2021年12月31日

Sock-It-To-Me!!! Info.

★17_Nov. :
「ソフト・ロック」の牽引者であり、ファンジン『VANDA』をともに作っていた盟友の佐野邦彦さんが亡くなりました。2014年5・7月にご自宅へ伺っての、当方とのトークを以下に。
http://www.sakatomi.com/framefirst.html

★17_Jul. :
『500 Atlantic R&B/Soul singles 1964-1972』
アトランティック70周年_シングル音源500曲を2枚組CDで
全10枚、リリース開始。graphic work by denny-0980
http://wmg.jp/artist/500atlantic/discography.html

★17_Jun :
新規ブログ_LP「内側のみ」『Look Inside』
画像は_右クリック『新しいタブで画像を開く』して、最大サイズ≠ナ
ご覧いただきますよう四四七二
http://denny-inside.seesaa.net/

★17_may :
『ソフト・ロック・ナゲッツ』4W_ 5/31
design by denny-0980
http://wmg.jp/artist/softrocknuggets/

★16_dec:
最近音楽誌でよくはちみつぱいが取りあげられているが、そのぱいのメンバーであった渡辺勝さんらとの『トーク・セッション』。
せっかく貴重な70年代日本ロック話を聞かせてもらい、サイトに上げながらも当方の力不足で内輪受けに留まってしまったのがなんとも惜しいと、再読してみて痛感。とくに斉藤哲夫さんのロング・トークなどはリアルな当時の逸話満載。ほかにもトーベンさん、洪栄龍さん、永井充男さんら_そのほか、ミュージシャンのみならず音楽関係の方々に興味深い話を聞けたと思うので、ぜひ時間のあるときに再読、もしくはあらたな読者となっていただきたく…。四四七二。
  D's Talk Sessions

★01_start:
http://bit.ly/2pHYyDS
個人的に深掘りしている音ネタは『マッスル・ショールズ』。
+
アラバマ州の同地にある Muscle Shoals Sound Studios での録音盤と、
そこで活躍したセッション・ギタリスト Pete Carr 参加盤を探して
2001年から紹介しておりマッスル。
001枚目〜127枚目
http://www.sakatomi.com/petecarr/
128枚目〜157枚目
http://whink.seesaa.net/
+
158枚目からはこのブログで掲載中:カテゴリcheck →


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2017年11月23日

Peter Lewis

モビーグレイプとなると力がどうしても入ってしまうタチなんでこれも紹介。

モビーとして、メンバーソロ・ワーク、どちらにしろずるずるとした駄作続きというのが正直なところ。フリスコロックの肝であるライヴ…デッドやジェファースンと同時期にシスコの venue で鳴らしたはずのバンドなのにライヴ盤がかなりショボい、つまらないという意外も。おなじようにサイケデリア≠ナあったが、デッドら「幻覚派」に対してモビーは「覚醒派」だった…なんて評論もどこかにあったが。真実はよく分からないが、たしかに他のバンドとは違って交流も見当たらない、唯我独尊であった感あり。
結局モビーで聴くべき盤は、Columbiaのハウス・プロデューサーだったデヴィッド・ルービンソンが仕切って制作した(しらふでやらせた?)3枚_『moby grape』『WOW』『moby grape '69』この3枚のスタジオ盤だけ。
 その他ではせいぜいボブ・モズリーのソロ (same title) ぐらい。アレックス "skippy" スペンス盤『Oar』_「西海岸のシド・バレット」とは好き者に言わせておこう。

そんななかでこれが隠れ名盤。まあ知る人のない1枚だろう_ピーター・ルイスのソロ。
ピーターは、songwriter, singer, guitarist としてモビーの魅力の一翼を担った才人。意外や「いいとこの子」。大女優ロレッタ・ヤングの子でハリウッド育ち…、テリー・メルチャーと幼なじみであってもおかしくないようなボンボン。それは知っていたが、いまネットを見てみると_なんとデヴィッド・リンドリィが従兄弟とある。あのリンドリィも…実はいいとこのボンボンだったのか? リンダ・マッカートニー(リンダ・イーストマン:フィルム会社 KODAK 創業家)とは幼なじみであったらしい。
 そのピーターが95年に出した同名盤が至極良いのですワ。Taxim というローカルレーベル(ドイツ?)から出したCD。ex-CCR のスチュ・クック/Doobies のキース・ヌードセンがリズム隊で、モビーのメンバー時期もあったコーネリアス・バンプスも参加。ギター、ペダルなどマルチに活躍しているのが、この人も Doobies だったジョン・マクフィー。ポスト・プロダクション含めマクフィーが完全に仕切った1枚。ランディ・マイズナーやジョン・ヨーク (byrds) らもコーラス参加している。
モビー時代のリレコ2曲含めてすべてがオリジナル楽曲。駄曲なしの素晴らしい盤であり、マクフィーの貢献で仕上がりも抜群。なれど遅きに失した盤は、誰に語られることもなかった。

ピーターは絵も描く人らしくブックレットには淡いタッチから書き込んだ作まで掲載されている。モビー前のプロデビューバンド、The Cornells 時代のフォトも。
 この盤、オリジナルよりも日本盤のほうがいい。オリジナル・ジャケットは自画像だがこの出来が…どうにもぱっとしない。それを、97年に Kaigan Entertainment, Inc. という会社がなぜか日本発売したんだが、困ったジャケは別仕様に変更。自作画前の本人の顔を使ってかなりイメージの立ったよいデザインになっている。ブックレット内容もUSと変わらないようなので推しはこちら…とて、入手困難盤か?


peter_US.jpg


peter_lewis.jpg



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basil / ochs

佐野さんとのことでもうひとつ思い出した_スィートベイジル。
中山康樹さん。スイングジャーナル編集長から評論家へ転じて、マイルス/ビートルズ/ブライアンなどに関して多くの著作のあった中山さんも亡くなって3年か。
その中山さんと佐野さんは、ブライアン話で花が咲く仲だったんだろうな。で、2000年前後だったと思う、六本木芋洗坂のスィートベイジルのブッキング担当に中山さんが就くことになった。そしてそれまでのジャジーな路線からボップ路線へ変更、アメリカンポップ・ノスタルジア・サーキットのスケジュールで固めた。しかし苦戦…空席が目立っては塩梅悪いということで佐野さんへ「招待」の声を掛ける。一人ではどうもならぬ…「友人も」ということで当方も誘ってくれた。7〜8本はロハで観られたと記憶だが、さて…ゲイリー・ルイス&プレイボーイズは覚えているが他は?
 ネットを見てみたが過去スケジュールは出てこない。ロニー・スペクター、フィフス・ディメンションの名前がかろうじてある…どちらも観たな、きっと。ゆったりしたディナー&ライヴ・スペースに佐野さんらと足繁く_すっかり「常連気分」に浸れたことだけ覚えている。


その中山さんからひとつだけ仕事を受けた。VANDA のデザインを気に入ってくれての依頼はビーチボーイズ・ムック。2002年に河出書房新社からの『文芸別冊:ビーチボーイズ』。
巻頭にロニー・スペクターの特別寄稿あり、たぶんベイジルでのブッキングの際に書かれたんだろう。佐野さんはその中山さん/萩原健太とでフェイヴァリットBB曲・鼎談を。鈴木慶一/松尾清憲/湯浅学で『スマイル』鼎談など、いま見返せばなかなかに面白い内容。しばらく見る気にならなかったのは後味の悪さというか…中山さんはちょいと難しい人だった、デザインに関してゲラ出しのたびにいろいろと言ってくるので、当方としては「いや、ここの意図は…」と言ったつもりもかなり感情的に返してくるタイプ。どうやら、言うことを聞かない奴と最後は取られたらしく…。それでも見れば、自分のイラスト突っ込みなど、全ページを好きにやらせてもらってるか。表紙の写真。"Surfin' Safari" セッションのアウトテイク。かのマイケル・オクス・アーカイヴから買った。ネット上でのカタログからだったが、中山さんが「好きなの選んでいいよ」とのことで_。もちろん支払いは出版社、それなりな額だったんじゃないか…。


posted by denny-0980 at 09:24| Comment(0) | Assorted | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月20日

千秋

・買いCD
【ズィンク・アロイと朝焼けの仮面ライダー/マーク・ボラン & T.Rex】1350(+350)

・UK ベースプレイヤー。アル・クーパーが UK No.1 と言ったのはハービー・フラワーズ。バンド活動は Blue Mink, Sky など渋いところだが、エルトン・ジョン/ルー・リード/ボウイ/ポールなどの名盤で名演奏。ハービーもいいが、当方の No. 1 はクライヴ・チェイマンかなあ。
https://youtu.be/X6dFeVos3X0
ジェイマーソンを彷彿させる下からのせり上がりシンコペ・グルーヴは最高。名盤多いが、ほとんど聴かれないこれを推す。ジャケで損しているがこれ、UK "Soul" な名作。
https://youtu.be/xAYH1L4RzOs
UKのプレイヤー…ドノヴァンの盤に参加していれば一流、個人的にはそんなイメージを持っている。

・いいキャラだから使いたくなるのはわかる、が、人寄せパンダにはせぬことを望む。清宮。とりあえずフィーバーを一旦収めて、「そういえば清宮、聞かないねぇ」ぐらいになっていいのでは。まず3年、じっくり二軍で鍛えるべし。一軍初年に、本塁打20本越えで新人王と。来年開幕一軍ではオコエの二の舞い。営業的見地をぐっと堪えるべきと思うんだが。

・駅前書店が閉店、徒歩20分の新三郷ららぽーと内書店まで行かねばならぬ、散歩がてら行く。立ち読む『レココレ』誌。見たいのはジェレド・マンコヴィッツ頁だけなので毎回立ち読みで済ませてしまう。この連載を、写真を倍にして全頁カラーで単行本化してくれないだろうか。さすれば絶対買う。それにしても、前も書いたが…魅力のひとつは「アウトテイク」フォト満載なんだが、それら、アーティスト側の許諾あるように思えないが…。手持ちストックを端から開陳?
 ららぽーと内、以前はCD/楽器販売は山野楽器だった。しかし撤退。替わりに入った店舗ふたつ。CDコーナーが… VANDAに。VANDA Records という店。ナンダカナァと思うのは当方だけか。楽器は島村楽器に。オリジナル・ギターブランドに History などいいのを持っているが、ここに陳列はかなりおざなり。モール内店舗でギター買うのは中学生ぐらい? あまり商売にならないのを承知で、ネームバリューの為に営業している感じ。


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2017年11月18日

Ducks

知らなかったねぇ…ニール・ヤングが77年、「二ヶ月半」だけやっていたバンドがあったなんて。それが個人的にどツボ。当方にとっての五大パフォーマーのうちの2つが組んでいたのだから。
ニール・ヤングとモビー・グレイプ。

https://youtu.be/rz8pZecv6yI

「Neil Young & The Ducks」
NY : guitar, vocal
Bob Mosley : bass, vocal
Jeff Blackburn : guitar, vocal
Johnny Craviotto : drums, vocal

モビーのベーシストにしてぶっとい声のシャウターだったモズリーとNYが一緒にやっていたとは。NYはソロで輝くパフォーマー。クレイジー・ホースとの録音/ステージも、たしかにホースのグルーヴも素晴らしいモンがあるが、それでもフロントアクトNYの引き立て役。その意味でこの Neil Young & The Ducks …モズリーやジョニーCの曲もやる/歌うとなるとその「バンド感」からNYファンとしては食い足りない感じであろうな。それを承知のニールだったかも…長く続けるつもりでなく、ジャムったら思いの外気持ちいいので少し人前でやってみた、と。実際このサンタ・クルーズ始めローカルなギグのみだった様子。
 それにしても個人的には最高だ_モズリーの曲でニールがリードを弾くなどはたまらない。ニールのソロ/バッファロー曲でモズリーの声が被るのも…。
"gypsy wedding" _モビーのリユニオン盤『20 granite creek』の頭のモズリー曲は、翌年のソロ作でもリレコした代表曲、このぶっとい曲にニールのギターはハマるハマる!
"truckin' man" が唯一のモビーグレイプ曲だがこれもよし。
小さめのハコだったんだろう、間近にこのギグを見られたらどんなに気持ち良かったことか…。

前年76年にモズリーは1枚のアルバムをバンドで¥oす。
【Fine Wine】(Rocky Road Records / Polydor)


finewine.jpg

長いこと「モビーグレイプの変名盤」と信じていた、ロス録音ながらドイツ盤しか出なかったレアな1枚。入手出来たのは23年ぐらい前、馬場ディスクファイルで見つけたときは驚いた、価格も_¥300。モビーではなかった、モビーからのジェリー・ミラー/モズリーが Michael Been, Johnny Craviotto とで、四人バンドだった。



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2017年11月17日

SD early days

ネット情報/音源でいくつか気になったのが「初期スティーリー・ダン」のこと。Revisited.. 追憶のSDハイウェイ。

まずは出会いの場所。ニューヨーク州の単科大学である Bard College 。亡くなったベッカーは1950年生まれと、結構若かった。1〜2才年上のフェイゲンが校内でジャズかましてたベッカーに気付いて声をかけたとある。1967〜8年か。
 その場所を見てもらいたい。ニューヨークといってもマンハッタンからは北上すること3時間ぐらいか、かなり田舎。ハドソン川を越えた先にあるのが「ウッドストック」。

 SDはかなりティンパンアレイ色の濃いところから出てきた。ウッドストックとティンパンアレイの両色を持つ者といえばトッド・ラングレン。SDとトッドが絡んでいておかしくない気もするが、記憶では無かったが。
 しかし唯一、フェイゲンと絡むウッドストックは奥さんのリビー・タイタス。リビーの前夫はリヴォン・ヘルムであり、自身SSWでアルバムも出したリビー の、ウッドストックを代表するSSW=エリック・カズとの共作は数多のカヴァーを生んだ名曲 "love has no pride" 。

もとい、バード大のちょい南町が…そう「バリータウンから来た男」。


まっぷbard college.jpg



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(修正)バード大でベッカーとフェイゲンのふたりは「Sowing Wild Oats 101」という授業を専攻していたそうな。フェイゲンは、学生の休憩教室から聞こえてきた "howling wolf" に反応…それはエピフォンを弾くベッカーだった、と。

++++


ベッカーとコンビを組んだフェイゲン、目指すは音楽の道。学業はどうなったか、中退なのかどうかよく知らないが、勉学より音楽だった様子。それもプロ。ここで疑問、ミュージシャンになりたかったか裏方になりたかったか。ふたりでソングライティング開始。ここがまずティンパンアレイっぽいところ、「ふたりのチーム」。
 フェイゲンは自信家であり、かつ悲観的だったのではと想像したり。誰よりクールな曲が書けるオレ様なのだ…が、この曲が一般に受けるだろうか/このルックスはダメだろ/この声もダメじゃねぇの?… Upside Down 、SDの初期のゴタゴタはこのフェイゲンのメンタルに尽きる…ような。

それはともかく、ふたりは音楽で飯を食うべく頑張る。go to NY Tin-Pan Alley _ ティンパンの大御所レイバー=ストラーの持ち駒だったジェイ&アメリカンズのバック仕事へ潜り込み。それと同時期かちょいと前か_大きな出来事があった、初録音。
 バード大在学時にも遊びバンドはいくつかやっていた二人で、そのひとつがチェヴィ・チェイス(TV "saturday night live" からブレイクしたコメディアン)がドラマーだった The Leather Canary …チェイスがらみでよく知られるところ。そしてテレンス・ボイランも学生仲間だったらしい。
 アサイラムからアルバムを出したSSWとして知られるボイランだが、早熟のミュージシャンだった。兄がジョン・ボイラン_カントリー系のプロデューサーで有名な人。兄弟は68年に The Appletree Theatre 名義でプロデビュー、 Verve Forecast レーベルからLP(ラリー・コリエル/エリック・ゲイル/チャック・レイニーらがバック!)を出している。テレンスはソロ・コンタクトを同レーベルと結び、69年に『別名ブーナ=x( Alias Boona / Terry Boylan )を発表。このアルバムにベッカー(ベース/ギター)とフェイゲン(オルガン/ピアノ)が参加している。ディラン・カヴァー1曲で残りすべてブーナのオリジナル、残念ながらベッカー/フェイゲン作は収録されていない。しかしこのアルバムを持ってNYで売り込みを掛けたというから、二人にとってプロのレコーディングを経験したことは大きな自信になったことだろう。


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NYマンハッタンへ戻ったベッカー/フェイゲンのコンビはジェイ&ジ・アメリカンズ仕事を、どういうコネか?_ゲット。とはいえヒット連発は昔のこと、サイケからヘヴィなロックへ様変わりのなかではもはや old shcool pops でジリ貧期。東海岸の小さめのハコを流す程度だったのでは。ふたりは正式メンバーとなったわけでなく、営業ライヴとレコーディングに関わったらしい。
 69年の最後のトップ20ヒットはスペクター・クラシックの "walkin' in the rain" 、そしてその収録LP『wax museum』、ふたりは演奏に加わっているらしいが、Tristan Fabriani / Gus Mahler の変名を使ったそう。意図はよく分からない(学生だったので名を出せなかったか、バンド状況からわざわざ出すまでもないと判断したとか…)。
 この最後期アメリカンズのプロデュースがトーマス・ジェファーソン・ケイだった。その後、ケイは非常にSDカラーの濃いアルバムを2枚出す。プロデュースがゲイリー・カッツ/エンジニア、ロジャー・ニコルズ。ベッカー/フェイゲンは演奏、コーラスに曲の書き下ろしまで。デヴィッド・パーマー、ジェフ・バクスターも。その他のセッションメンバーもSDとかぶる_つまりは、サンタモニカの Village Recorder でSDが録音をしている同時期、たぶんセッションの合間にケイの録音もしていたということと見た。そして重要なのは、ケイの2作でフルで活躍したギタリストがリック・デリンジャーなこと。

 個人的に確信しているんだが、ドナルド・フェイゲンが信頼していたギタリストは三人だけ。ウォルター・ベッカーも当然入るがここでは除く、デニー・ダイアス/エリオット・ランドール/リック・デリンジャーの三人。カールトンもリトナーもグレイドン、ディーン・パークスらは優秀だがあくまでトラ、駒のひとつであって適材適所でハマる仕事をしてくれればOK…の存在かと。
 まずダイアスは、唯一最後(『ガウチョ』を最終盤とする)までベッカー/フェイゲンに付き合ったプレイヤー。いやいや、『ガウチョ』ではお役御免、参加してないでしょ_? たしかにそうだがね。ただし、ひとりふたりとメンバーを切っていって最後にはダイアスも…そうじゃないと思うわけで。ダイアスはいわばスティーリー・ダンの結成者。ベッカー/フェイゲンとは同等の、いやふたりには先輩格だったはず。なので『ガウチョ』セッションとて声を掛けていないわけはない。しかし思うに、ダイアスは釣でもしていて急にヒキが良くなったから予定変更…「今回は俺、釣に夢中だから行けんワ…」の電話一本で済ませたんじゃないか、そんな想像すらできる。この人はロック・スターなど端から眼中になかったはず、たまたまジャジーでクールなバンドでもやろうと決めたときに出会ったベッカー/フェイゲンと意気投合しただけだ。他のバンド活動もなければセッション参加も皆無。あくまでもベッカー/フェイゲンがやりたいようにしているのを傍観/サポートの位置に自分を置いていたのだろう。
 ふたりがジェイ&アメリカンズに関わりだした頃に、NYはロングアイランドの Hicksville 在住のギタリスト Denny Diaz が The Village Voice 誌に出したメンバー募集:
"Looking for keyboardist and bassist. Must have jazz chops! Assholes need not apply"
「ジャズの心得あるキーボード/ベース求む。使えねえ奴は御免」
こりゃオレら以外にいねぇ〜べ、とベッカー/フェイゲンは思ったことだろう、ダイアスにコンタクトして、まずはジャムるところから始まり。ちなみに "Diaz" が本名か、SDのアルバム以降は "Dias" となっている。

ダイアス、セッション無しと書いたが、1枚だけあった_たぶんこれだけだろう。79年の英国盤で『Flying Home / Summer』(touchstone sound recordings BBT-113)
「サマー」というバンドのようだがそうでなく、企画物。This special benefit album features... の文字もあるから何かのベネフィット企画のようだが詳細不明。仕切りが Sammi Abu …UKレゲエの人物? よく分からない。ただし結構なメンバー参加:ドラムが、ジェフ・ベックのバックで活躍した Richard Bailey で、ベースに当時ミック・テイラー・バンドだったクマ原田。オシビサのギタリストや、コーラスにマキシン・ナイチンゲール/P. P. アーノルドも。録音がロンドンと米西海岸。この盤に、「スティーリー・ダンの」と但し書きでなぜか Denny Diaz の名が(ダイアスでなくダイアズ名義)。それを見て一応は買った次第_が、内容はかなりプア…。


summerLP.jpg



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「リキの電話番号」… "Rikki don't lose that number" の邦題だったが、これはおかしい。 リキの番号は問題ではない_「リッキ、この番号をなくさないでくれヨ」なのだから。リキでなく相手の番号の話。この歌に関してむか〜しどこかで読んだ逸話、このリキはリック・デリンジャーという話。別話も多いから信頼おけないかもしれない、しかし当方としてはこれでいいのだ_デリンジャーがらみと受け取っている。
 フェイゲンの贔屓のギタリストだったリック・デリンジャーだが、かなりルーズ。セッション毎に声を掛けるが来たり来なかったり。フェイゲンからは電話してもまず出ない。そこでフェイゲン、顔を見せたリックに…「なあリック、お前さんから俺に定期的に電話を掛けてくれよ。いいかい、これ_俺の電話、この番号をなくすなよ!」と言った…か、言わなかったか…。まあ言ったと当方は信じて、この時に曲の構想をフェイゲンは得た、と。

ベッカー/フェイゲンがアメリカンズにからんでティンパン界隈で働き出すより数年早く、デリンジャーはティンパンの雄だったバート・バーンズに見いだされてデビューだった(正確には「見いだされて」ないが)。
 64年の Atlantic シングル "my girl sloopy" 、ベテラン黒人グループ The Vibrations 盤はバート・バーンズ(&ウェス・ファーレル)作・プロデュース。チャート26位とスマッシュヒットだったが、バーンズは満足せず。翌年に自身で興した新レーベル BANG (バーンズ/アーメット&ネスイ・アーティガン/ジェリー・ウェクスラーの頭文字4文字から:ならば最後は「J」でしょ?_いや、Gerald Wexler )、そのバング・レーベルから再度仕掛けることを思いつく。そこでレーベルの裏方をやりながら The Strangeloves なるでっち上げバンドでヒットも出していた Feldman, Goldstein, Gotfehrer 三人チームでのリリースを考えた。が、三人は拒否。そのかわりに連れてきたローカル・バンドがマッコイズ。なんでやねん?と、バーンズはやけくそでリーダーのリック・ジーリンガーの名をレーベル名(=銃声)にかけてデリンジャーと変え(たと思う…まず間違いない!)、シングル・リリース。見事全米1位となったからフェルドマンらも胸をなでおろしただろう。
 ティンパン界隈では先輩格だったデリンジャー、フェイゲンとはどこかで接点があったのだろう。フェイゲンはSDセッションにリックを呼ぶ。あまり多くの参加がないのはデリンジャーがソロ活動に重きを置きだした頃と重なったからだろう。2枚目『エクスタシー』の "show biz kids" でスライドを弾くが、これはデリンジャーがファーストソロ『all american boy』をコロラドのカリブーランチで録っていて、SD録音のベース基地であるサンタモニカ(の Village Recorder)へ来られない_そこでフェイゲン、わざわざマスターテープをコロラドまで送付しスライド・パートだけ重ねさせた1曲。これからしてもふたりの関係が垣間見える。

(蛇足:ヴァイブレイションズの "my girl sloopy"_当方デザインによる『500 Atlantic R&B/Soul singles vol. 1』CDに収録)

<つづく>


SD_showbiz.jpg







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2017年11月13日

60s pop

昨日は、山村のジェリー・ロス特集その1、そこでかかった…当方のベスト・ロス・ソングはやっぱりこれだ、キャンディー&キッシーズ "The 81" 。Do the eithy-one.... って何の意味だろうか?  Dance Craze は分かるンだが、なんで「81」? まそれはともかく、ロス=ケニー・ギャンブル作、ギャンブルにとっては出世作かな。ご機嫌なナンバーといえば即これを思い出すほどにめっちゃ好きな曲。モータウン・マナーではあるが、フィリーとデトロイトの微妙な関係はいろいろな曲で見え隠れ。
 でもって、夜のラジオ日本では宮治さんが生放送。お題は「食べ物の曲」。昼に山村を聴いていたからと、ロスにからめてかけたのは_ジェイ&テクニクスの「アップルパイは恋の味」。これまた好きなんだよなあ。

こういう60年代半ばのポップ・ヒットを掘り出したのは、さて何歳ごろであったかと思い返すに…ハタチ前後か。大学2年、ぼちぼちパンクの色がちらつき始めた1977年は、「ホテル・カリフォルニア」の大ヒットであったと記憶。ん?『アメリカン・グラフィティ』もこの頃だっけ? そこで一大オールディーズ・リヴァイヴァル…過去の音源も相当にリ・イシュー盤が出た。 




++++++++++++

5月の仕事『ソフト・ロック・ナゲッツ』、その vol. 4 はUK編。佐野さんのライナーノーツ、<作曲はホリーズの「bus stop」「I can't let go」を書いて大ヒットさせていたグラハム・グールドマンで…>と原稿にあった。「佐野さん、" I can't let go " はグールドマンでなくチップ・テイラーだからトルツメしましたよ」とメールしたら、「そうでした。奥山さんとの仕事は安心できます_」の返信…それが佐野さんとの最後のメール会話であった。
 チップ・テイラーとアル・ゴーゴニの共作、オリジナルはイーヴィ・サンズだったがビートの利いたホリーズのヴァージョンのほうがいいね。佐野さんに捧ぐ_




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