよりもボブのほうが優れたベンダー・ギタリストではないか。




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2019年01月26日

飯店演奏

これは何? 76年にこんなアルバムは出て…ないよなぁ?
細野の音は『ホソノハウス』の後はまったく聴かなくなった。文京公会堂『last-time around』を見たときに決めた、はっぴいその後は大滝についていこうと。以来ナイアガラ一辺倒だった。その時はキャラメル・ママ、その後のティン・パン・アレイ、そしてソロでのリズム探求期?/エキゾチック路線の細野音楽は…スタイリッシュとは思いつつも自分の趣味とは違うと感じていた。
UTで当時スルーしたアルバムを聴いている。なるほどなあ、上からで申し訳ないがすべて80点。のめり込むことはないんだが演奏の上手さは分かる、そしてカッコイイとも。歌い方が鈴木慶一に似ている感じ。若干フェイク気味になるところなど_いや別にマジに歌いたいわけじゃないですがね。まあ自分で作った音なんで歌うっきゃないかなと。こんなモンでどうでしょ_東京シャイネスだね、実に。

Harry Hosono & Tin Pan Alley in Chinatown
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2019年01月25日

live Linda

出身はアリゾナだったか。まあ活躍初期はオレンジ・カウンティの歌姫≠ナ、大ブレイクしてミス・アメリカ≠ニなったリンダ・ロンスタット。西海岸ロックのアイコンにして僕にとっては best female singer だったリンダ。病によって引退を余儀なくされたことがとても寂しい。
そのリンダの_1枚もオフィシャル・リリースのなかったライヴ盤、ついに登場のニュース、だが…。こりゃないでしょ的不満だらけ盤は、80年の TV Studio Live から12曲という。オフィシャルはなかったがブート/ハーフで既にライブ音源出まくりのリンダだ。今回のライヴ音源も20曲収録ブートは出ているし、映像すらもUTにアップされている。時期も不満だ。リンダのベストは70年代。それとギター。ここではクーチ。もちろん素晴らしいプレイヤーだが、ことリンダに関してはミス・マッチだった。リンダのバックといえばまずワディだが、アンドリュー・ゴールド、バーニー・レドン、ボブ・ウォフォード、ダン・ダグモア…他のセッションメンも良かった。ライヴを出すならば70年代物でCD3枚組程度のヴォリュームが欲しい、音源とて残っているだろうに…。リンダはそれだけのパフォーマーだったはず。



72,3年のリンダ。これは誰がバックは分からないな。



同じくTV_Midnight Special だが別回で、スティーリー・ダン当時のスカンクも参加という珍しい映像。コーラスはブラックベリーズからふたりでしょう。ベースはケニー・エドワーズでドラムはマイケル・ボッツか。弾きまくるのはゴールド。



70年、ソロになったばかり。リップのようだが違う。前録りのギターはカントリーリックの嵐! 当時の彼氏ジョン・ベランドだろう。


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2019年01月24日

東京2

で、下続きの4話。東京から失われたものの本質は情緒だと気づき…′テい邦画の舞台だった洲崎界隈を探索したそうな。しかしすっかり変わっていたと嘆く。が、…活気のある商店街が下町や城東地区には残っている。砂町や大山などだ≠ニ書き、大山商店街の写真掲載。僕も同様だが、昭和を知る世代は東京の昨今の無味乾燥ビル群、スクラップ&ビルドにすっかり閉口する。単なるノスタルジアなのかどうか…。ユニクロとファストフード店/有名ブランド店舗が並ぶだけ、バカの一つ覚えには、いったい街をどうする気なんだと憤りすら感じるが。
それにしても細野から大山と出てきたのには驚く。ハッピーロード大山を実際に歩いたことがあるのか。城北/城東が似合わない氏であるが…(戸越や武蔵小山あたりなら分かるけれど)。
僕は、まだハッピーロードでなく大山銀座商店街だった頃、そこから3分ばかり行った川越街道に面した病院の生まれで、10年板橋に暮らした。大山生まれの池袋育ちのつもり。大山は、売れない頃のサンドイッチマンふたりが住んだことぐらいしか話題はないがそれでも商店街はそれなりに維持され活気もあるようだ。対し、30代で数年住んだ台東区、旧町名「竹町」あたり。そこに佐竹商店街がある。いいおでん屋があったんだ、当時よく飲みに行った。久しぶりに行ったら店は無くなり全体にすっかり活気が無くなっていて寂しいかぎり。30年前には商店街に隣接して三味線堀マートというマーケットがあった。江戸のころには実際にその名の堀で水が来ていたんだろうな、池波正太郎の文章に出てきそうな、まさに情緒ある名だがとうの昔にマンションになってしまった。おかず横丁はさて、どうなっているだろうか。
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2019年01月23日

東京

東京新聞『私の東京物語』。著名人による10話完結エッセイで、自身と「東京」との関わりを綴る。1話が500字程度だからたいしたことは書けないがそれでも毎回目を通している。現在が細野晴臣。普段と違い「全5話」とある。驚く短さ…何の義理で書くことに? 今日が3話。
昨日は青山話で、区立青山中学に通ったという。青山から麻布あたりの松本隆だっけ? はっぴいえんどは、大都会風街育ちの細野/松本と、牧歌田舎育ちの大滝/鈴木…いや、鈴木茂はどこの出身ですかねえ。
はっぴいといえば、野地義行はメンバーとされることはないのだろうか。5人で映る写真も知られるのに。あくまでもトラなのかな。僕が野音で見たときのベースは野地だったが。細野はハモンドを。
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2019年01月19日

ジャケ二枚

ivory_joe.jpg

ダイスが並ぶだけだが非常に強くイイと思う、このデザイン。じつに60年代らしさが出ている。ただ台に並べて上から撮っただけ、いまだってやれるけれどこのニュアンスはなんというか…出ないと思うし、誰もやらないと思う。時代の産物的名ジャケット。


jim_kweskin.jpg

USロック・ファンには名盤で知られる一枚だが、このジャケは?_いまさらに見返せば…。
物故者含めて有名人の「顔」を並べたジャケといえば『サージェント・ペパーズ』をまず思い出す。肖像権、すべてをしっかりクリアに…当然してますわなぁ。お次、ストーンズ『女たち』。こちらは無許可で勝手に作ったよな、何人かの女優(の権利者)からクレームがついて…どうなったっけ。若干差し替えとなったような記憶。で、このクウェスキン盤は? まあリンカーンはよしとしてもJFKは微妙なところ。モンロー/ディーン/シナトラ/リズはまずいんじゃないの。売れるレコじゃないからとお目こぼしなのか。ホッとしつつ情けなくも…?
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rag doll band

むっしゅシングル.jpg

ムッシュのシングル。ロッド・スチュワートが好きだったよなあ…スタンド・マイクのアクションもロッドを真似ていた。で、このジャケの人形もフェイセス『馬の耳に念仏』の裏ジャケを…パクリとは言いますまい、これはやっぱりリスペクトだ。キツツキヘアーなんて言葉もあったっけ、ロッドの頭。これも真似ていたムッシュ。ドールは、出来は落ちるがそこはシャレであり心意気であり…。レーベルもロッド最初期のVertigoで、同じ。
大元フェイセス、裏ジャケのバンド仕様ドール・ステージはほんとよく出来ている。機材をここまで作り込んだことが凄い_ハモンドもドラムもマイクもAmpegアンプも…。

フェイセス馬の耳.jpg

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2019年01月17日

一寸

オリジナル・ムーンライダーズを一度だけ観た/聴いたのは73年9月21日の文京公会堂。唯一の音源収録LP『素晴らしき船出』の当日。高校1年の夏休み明けは平日で、テレコ持参しひとりで行った。
ライダースのステージでは、当時知るメンバーが松本隆のみだったから最初は松本を注視していたが、それよりもフロントの山本浩美が、長身で黒ずくめ/渋いヴォーカルといい、実にスタイリッシュでカッコよかったから釘付けになったのを思い出す。
この日、ソニー・テレコで2本テープを録ったのに1本は紛失。残った音は:

1_日射病
2_無頼横町
3_おはよう眠り猫君 (ココナツバンク)
4_冷たい女(布谷文夫)
5_うららか〜空とぶくじら〜サイダー
6_ココナツホリデイ (大滝詠一)
7_baby come back (ムーンライダーズ)
8_キャラメルラグ〜アヤのテーマ
9_さよなら通り三番地
10_僕は一寸 (キャラメルママ)

LP収録のなかった3、4などはレアな音と思っていたら、いまネチるに大滝がナイアガラで出したCD『dawn in niagara』なるものに収録?
過去音源蔵出しは出まくり現状で、とても把握できてないからさっぱり分からない。キャラメルママはどうだろう。「僕は一寸」はホソノハウスとはまったく異なるアップテンポ/ファンク・アレンジでかなり面白い(僕はちょっと≠ニいう歌詞が出てこない…)、十数年ぶりにテープ…データ化済みだが、聴いてみた。

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2019年01月16日

利益率

日本アカデミー賞ノミネートの発表。『万引き家族』『カメラを止めるな!』、2作品が順当に多数ノミネート。その2作含め僕が昨年観たなかでは『散り椿』も6部門にノミネート。さほど権威あるとも思えない「賞」だが何か取れればヨシかも_まあ撮影賞はあげないと怒るよきっと。しかし『焼肉ドラゴン』はナッシング。映画自体が無かったかのよう? 一年に封切られる映画数、半端ない数の何割がこれのように「完全スルー」になるのか。一本でも映画制作となれば相当な資金が動くのにノーヒット…三振映画は相当数ではないのか。『散り椿』も興行収益はかなり予想を下回ったように思うんだが…。
興行では当たらずともDVDで儲ける_若者向け恋愛物/TV連動/アニメなどは端から二次収益を見越しているのかな。

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CDが売れない時代にブーム≠ネのがアナログ。シングルでもLPでもない、コレクター心をくすぐる10インチ盤の仕事が来た。使うレーベルが Stateside 。と言ってナツカシイネェ〜と答えるのは僕同様の還暦オヤジのみ。70年前後、US西海岸の Dunhill/ABCレコード盤の日本発売は東芝音工だったが、そのレーベルはダンヒルでもABCでもなかった。想像だが版権購入がヨーロッパ経由だったのだろう、なのでダンヒル所属のスリー・ドッグ・ナイトやグラスルーツ、ステッペンウルフなどの盤は Stateside で、ABCのスティーリー・ダンなどは Probe というレーベルが使われていた。東芝が使ったステートサイドのロゴは、Sが$マークになったヨーロッパでのロゴとは違っていたが。今回使うのは本家EUロゴ、わがビーチボーイズ/デニス・ウィルソンが先頃亡くなったダリル・ドラゴン(Rumbo)と組んで出したこのフランス盤シングルと同じやつ_。

rumbo.png
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2019年01月14日

小寒町

心に染み入る個人的な大名曲は、寒くなると聴きたくなる、聴かずにいられない。なにしろタイトル「大寒町」なのだから。初めて聴いてから何年経つか、命脈を保つというか、つくづく強い楽曲。
+
ステレオの前に鎮座し耳を傾けたアナログ時代からCDへ、そしてデータへ…リスニング環境変化で一曲一曲の扱いがぞんざいになってしまった。特にPCのHDに収めている音源ファイルは手に持てるブツ≠ナないだけに/数も増える…整理の面倒さもあって残してもなかなか聴かない。
 しかし前機種マックのHDの音楽フォルダをひさしぶりに開いてみたら、片隅に「大寒町」発見。あがた森魚のテイクでない、ムーンライダース・テイク。慶一のいないオリジナル・ムーンライダース。はて?これは…人からの貰い物か、UTから拾い物か? 和物ライヴ音源フォルダにあったもので、そこにはライダースは2曲_ファイル名(1)「’73ムーンライダース-プロペラ〜メンバー紹介」/(2)「’73ムーンライダース-大寒町」。73年か、そりゃそうだな、オリジナル・ライダースは73年しか存在しなかっただろうから。このバンドのオフィシャル音源はわずか2曲_'73-9-21文京公会堂「last time around」のライヴ盤収録「月夜のドライブ」「ベイビー・カムバック」のみ。結成は前年かもしれないが、ライヴはこの文京公会堂前後の数回だけだろう。で、(1)(2)だが、そのライヴ盤とは別、まばらな拍手から都内ライヴハウス・ギグの様子。
 (1)は「ベイビー・カムバック」と同曲。タイトルプロペラ≠ナあるはずの曲がなぜにLP収録では「ベイビー〜」にされたか。2曲のライヴハウス音源は、文京公会堂より前と想像する。メンバー紹介では、山本浩美/矢野誠/松本隆/鈴木博文/鈴木順にトラのパーカションで6人。
+
「大寒町」、オリジナル(ファースト)テイクはあがた森魚74年盤『噫無情』。鈴木慶一は弟博文が十代のときに書いたこの曲を最初に聞いただろうから、はちみつぱいとして先に録りたかったのでは_しかし「ぱい」テイクで古いのはライヴ_88年盤『セカンドアルバム』収録で、それは74-9-18の日仏会館。さすれば最も古いこの曲は(2)でありそう。博文自身が歌うテイク。これ、鈴木順のギターが良い、かなり好きなテイク。が、カヴァー/リレコ等々幾多のテイクを聴いたが個人的なベストは…やはりあがたのLPテイクとなる。
 悲しいかな手元の『噫無情』は79年のリイシュー盤。いかにも廉価盤は、オリジナルのライナーノーツ無しで拘りの羽良多平吉グラフィックも味わえない。収録の「大寒町」は記憶だが矢野誠アレンジだったろう。シンプルだが丁寧なアレンジはあがたの声との相性も素晴らしい。特に好きなのは、リードパートなどまったく無く、これまたシンプルの極みなギター…それでもいい。本多信介?

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2019年01月11日

たいとる

雑誌『MdN』休刊のニュース、残念。一般にはさほど馴染みが無いか。マッキントッシュ・デザイナーズ・ネットワーク≠ニいう通りにデザイナー御用達本で、マック使いにはかなり重宝された雑誌。僕は「イラストレーターズ・ファイル」頁に載せてもらったり、連載コラムのイラストを三年ばかり描かせてもらった。麹町の編集部へ何度か足を運んだ。30年続いた雑誌、途中で別会社化したが元々インプレスという出版グループ内で、系列にはリットーミュージックも。『Guitar Magazine』始めとする楽器書籍は傘下でどの雑誌もデザインがすばらしい。インプレスのエッヂの立ったデザイン統一を牽引したのが『MdN』だっただけに惜しい。Web移行し存続ではあるというが…。
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2019年01月09日

captain/dennis/kathy

ブライアンが淋しげにツイートしてますな、ダリル・ドラゴン死去。
父カーメン・ドラゴンという人が作曲家/指揮者として全米に知られた著名人/ハリウッドの名士…なんでしょ(僕は知らなかった)。その5人兄弟の長男、ハリウッドで銀のスプーン咥えて生まれてきたか。本人もキャプテン&テニールfame 。ダリルというよりキャプテンと呼ばれた人。キャプテンのニックネームはマイク・ラヴが付けたのはよく知られたこと。テニールとの出会いもBBの裏方としてで、結婚まではツアー・メンバーだったダリル。
今ネチるに67年からバックを…とあるが、僕のなかでのBBとの最初は70年盤『サンフラワー』から。クレジットに名があったから。そして、ダリルとBBの関係は誰よりデニスと深かったと思う。「サンフラワー」はデニスが一番輝いた頃で、そのセッションのアウトテイクだった "lady (fall in love)" "sound of free" を(欧州のみだが)シングルとした際に Dennis Wilson & Rumbo 名義で。ランボーとはダリルのこと。ダリルはキャプテンでありランボーでもあった。キャプテン帽を常に被っていたから「キャプテン」だったが、実際にヨット程度はあった家庭だったのではないか。デニスはBBのなかで唯一の "beach boy" でありヨット大好き男だったからダリルとは気が合ったんじゃないかと想像している。
テニールと結婚、夫婦デュオとして一躍ブレイクしたが、BBとの関係は途切れることなく、『偉大なる15年』にも名前があり、『KTSA』の録音の一部は Rumbo Recorders _ダリルのスタジオだった。ダリルが建てた夢の城は、これが欲しかったために夫婦デュオで頑張ったのではないかと思えた。ロスでも有数のヒット・スタジオとなったそれだが、10数年前か、売却のニュースが。そしてテニールとの離婚が続く。それでも悠々自適な生活を送っていたかもしれないが、ニュースからではなにやら淋しげな印象を勝手に抱いていたんだが…。

 『surf's up』収録の名曲 "disney girls" 、ドラムがデニス・ドラゴン/フルートがキャシー・ドラゴン。ふたりはダリルの弟と妹。デニスはダリル以上にBBと深く、70年代にBBが所有したスタジオ Brother Studio のハウス・エンジニアだった。ミュージシャンとしても Surf Punks での活躍、BB盤でも演奏。そしてキャシーはリック・ヘンの妻であった。60年代半ば、ブライアンから絶縁された(?)父、マリーが意趣返しにデビューさせたザ・サンレイズのリーダーだったリック・ヘン。とはいえ、ヘン自身はBBとの関係はずっと良好だったらしい。『サンフラワー』セッションのアウトテイクはデニス曲だけでなく、"soulful old man sunshine" という抜群な曲もあった_これがブライアンとヘンの共作だった。世に出たのは30年後のCDで。BBファンには知られた名曲がほかにもある、ヘンのソロ・シングルで "girl on the beach" (BBは girls )。
https://youtu.be/DMxdXCL_hqQ
この73年シングル、キャシーへのプロポーズ曲だったそうな。ふたりは長く仲睦まじく、マリブーで暮らしているとネットで見たことがあった。しかし今調べると、デニス・ドラゴンは2017年に、キャシーは2012年にすでに亡くなっていた。
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SMB_moscoso

下の、"post card" の最後に書いたやつは、60sサイケ・エラから。もともとポスター大で使用書体だからこの小ささでは読まれてしまう、ましてケータイではすぐに読めるはず。ポスター・サイズではかなり可読性の悪い、当時のはもっともっと読みにくいものだが。family dogを中心としたサイケ・ポスターはシスコ中心のボールルーム/ヴェニュー・ギグ告知、ある意味ヒップな仲間に向けた、もっと言えばブッ飛んだ奴だけが読めればOKということだったんでしょうな_よ〜知らんけど。

s15-donovan.jpg

この書体というか文字綴りというかタイプフェイスというか、サイケ・デザイン四天王のひとりヴィクター・モスコソの得意文字を真似た(四天王とは、リック・グリッフィン/マウス&ケリー/ウェス・ウィルソンにモスコソ)。「見えるところにあらず、見えぬところにあり」てなところか。陰陽 yin - yang かも。中国/東洋思想の影響も感じさせるサイケデリア。

steveMiller1st.jpg

68年盤、スティーヴ・ミラーのデビュー、バンドでのファーストが『未来の子供達』。このデザインがモスコソで gatefold 表にも裏にもタイトル "children of the future" がモソコソ・フォントで入っている。相当に可読性低し。
ヨーロッパを放浪しスウェーデンでLP1枚出したボズ・スキャッグズが帰国して参加したこのバンド。スウェーデン盤は数に入らないのでボズにとってもデビューと言っていい盤には、"baby's calling me home" というオリジナルも収録。
https://youtu.be/oPmcnvAcbNA
これは三枚組『フィルモア最后の日』収録で、ボズのソロ・アクトでのテイク。SMB盤でもボズ自身で歌っている。この長尺ライヴもいいし、ベン・シドランがハープシコードを弾くSMBテイクもいい。ヒッピー・カルチャー最後期なれど、すでに後の_ブレイク後のボズを思わせるお洒落なコード進行。
それと、SMB盤『未来の子供達』は録音がロンドン/オリンピック、プロデュース&エンジニアがグリン・ジョンズ。オリンピックでグリンとくればイーグルスのデビュー盤が有名だが、こちらが本家。グリンの、西海岸バンドのプロデュースのいの一番はこの盤かもしれない。

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2019年01月05日

昔音源

https://youtu.be/7bKC5txKero
この投稿氏、僕とおなじく70年代に「録りマニア」だったのだろう、ばんばんとレア音源を上げている。この74年野音でのスモーキー・メディスンなど…オフィシャル音を残さなかったバンドだけによりレアなはず。("joy to the world" も欲しかった)

+++

ユーミンの…荒井姓でのラストライヴだったか、76年暮れのNHKホール。大晦日にTV放映があって、その音は僕も残している。が、それは11曲だった。それのフル音源が以下だろう。これはどこから?ラジオではフルで? 
 それにしても思う_ユーミンの歌には鈴木茂の繊細なタッチがハマった。ここではティンパン・バックだからベスト。(ユーミンの、アルバムはキャラメル〜ティンパンであった初期、しかしライヴを回るにはスタジオが忙しすぎて無理で、ダディ・オー〜コズミック・ララバイがバック) 鈴木からギターが松原正樹になるがこの人がどうにも苦手で、ユーミンへの関心もそこから失せていった。

荒井由実 14番目の月リサイタル Part1
https://youtu.be/ox377DiN8V0
荒井由実 14番目の月リサイタル Part2
https://youtu.be/AyD0kJx7PXE

++++

https://youtu.be/fp9Z7ciQpDA
いやいや、この人のギターもこんなに良かったのか_大野久雄。ネットによれば、ユーミンはツアーバックバンドだったダディ・オーとコズミック・ララバイのことを一切語らないらしいが、この番組のなかでは随分和気藹々ではないですか。今ちゃん司会だったTV『Nok Nok』でのイチ話は八王子の荒井邸。家のなかでバンドをセットして音を出せてしまうとは、さすがに老舗呉服店のお嬢ですな。
 で、このバックはララバイのほう。ベースの石山恵三、ここでも言われているが拓郎バックもやっていた「猫」で知られるが、古くはリガニーズだかアマリーズじゃなかったか。それで高中正義とエスケープもやっていた人と記憶。してギターが大野氏だが、ダディ・オーから続けての参加。非常に好みのプレイだな。オブリが上手くてセンスいい。僕はムーンライダース初期の椎名和夫が大好き(僕にとってのライダースは椎名時代のみ)だったが、二人はかなり近いギタリストと感じる。調べると大野久雄の名前、Dew やフライと出てきた。布谷文夫がブルクリ脱退して作ったバンド Dew のギタリストであった/洪栄龍率いた乱魔堂が解散しての分派バンドだったフライのギターでもあったという。大滝の先輩で「ナイアガラ音頭」の布谷、はっぴいと同じ風都市バンドだった乱魔堂、そしてバンド・ネーミング魔だった細野が Dew もダディ・オーも名付けたらしい。大野は、はっぴい関連からユーミンへと繋がる場所に関わっていたギタリストであった様子。アルバム『コバルト・アワー』表記に
Daddy Oh appears on "Rouge no Dengon" and "Nani mo Kikanaide"
とある。ティンパンでリレコすることなく、シングルAB面をそのまま収録したのだろう。ヒット・シングル「ルージュの伝言」のバックはダディ・オー。ギターは鈴木ではなく大野久雄であったことまで気付いた者は多くないかもしれない。
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ダイク・リースク




サンプラザへ行ったワ。ヴァン・ダイクは、この次ぎだっけ?_六本木のスウィートベイジルでも観た。そのときはベースがリースク、目の前2mぐらいのところで弾いていてヒゲがベース弦にかかりながらやっていたっけ。
サンプラザで、ライヴ終わると隣で観ていた米国人が話しかけてきた。「ヴァン・ダイクって米国ではこんな大きなホールでやれる人じゃない、そんな知名度がないんだけど、なんで日本じゃこんなに人が集まるの? あたしゃビックリよ…」
僕は答えた、「たしかに日本ではコアな人気者だけど、今日ここに日本中からすべてのファンがひと目みたくて集合したから…」と。


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2019年01月04日

記事タイトル

ダミ声のハゲ親父…自らを三文役者と称した名脇役、殿山泰司も没してすでに30年か、話が通じなくなってるのも無理ないわなァ。ジャズとミステリィをこよなく愛した趣味人でもあり、その文章が_とにかく面白く書けたエッセイストでもあった。頁をめくる指がもどかしいほどに面白い小説をクイクイ本≠ニ呼んでいた殿山、本人の本こそまさにクイクイ本でありましたワ。ひとりツッコミ文体は、軽薄文体ともいえるが、がらっぱち/べらんめぇ口調ともどもけしてオフザケではないんだな_銀座生まれの東京人の「照れ」以外の何物でもありゃ〜せんよ。そのエッセイ本、かなり読んだが手元には一冊もなし。が、先日本屋にてちくま文庫『殿山泰司ベスト・エッセイ』を発見、買う。即読了。編者がいての、そのコンピゆえに、ボクの記憶のなかの爆笑頁は少ないカンジだったがまあいいか。久しぶりのタイチャン節じゃけんね、ウヒヒ。
 著作表題でしばしばあなあきぃ≠使った殿山、軍国主義/軍隊に翻弄されたことが恨み骨髄ゆえだろう。「お上」への不信感は深い。最下級兵として軍馬の世話に当たるが上官は言う_「ウマは安くないが、貴様らは赤紙一枚で召集可能、いくらでも替わりが利く」と。暴力/リンチの嵐に人間性が崩壊寸前まで追い込まれた様子。「それにしても日本の軍隊てのは、もっと親切にやさしく新兵を教育できなかったのかね。そこから「怨」が生まれ、いざ戦闘時にウシロから上官を撃つ兵も生まれたのだ」という文章もある。人を馬以下で物としか考えなかった報いとはいえ、戦地での最大の敵は背後の部下とは、この最低の/戦闘の意思統一が成されていない軍隊は、相手軍勢の前に既に負けていたか。
 思うが、明治期にサッチョーなんて田舎モンが国の仕切りにまわったところからおかしくなったなこの国。田舎モンは戦争好きだから、意味なくマチズム/男尊女卑がベースだから。自民党という田舎モン集団は、だからこそその明治が大好きなんだよな。気を付けないとまた戦争おっぱじめるよ。幕藩体制の終了は必至だったとしても、シティボーイ慶喜がTOKYO仕切りをしていれば、いまごろ国会議員の半数が女性だったかも。いまの米のヤバさも、マッチョな交戦主義田舎モンの多数支持がトランプに集中しているという悪夢ですわな。

関連本_『三文役者の死』新藤兼人著(岩波・同時代ライブラリー)も読みたくなりアマ/マケプで10円買い(送料300円)。
posted by denny-0980 at 19:24| Comment(0) | Assorted | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

心機一転

昨年だが、TV番組『凄かったプロ野球選手ベスト20だか30だが…』をやっていたが。
「今後も絶対に出ませんよ! 凄い記録ですねぇ」と皆して持ち上げていたのは、鉄腕稲尾の年間42勝。しかしその記録達成は他の先発投手で始まった試合。同点で進んだ八回からやおら稲尾の登板で勝利を掴む。そりゃ今ならそんなワガママきかないでしょ、その意味では越えられない。(その42勝、スタルヒンに並ぶタイ記録。うがってみれば外人の記録は日本人が破れ!≠フ意識が監督始め全体の総意だったのでは_ある種の排他的ニュアンスすら感じる)
結局「記録は作れるもの」、なのにいまも記録を後生大事にする日本プロ野球の姿勢に呆れる。金田の400も同じ事。監督よりも偉かったらしく、勝ち試合途中で「よっしゃ、ワシが投げるでぇ」とマウンドに登ったそうな。それでなけりゃそんな数字に届きませんて。スポーツは「記憶」こそすべて、ああ「数字/記録」偏重のバカらしきことよ。
金本の手首骨折をおしての片手ヒット=Aこれも何なのいったい? 全イニング連続試合出場記録のためという。監督はなぜ言わなかったのか_「それは君個人の記録だろう。君にとっては連続試合かもしれないが、今日初めて甲子園へ観に来たファンには初めての金本、その1試合目ではないか。その人に最善のコンディションの金本を見せることが君の使命だろう。片手が使えない選手をお金を払ってまで観たいと思うだろうか。ベンチにいなさい」と。
posted by denny-0980 at 07:47| Comment(0) | Assorted | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする