2017年06月24日

Alabama deep soul

(以下文中「マッスル・サウンド」「Muscle Sound」は録音スタジオ Muscle Shoals Sound Studios のこと)

現在進行中の仕事の資料としてワーナーさんからの頂いた2枚組CDは2013年のブラック物_『Soul Deep : deluxe edition』。ソウル界の雄=アトランティック・レーベルの、タイトル通りのディープなシングル・コンピレーション盤。そのディスク1/全24曲がほぼマッスルショールズ関連盤で占められていた。
10年以上マッスルショールズ盤を digってきたが、「ロックな<}ッスル追いかけ」をメインにしている。フェイム録音、とくにコアなブラック音源は手をつけずにスルーしてきた。
このCDには70年前後の、たぶん全てがシングル音源なのでいままで当方は追わなかった実にコアなところだが、よくよくみれば興味深い箇所もアリ_資料的な意味ですこし記したい。

67〜73年のシングル。FAME 録音がメインで Quinvy, Muscle Shoals Sound Studios 録音が数曲。ここで興味深いのはギターのこと。フェイムでのメイン・ギタリストは Albert "Junior" Lowe 。ロウは、スプーナー/ドニー・フリッツ/ホーキンスと共にダン・ペンのバンド、Dan Penn & the Pallbearers の一員であった人。マッスル四人衆の独立時について行ってもおかしくなかったか…いや、ここがポイント。ギターはジミー・ジョンソン一人で十分だった。CDを聴くにこの時期、まずリード・パートが無い。ギターもサックスも、ハモンドがぶぁ〜と吹き上がることもなし。器楽間奏という概念がほぼ無なかった? なのでロウもジョンソンもコード単音弾きを主にこなしてきた古いタイプのギタリストと見る。中で、2曲のみ名前があるのがデュアン・オールマン、堂々とソロを弾く(スライドと)。南部マッスルでの際だったリード・ギターの弾き始めがデュアンだったように思えてきた。デュアンがマッスル界隈でセッション・ワークしていた時期は1年となかったのにいまだに「マッスル・セッションマン時代の名演」が語られるのは、単にその後の活躍からだけではなく、リード・プレイの先駆者だったからかも。時代はサイケデリアからニュー・ロックの時代だから変化は当たり前と言えば当たり前であったが、南部はスクエアな土地柄ゆえに遅れていただけだろうが…。新たな時代の一石を投じたデュアンか。
デュアンがアワーグラスとして最後の、起死回生セッションをフェイムで録ったのが68年秋。そこでバリバリにブルースを弾きまくったが、それを見たリック・ホールがスカウトしてセッション仕事開始だろう。その音源はボツになりバンドは解散だったのだから。そのアワーグラスの「ベーシスト」として参加していた我らがピート・カー。ピートがマッスルに戻るのは71年のこと。解散後、アワーグラスの同士=ポール・ホーンズビィ&ジョニー・サンドリンと行動を共にする、メイコン・リズム・セクションとして。四人衆はリック・ホールから独立してマッスル・サウンドを開始するが、不足のリード・ギタリストにはデュアンとエディ・ヒントンを起用。デュアンがオールマンズ活動へ本腰を入れだしたからだろう、メイコンからのピート・カーが席を替わる。

CD収録で要チェックな曲は以下:(スタジオ/録音月)
01 : Don Covay & The Goodtimers / I stole some love (Fame, Sep. 68)
13 : Mighty Sam / I've got enough heartache (Muscle Sound, Nov. 69)
14 : J. P. Robinson / Don't take my sunshine (Muscle Sound, Mar. 71)
18 : The Lovelles / Pretending Dear (Fame, Dec. 68)
22 : Lorraine Johnson / If you want me to be more of a woman,
  you've got to be more of a man (Sound of Birmingham Feb. 73)
23 : Peggy Scott / One night is all I need (Muscle Sound, Aug. 70)
24 : Peggy Scott & Jo Jo Benson / I can't say no to you (Sound of Birmingham, Aug. 71)

まずデュアン物。01と18でリードギターを。バックは四人衆ではない。ライナーではバックを「フェイム・ギャング」としていて、それは元々インペリアル・セヴンという4人バンドがナッシュヴィルからマッスルへ来てフェイムの専属バンドになったという(四人衆はフェイム・ギャングとは別扱いしているが…)。リズム隊は Jesse Boyce : bass & Freeman Brown : drums 。
13マイティ・サムというシンガー盤、69年だからマッスル・サウンドとしては最初期録音。リードはヒントン。23ペギー・スコット盤も同様。14盤は71年ということでリードがピート・カーに。ピートとしては彼の地での最初に近い録音か。
そのピートが、マッスル・サウンド以外での参加がバーミンガムのスタジオでの22と24のシングル盤。

デュアンが「らしい」ギターを弾いている以外はいまひと良さが分からない当方。が、23は特筆に値す。リズム隊=フッド/ホーキンスが良い、とくにホーキンスのドラムが「ロック的に」素晴らしい。あらためて思うのだ_当方のマッスル追求は、ピートのリード・プレイとホーキンスのドラムが目当てであったんだな、と。マッスル四人衆の独立は、マッスルの地で「ロックンロール・スタジオ」を作ることであったことを再認識。実際にその通りに…名だたるロック・ジャイアンツがこぞって、FAMEではなく<}ッスル・サウンド詣でを繰り返すことになる。



posted by denny-0980 at 12:15| Comment(0) | TrackBack(0) | Muscle Shoals | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月11日

マッスル・シングル_参考盤


ちょいとトホホなCD2枚、アマ・マケプでUS業者から買い。バリー・ゴールドバーグ盤とヤングブラッズ盤。

バリー・ゴールドバーグ。目立たないキーボーディスト、渋い裏方。アル・クーパーがらみで『super session』、ブルームフィールドと組んでエレクトリック・フラッグ…それとて大きな話題でなく。しかし当方的にはマッスル録音のソロ盤があり、それ以上に重要なのはジェリー・ゴフィンと共作した二大名曲_ "It's not the spotlight" "I've got to use my imagination" 、作者であったこと。

ネットを見ていてバリーのあるソロ盤の参加クレジットに驚かされた。ギターが5人_マイケル・ブルームフィールド/デュアン・オールマン/ハーヴィ・マンデル/ダニー・ウィッテン/エディ・ヒントン。個人的にはビッグネーム、これだけ集合ってマジ? それが71年盤『blasts from my past』。それの、ほぼ倍のボリュームになった extended version CD が出ていた。これは見過ごす手はない、勇んで購入した次第。


barry_CD.jpg


2週間待って届いたら、CD-R/ジャケはカラーコピー、音は盤からダイレクトでノイズあり最悪…。半泣きで聴いたらかなりごちゃごちゃした音像、しかし光る曲がなくもない…ギリで許すかという感じ。
ごちゃごちゃの背景を知りたくてdiscogsやらいろいろネチってみたら_。
英語分からぬ悲しさ、まずタイトルが「過去作からのしょぼいモノ」だった。71年時点で、新作ではなくて過去リリース盤からのコンパイル盤。「ベスト・オブ〜」と銘打てる位置でないことを重々承知してのタイトルだったんだろう。
66年『barry goldberg blues band / blowing my mind』
68年『barry goldberg reunion / there's no hole in my soul』
69年『barry goldberg / two jews blues』
から寄せ集めた11曲。CDはそれにレア・シングルや出所不明曲含めての10曲プラスの21曲盤。

74年のソロ『barry goldberg』はボブ・ディラン/ジェリー・ウェクスラーがプロデュースした、マッスル録音でも秀逸な1枚で知られる。しかしその前からこの人はマッスルへ「来ていた」。69年盤は、半分がロスで半分はマッスルのクィンビー・スタジオ録音だった。ゆえに、デュアン・オールマンやらエディ・ヒントンらマッスル勢の名があったのだ。68年盤に1曲のみダニー・ウィッテン曲が。そこでのワウワウ利かせたギターがウィッテン…ということかもしれない。

ハーヴィ・マンデルはすべての盤で弾いている。バリーとは同時期デビューの盟友、「シカゴ・ブルーズ・サーキット」で同じ釜の飯を食った仲か。シカゴにチャーリー・マッセルホワイトというハーピストがいて、どうやらこの人が「60年代なかばのジョン・メイオール」のような存在であった様子。マッセルホワイトのバックにマンデル/バリーが加わり、おのおののソロ作では交互に参加しあっている。
シカゴのその「サーキット」にはブルームフィールド、エルヴィン・ビショップ、スティーヴ・ミラー、ボズ・スキャッグズらもいたのでは。
で、CD収録で一番古いレア曲は65年の "the mother song" _これは The Goldberg - Miller Blues Band 名義で出した唯一シングルだった。スティーヴ・ミラーとの双頭バンドがゴールドバーグのプロデビューだろう。
バリー盤のほぼすべてでドラムを叩くのは "Fast" Eddie Hoh 。イリノイの生まれとあるからこの人もシカゴ・サーキットにいたのだろう。ホー、『super session』のドラマーであり西海岸へ移って?_Modern Folk Quartet へ。チップ・ダグラスとの絡みからだろう、モンキーズ・セッションでもかなり叩いていた。
CDでのブルームフィールドがギターを弾く曲はすべて『super session』まま。その続きを聴かされているかのよう。長尺のブルース・セッションでハモンド/ギター/ドラムが同じメンツだから…。

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74年にマッスル録音ソロ、その前73年のやはりマッスル録音による傑作は『Gerry Goffin / it ain't exactly entertainment』。作詞家ゴフィンが組んだ作曲者がゴールドバーグ、2枚組LPで(1曲を除いて)全曲の共作者となっている。プロデューサーのひとりでもあった。
69年に既にマッスルで録音をしていたゴールドバーグだが、72年に出した1枚のシングルもまたマッスル録音であったとは_。
Barry Goldberg featuring Clydie King
"mockingbird / jackson highway" Reprise REP-1120

ブラックベリーズとしても知られるセッション・シンガーとのシングル。A面は後にジェイムス・テイラー/カーリー・サイモンが結婚時に仲睦まじくデュエットしてヒットさせた曲でもあった。こちらはUTにあるが聴きたいB面がないのが残念。「ジャクソン・ハイウェイ」とはずばりでマッスルを歌った曲。ネットでレーベルフォトを見ると両面とも Recorded at Muscle Shoals Sound, Muscle Shoals, Ala. Produced by Russ Titelman & Gerry Goffin とある。で、上記ゴフィンのマッスルLPには "The last cha cha on jackson highway" という曲があり、作者クレジットは Goffin - Goldberg - Titelman 。アルバムの1年前のシングル "jackson highway" とこれは同じ曲だろうか、否か。

barry_jacksonHwy.jpg 


++++

蛇足だが:ハーヴィ・マンデルは回復〜元気になっただろうか。ガンで闘病…経済的に苦しいとのことで雄志がエイド・サイトを立ち上げていた。ストーンズ盤でも弾いた名ギタリスト。欧米では医療費が半端なく高額らしく、知られたミュージシャンでも病魔に冒され苦境にいるとよく耳にする。当方、ハーヴィは大の贔屓ギタリストゆえ、少額だがサイト経由で donation したのが4年位前のこと…。


posted by denny-0980 at 15:34| Comment(0) | TrackBack(0) | Muscle Shoals | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする