2030年12月31日

Denny's Special Menu


A. [ヤングインパルス&70s Tokyo Rock]
 
 70年代日本フォーク&ロックを生演奏/生放送した
 伝説の番組を深掘り 同時期の東京ロック状況も加えてposting


B. [立食い じよん•のれん]

 一に回文 二に回文_ひたすら綴る「回文ブログ


C. [Sakatomi Free Font]

 PCにインストールして使用可能な自作アルファベットフォント
 鋭意制作&アップしています
 すべて無料でダウンロードできます
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X. [Denny-O-Muscle]

 個人的深掘り原点はアラバマ/マッスルショールズサウンドスタジオ
 このスタジオ制作盤を追いかけ追いかけ…


odds & ends :
 https://www.pinterest.jp/sakafon/
 http://denny-inside.seesaa.net/

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2025年03月22日

Brel_Scott


いしだあゆみを一度だけ間近に見たことがあった。ショーケンとの結婚は80-84年とあるからちょうどその時だな。フィルムコンサートを観終わって灯りが点いたときに気付いた_斜め後ろに座っていたいしだとショーケンも腰を上げたところだった。83年暮れの赤坂・草月ホール。
ジャックブレルの伝説のステージ_1966年パリ・オリンピア劇場でのショウ、そのフィルムを観たときのこと。(いまはDVDになっていると思う)

ショーケンブレルに惹かれたのも分かる。ジャンル分けでシャンソンとされるのはベルギー生まれフランスで活躍したからというだけ。その魂の熱唱は彼のオーティスに勝るとも劣らない、まさにソウルマンであったからショーケンにもグサリと刺さっていただろう。
特にイギリスには信奉者が多い。なかでもボウイ…「アムステルダム」をカヴァー。が、ボウイにしろイーノマークアーモンド…直接のブレルでなくワンクッションというか、スコットウォーカー(エンゲル)経由であったかもしれない。それほどにブレルに心酔していたスコット。そのスコットに心酔したボウイやイーノ、デヴィッドシルヴィアンたちにもブレルの存在も欠かせなかったはず。




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2025年03月13日

this one for U

自分のは充分作ったのでそろそろ売り物ストックに入ろうかな、と。いかがざんしょ?
handmade for sale

SL-022.jpg

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2025年03月11日

Hawthorne, CA


おっとっと、勘違い_ウィルソン家の場所はより南のホーソーン Hawthorne だったな。イングルウッドはブライアン生誕の地となっているところだったか。そこからホーソーンへ越したのか産院があっただけなのか、よ〜知らんですが…。
ホーソーンはバービー人形のマテル社創業の地。いまも本社残るのかどうかは、よ〜知らんですが…。Capitol デビュー前のビーチボーイズが "Barbie" を録音したのは偶然じゃない。作はブライでなくセッション仕切ったハイトモーガンの息子だが。
詳細はここに:
http://www.sakatomi.com/BB_talkin/d'sbb_1.html
これ書いたの何年前だ?…まだ California Dream Barbie は残っている

てなことで、この名曲を_




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2025年03月10日

れっちり


1月30日に行われたカリフォルニア火災へのbenefit concert_ FIREAID
5時間半がHDでYouTubeで観られる、そして驚くのは音の良さ。まんまライヴ音源発売できそうなきっちりしたミックス済み_クリア、分離、被りなしでパーフェクト。
しかしこのデカいハコ、場所は Inglewood, CAではないか。Wilson3兄弟が育ったあの小さな、今は高速道路になってしまったが、家があった町。なぜブライアンが、いやマイクラヴあたりは "California Girls" を歌いに出てくるのがお約束なはずだったのにその顔なし。

JBもいないよとか不満はいくつかあるけれどそれは納めておこう。
で、個人的に良かったのはRHCP。特にギター、フルシャンテ。この人、vintage 信奉者だがどのシングルコイルを使ってもほんとイイ音。なんなんだろうか、単にギターとイクィップメント/アンプによると思えない独特のトーン。
Nirvanaは…ま、いいか。





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2025年03月09日

ダギーと私生道

DuggieFields.jpg


そのモスコソサイケポスターの裏に入れていたがすっかり忘れていたのが出てきた、Duggie Fields
これはバブルの始まり頃だろうか83年、当時のホットスポットだった竹芝桟橋の倉庫で開催された作品展で買った_印刷でなくしっかりシルクプリントのポスター。主催は資生堂
資生堂は当時、新ブランドにパーキージーンというのを立ち上げた_そのCMに起用したのが英国アーティスト、まあポストモダンアートであったかな、ダギーフィールズダリばりの奇抜な風体といい、どこか胡散臭さを当時は感じていたがね。が、いま調べるとピンクフロイドを脱退直後のシドバレットとロンドンのフラットで同居していたそうな。地肩は強かった?
80年盤、西海岸のポップバンド The Motels のアルバム『Careful』のジャケイラストで注目されたかな、ダギー。「原宿クリームソーダの看板の絵を描いた人」ともあるな_これは見た記憶ありますヨ。

https://hanatsubaki.shiseido.com/jp/museum/8137/


これが私の生きる道(私生道)_パフィに歌わせた資生堂のCM曲。wikiでは「タイアップ元の資生堂の当て字になるという遊びでは無く、奥田民生いわく、偶然だとの事」
いやいやそんなワケないでしょ。奥田のサービス心≠ノ資生堂はいたく喜んだんじゃないスかねぇ。シャネルズを…「シャネル」じゃウチのCMに使うわけにいかないと言い張ってバンド名を変更させたとも聞く私生道さん。殿様クライアントには誰も逆らえない_


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2025年03月08日

Victor Moscoso


壁に掛けていた額を掃除ついでに拭いていたら、50×70cm だから小さくない、それが突然下に落ちた。掛けて20数年、裏ヒモの劣化_切れた。しっかりした作りで重さもあるし前面は塩ビ板でなくガラス…それが割れずにあぁ良かったワ。
飾っていたのはサイケポスター

60年代半ばからのサンフランシスコでのサイケデリックカルチャデッド、ジェファースン、クイックシルヴァーで三大バンドだろうか、個人的にはモビーグレイプが一番だが。ギグのハコ_ Fillmore, Matrix, Avalon... そこでの企画をして告知ポスターをシスコの街角に貼りまくっていた一番手は Family Dog Production 。このポスターもその1枚で、67年FDP presents のギグ_アヴァロンボールルーム6月15〜18日。
メインアクトが扇状に描かれてるが読めますか?_ THE YOUNGBLOODS
下には前座で the Siegal Schwall Band と。(小さい写真だと結構読めるもんだな)

サイケグラフィック四天王と勝手に名付けている_ リックグリフィン/マウス&ケリー/ヴィクターモスコソ/ウェスウィルソン、5人。グリフィンマウス&ケリーデッド盤ジャケの大半、他も含めてジャケ仕事では抜きんでていたがモスコソジェリーガルシアのソロやスティーヴミラーバンドなどのジャケをやっている_このポスターはモスコソのデザイン。この、サイケタイポグラフのなかでも最も読みにくい「モスコソ・レタリング」が好きだ。当時のポスターがそろってなぜ読みにくく描いていたかだが、ぶっ飛んでいれば容易に読める_客として呼び込むのは Sisters & Brothers only とするためと聞いたが、はて…。

このモスコソポスターを買ったのは90年前後だったか、渋谷西武での企画展において。7000円ぐらいした気もするが定かでない。ただはっきりとその場ではこれは「オリジナルのデッドストックプリント」となっていた。が…その後で2000年頃だったか、フィルモアの権利や物の一切をIT長者がビルグレアムから買い取った_ライヴ映像もポスターもネット配信/販売し始めた。そこではポスターに関しては、ランクがあって「original _ 2nd _ 3rd print」、オリジナルはバカ高値で後年のリプリント版まで、いまも売っているかな。〆が西武で買ったこれもまあリプリントであろうな。(デッドストックと言われればオリジナル/リプリントの区別がつく鑑定士≠ヘまずいないだろう_)


moscosoPoster.jpg


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2025年03月04日

Alvin Lee & Co.


暖かくなるかと思ったらまた極寒か_。ラジオから陽水「氷の世界」が流れてきて、これは季節を選ぶ歌よなァと。
何度も聴いてきたがあらためて印象的だったのがコーラス。これはアライヴァル。収録LP『氷の世界』は耳タコにいわれる「日本初のミリオンセラーLP」だが_〆も出てすぐに買った口(RCフリークとして当然)。録音は日本と倫敦。Arrival 、コーラス隊とみられてるがれっきとしたバンド。確か世界歌謡祭か何かで来日したこともあったと記憶。

この盤はロンドン、次作『二色の独楽』はハリウッド録音。これはアレンジャー星勝の独断…というかたっての希望が叶ったということと想像。陽水が売れて、は欧米の現場を肌で感じたかっただろうから。たぶん陽水自身は「面倒臭えなぁ…日本で充分なのに」意識だったのでは。ハリウッドでの超豪華メンバーも陽水は誰が誰やら知らなかっただろう_ デヴィッドTウォーカー、ジェシエドデイヴィス、ルーイーシェルトン、デニスバドマイア、マックスベネット、ウィルトンフェルダー、ジョーサンプル、エドグリーン、ハーヴィメイスン、ジョークレイトン…おっそろしいメンツはまだ続く、アレンジにはジャックニーチェジーンペイジだ!

ロンドンでのアライヴァルだが、バンドはその後 KOKOMOにシフトする。そこにはGrease Band からアランスペナー/ニールハバードやらクリムズンのメルコリンズらも絡んでくる。思うがUKロックシーンはさほど大きくない、ほぼ皆がロンドンに出てくるしかない?_どのバンドもメンバー変遷活発、有名どころは渡り歩きの感。で、ココモ界隈はさほどビッグネームでないがいわゆるパブロック人脈での出入りだろう。
ここら辺のミュージシャンとともにいいアルバムを作ったのがアルヴィンリーTen Years Afterリー…といえばウッドストックの熱演で名を上げてロックギター第一世代には「キング・オブ・速弾き」と知られた人ではあるが、ソロになってはクラプトンと近い道、ルーツロックというかアメリカ指向だったがクラプトンのようなブレイクには至らず。
73年の、USゴスペル系シンガー Mylon Lefevre との共作盤はスティーヴィウィンウッドやらミックフリートウッド、ロンウッド、ジョージハリスンなどオールスターゲストだったが、その次そしてこの2枚組ライヴはパブロック勢がバックを固めた御機嫌なアルバムだった(彼らと組んだ、一応はバンド名義にしていた_ Alvin Lee & Co.)。


アルヴィン.jpg

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2025年03月01日

Woodstock Brooklyn

ランドールTin Pan Alleyティンパンと言っても60年代の Tra-La days are over... この頃はSDにも似たジャズロック(…だが悲しいかな、曲の出来は雲泥の差で凡庸なアルバム続き)。カーシュナーからしてAldon musicは閉めただろう、TVで "Don Kirshner's In Concert / Rock Concert" のプロデュース、ロック時代に対応していた頃。
ランドールベッカー/フェイゲンの付き合いもいわばティンパン界隈仲間であったのは確か。B&Fにとってのティンパンは_2人は Tra-la days の有名チームのキング=ゴーフィンマン=ワイルのようにライターチームとしてひと旗揚げたかったという意味ではかなり old school な業界入りであっただろうが…。
リーバー=ストーラー子飼いのジェイ&アメリカンズに裏方として潜り込んだところが第一歩。初のクレジットはそのアメリカンズのシングルで arranged by Becker & Fagen 。演奏できっちり参加した初アルバムは、バード・カレッジ時代の仲間だったっけ?_テレンスBoona<{イランのファースト。
単科大学バードカレッジはNY州だが摩天楼からはかなり北へ行った場所。で、ザ・バンドリヴォンヘルムと結婚離婚の後にドクタージョンと恋仲…woodstock の地でエリックカズ "love has no pride" を共作したSSWはリビータイタス、昨年亡くなったがドナルドフェイゲンの妻だった。バード大はウッドストックに近かったから、共に暮らすようになったのはかなり後でも、もしかしたら知り合ったのはSDブレイク前かもしれない。

アメリカンズに絡む前、大学卒業して"NY, NY"に戻ったB&Fが知り合うことになった_バンド仲間になったのがデニーダイアス。NYはlong lsland在のジャズフリークのデニーが音楽誌に載せたメンツ募集 classified ad に呼応したのがふたり。『マジにジャズの素養あるキーボード/ベース求む』_デニーが率いていたセミプロ/トップ40バンドでその名は Demian 。SDの原型がこのバンドと語られるが、ふたりの意識はローカルバンドに留まっていなかったのでここはデニーと知り合えたこと/デモ録音できたことだけがメリットとみるべきか。そのデモ録にランドールは参加しているから確かに「旧知の仲」。

72年ファーストではデヴィッドパーマーに歌わせたが、その2年前のこのデモはフェイゲン自身で歌うスローアレンジ。"Kenny Vance tape" の1曲。

 guitar: Randall / bass: Becker / dr. : John Discepolo
 kbd & vo. : Fagen





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2025年02月27日

Premier guitarist




この曲、好きでねぇ…どこかとぼけた歌唱と華麗なピアノにストリングズ、ミディアムテムポの傑作。このシングルは "rare disk" の一枚、2〜3万_なのは、プロモ盤オンリーゆえ。曲はアルバム収録で普通に聴けるがね。そのアルバムがいまネット通販で見ると、日本の中古店だが¥2500相場。アナログはこうまで値付けできるブツに変わっていることに驚くワ_〆が嬉々としてレコ漁りに励んでいたころにはこのLPはほぼカス箱に…せいぜい¥300であったよ。
J. Jocko ことJohn Marcellino …イタリア系ニューヨーカー、Sha Na Na のオリジナルドラマーで現在もライヴで回っているらしい。唯一ソロが『That's the song』。この75年盤のプロデューサーが Elliott Randall 。ランドールはこの時、変名でシャナナのメンバーだったからバンドメイトということ。
このシングル曲でのギターがいい。まったくソロ無しだがカッティングだけで乗れる_シックのナイルロジャーズのように…。


いまでも個人サイトトップに "Steely Dan's premier guitarist" _ ギター席の一番手はオレだ、と言い張るランドール師匠。いやいや、首席はやっぱりデニーダイアス(ディアズ)だがなあ。
生粋ニューヨーカー。マンハッタン島とブロンクス区を隔てるハーレム川、それとイースト川の合流点の中州が Randall's Island 。ランドールのソロ作のタイトルであり、そのまま4人バンド結成してバンド名にした_同名義でアルバム1枚。その後ソロに戻ってのリリース盤は『Randall's New York』で、これはプロデュースがトーケンズだった。レーベルはかのドンカーシュナーの Kirshner から。実にTin Pan Alley_


posted by denny-0980 at 21:24| Comment(0) | TrackBack(0) | Assorted | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする